和歌を俳句に 俳句を和歌に‘変身’?
俳句は、最短の文学と言われる。そして、それに続く最短次席は、和歌である。17文字と31文字、その差はたったの14文字であるが、いずれにも‘優れた特徴’がある。

俳句は、その短さ故に、色々な工夫がなされた。

‘季語’という発明である。季語を使うと、例えば‘今は秋ですよ’と言わないで‘秋の状況’を想像することが出来る‘仕組み’になっている。

‘名月’というだけで、‘秋’の満月を俳句を知る人は‘間違いなく’連想出来る仕組みなのである。

俳句も日本文化も知らない外国人には、この‘仕組み’=‘ルール’は理解出来ていないから、説明が要る。

因みに、‘Google’の翻訳機能を使ってみると、

・名月(めいげつ)→ Bright moon <名月は、陰暦8月15夜の月を指す。中秋の名月のこと>

・満月(まんげつ)→ Full moon  <満月も季語として使う場合は‘秋’>

だから、‘秋’という感覚は表現されていない。もっとも、外国人は‘Bright moon’と聞くと‘秋の満月’を想い起こすのかどうかは知らないが・・・。

そして、俳句の‘最大の特徴’の一つは、‘嬉しい’だとか‘悲しい’だとかを‘その直接的表現’を使わずに別の文語で表現することである。

したがって、俳句のその境地を実感として味わったことのない御仁にとっては、「それが、どうした?」ということになって、「俳句のどこが面白いの?」という結果となってしまう。

‘噛めば噛むほど味が出る’という。噛まないで‘味だけ’享受しようとしても、それは本来の‘奥深い味わい’には当然到達出来ない。

9月の後半になると、最大のメディアであるTVが、各局ともこぞって3時間番組をゴールデンタイムに放映する。何の奥行きもない痴呆タレントを大勢集めて・・・。

一寸眼には、面白い場面もあるが、15分で飽き飽きする。‘芸’や‘知識’に奥行きが無いから、○×式のクエッションには正解を出しても奥深い解説には程遠い。

その点、‘落語’という日本の古典芸能には深みがあり、奥行きがある。しかし、TV番組には採用されない。

これは由々しき事である。受け入れ側も供給側も‘受験’での成績で点数の良いことがいいことだという、全くつまらぬ価値観を持ってしまった20世紀最大の過ちである。

じわじわと‘ボディブロー’が利いて来て、表面・上っ面だけしか見えない、そして己のためだけの価値観しか持たない‘官僚’を作ってしまったから、日本の外交は上手く行かない。

日本が世界に誇る最大の文学‘源氏物語’における‘権謀術策’や反対に‘他人への思いやり’のこころ持つという気概を日本人がもう少し幼い時から訓練されていれば、こんな惨めな現状にはならなかったに違いない。

この傾向は、中国にも韓国にも、そして西洋にも見られて、‘文明の発達スピード’を良しとした根本思想が間違っていたことを証明するものであろう。

もう少し‘進化の速度’は遅い方がいい!

日本人は、今やその魂のあり方を根底から勉強し直してみよう!と言う訳で余りにも‘飛躍’した、そして、‘こじつけの論理展開’で、こんなことを・・・。

そんな訳で、‘和歌で詠まれた情景’を‘俳句’にしてみたら、どんな俳句になるのか?
反対に、文語数足らずの‘俳句’を14文字付けくわえて‘和歌’にしたら、どんな生まれ変わりをするのだろうかと考えた。

こうすることによって、‘俳句の良さ’&‘和歌の良さ’を十分理解出来ることになるのではないかと想像出来る。

それが、延いては世界民族の理解へ繋がる???のではないかと勝手に想像して・・・!


(1)先ず最初の課題:和歌を俳句へ‘転換’したら・・・、の巻

「秋来ぬと・・・」(秋こぬと、とは読まないように!)

秋きぬと
http://brush.art.coocan.jp/snap11-15d.html

「秋来ぬと目にはさやかに見えねども
 風の音にぞ驚かれぬる (藤原敏行)
 たれをかも知る人にせむ高砂の
 松も昔の友ならなくに (藤原興風)」


此の前半の和歌が本日の主題。

この和歌には、次のような素晴しい‘解説’が付いている!

http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-549f-1.html
秋来ぬと

                               藤原敏行

  秋来(き)ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる

                            (『古今集』・169)

 …… * …… * …… * …… * …… * …… * …… * ……
《私の鑑賞ノート》

 藤原敏行(ふじわらのとしゆき) 生年不詳~延喜7年(907年)または延喜元年(901年)。平安時代初期の歌人、書家。藤原南家の藤原巨勢麻呂の後裔。陸奥出羽按察使・藤原富士麿の子。従四位上・右兵衛督。三十六歌仙の一人で、家集に『敏行集』がある。
 空海とともに能書家としても名高い。『古今集』に十六首、『後撰書』に四首が採られている。一世代前の歌人と比べて技巧を増しながら繊細流麗、かつ清新な感覚がある。和歌史的には、六歌仙の一人の在原業平(ありわらのなりひら)から紀貫之(きのつらゆき)へ橋渡しをした歌人である。 (フリー百科事典『ウィキペディア』「藤原敏行」の項などより)

 本歌は『古今集-秋歌』の冒頭に掲げられており、立秋の日に詠んだと言われています。「秋が来たと目にははっきりとは見えないけれど、風の音にハッと秋の気配を気づかされたことよ」というような意味となります。

 この歌が詠まれた背景として、「立秋の日から風は吹き渡るもの」という当時の常識があったようです。それは「生活実感に基づいた常識」というよりは、平安貴族たちの「文学的な常識」です。したがってこの歌もそれを踏まえて詠まれたのであり、実景をそのまま詠んだわけではなく、写生的な要素のまったくない心象風景の歌であるのです。

 さはさりながら、写生さながらの「目にはさやかに見えねども」「風の音にぞおどろかれぬる」。この描写の確かさ、豊かな感性には「驚かされ」ます。視覚と聴覚の対比が実に巧みだと思います。見ても秋は感じられないが、風の音ではじめて秋の気配が感じられたというのです。写実に迫る、あるいは写実を超える「イマジネーションの力」というようなことを考えてしまいます。
 
 赤子が獲得する五感は、視覚よりもまず聴覚だそうです。興味深いことにこの歌は図らずも、赤子の成長のプロセスと符合しているわけです。そこに、ともすると平安貴族という高等遊民の「言葉のお遊び」に堕してしまいがちだった、後代の和歌と一線を画する何かがあるように思います。
 それらの言葉のお遊びとは、イマジネーションの深度が何段階も違うようなのです。それがこの歌を古今有名なものとし、後世多くの類歌、類句が作られたゆえんなのではないでしょうか。

 ところで、ハッと驚かされた「風」とはどんな風だったのでしょう?その風とてもイマジネーションの中の風であるわけです。人のイメージの世界を盗み見ることは不可能です。ですから作者・藤原敏行にしか分からない風です。がしかし、「強い風」だったのか「弱い風」だったのだろうか、という問いかけだけはしたくなります。

 さてどっちだったのでしょう?二百十日前後に吹き荒れる野分(今の台風)のような激しい風だったのだろうか。そうすると確かに「風の音」が現実味を帯びてきます。しかしこの歌が詠まれたのは立秋、それにこの歌の風趣からしてそのような凄まじい風はそぐわないように思われます。
 案外、涼を運んでそよと吹くような微風だったとも考えられるのです。ですから本来は風音など聞こえないはずです。しかし藤原敏行は心の耳でしかと風の音を聞いた、それは秋の気配を感じさせて思わずハッと驚かされる確かな音だった…。

 (大場光太郎・記)

(筆者註)大場光太郎氏:http://be-here-now.cocolog-nifty.com/about.html
神奈川県厚木市在住。
山形県東置賜郡宮内町(現南陽市宮内)出身
自宅にて行政書士事務所開業満12年。
趣味は読書、詩、俳句など。
森羅万象探求者(雑学大好き人間)。



さ~て、この古今集の‘名和歌’をどうやって‘名俳句’に転換するか?

兎に角、‘14文字’を削らねばならない!

 最後の‘14文字’を単純に‘カット’してしまえば・・・、

 秋来ぬと目にはさやかにみえねども

となった、俳句の‘5、7、5’にはなるが、‘それがどうした!?’である。

 上述の解説にあるように、‘視覚と聴覚’の対比で‘聴覚優位’を出さねばならない。しかも‘秋’という、そんな直接的‘季語’を使っていいのだろうか? でも取敢えず・・。

目に見えぬ風の音聞き秋を知る

これじゃあ、小学生の‘作文’である。

 少し勝手に情景を変化させてみる。

微睡(まどろ)みて風の音にぞ秋を知り

まだまだ‘文学’に到達しない!

 もっと「イマジネーション」を働かせて・・。

名月や風の音から教えられ

これも駄作。解説なしには判らない!全く元和歌の雰囲気は無い!

⑤ それならと、いよいよ‘盗作’!

秋風や根岸の里の侘び住まい

これじゃあ、何の意味もない!

 いい加減に‘力作’を・・。

名月もきっと驚く風の音

名月も人も驚く風の音

目に見えぬ風の音こそ秋運び

風の音名月さえも驚かせ

名月と語り始めた風の音

秋来ぬと思わせぶりな風の音


ああ、これじゃあ、俳句の‘は’の字にも辿りつけない!

 最後に芭蕉の句の作り替えを

身にしみて大根からし秋の風  はせを

身にしみて音だけを聞く秋の風  Kissy


(つづく)

次回は、芭蕉の「古池や・・・」を和歌に変身!













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