香取神宮と鹿島神宮(その1):事前調査ー3(香取神宮と鹿島神宮の概要)
香取神宮と鹿島神宮の概要

‘神宮’は、‘神社’より`位’が高い?

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1317957268

神社と神宮

1 神社と神宮、どう違うのでしょうか?

神社と神宮の区別はこう考えるとわかると思います。

神社=神様が降りてくるところ。用が済めばお帰りになる
神宮=神様が常駐しているところ

神社の「社」は「やしろ」と読みますが、屋代(やしろ)とも書き、これは結界を表します。結界とは神様が降りてくる場所で、紐などで囲った領域をいいます。家を建てるときに執り行う地鎮祭などで、竹を四隅に配し、紐をかけた光景を見ますが、これが社(結界)です。地鎮祭はここに神様をお呼びして、建物を建てる土地を浄化する行事です。

社は神様が降りてはきますが、用が済めば帰ってしまいます。できればいつもいて欲しいと思うのが人情。そこで、神社にお宮(御屋=おみや)を置くことになります。お宮とは神様の住居。家を提供することで神様に常駐していただくのです。

http://www.tamagoya.ne.jp/potechi/b/archives/2008/01/1155.php

2 神社の称号について教えてください

神社の称号には、「神社」といわれる他に「神宮」「宮(ぐう)」「大社(たいしゃ)」「社」などがあり、各々の神社の由緒に基づいて定められています。

「神宮」という称号は、明治神宮や熱田神宮、平安神宮のように、皇室と深いつながりをもつ神社であるとか、天皇を御祭神としてお祀(まつ)りしている神社に用いられます。ただし、単に「神宮」と称した場合は、伊勢神宮のことをさします(「伊勢神宮」は通称であり、正式な名称は「神宮」です)。

「宮」の称号は、八代宮や井伊谷宮(いいのや)のように、親王をお祀りしている神社に用いられます。 なお、東照宮や天満宮、八幡宮のように慣習的に称号を用いる例もあります。

「大社」の称号は、かつて官国幣社(かんこくへいしゃ)制度があったときには、出雲大社のことをさしました。しかし、戦後になってからは、春日(かすが)大社や住吉大社のようにこの称号を用いる神社が増えました。これらの神社は、いずれも旧社格が官幣(かんぺい)大社、国幣(こくへい)大社の神社です。

「社」の称号は、大きな神社から御祭神を勧請(かんじょう)した神社に用いられ、神明社や天神社などがあります

http://www5e.biglobe.ne.jp/~hikawa-j/situgi/zinjatosaizin/zinzyatos...


(1)香取神宮の概要

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http://www.katori-jingu.or.jp/goyuisyo.htm

香取神宮

香取神宮の御由緒ー2
http://hirohi.cocolog-nifty.com/hirohi1/2008/03/post_2b99.html

鎮座地

千葉県香取市香取1697
※平成18年3月27日佐原市・小見川町・栗源町・山田町が合併し、「香取市」が誕生。
(旧:千葉県佐原市香取1697)

御祭神

経津主大神(ふつぬしのおおかみ)
<又の御名伊波比主命(いはひぬしのみこと)>

例祭日

4月14日 勅祭

御祭神の神話

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左:鹿島祭神 右:香取祭神

皆さんは、出雲の国譲りの神話をご存じでしょうか?
  香取の御祭神経津主大神(ふつぬしのおおかみ)は、この神話に出てくる神様なのです。
 神話の内容は、はるか昔、天照大神(伊勢神宮・内宮の御祭神)が日本の国を治めようとしましたが、荒ぶる神々が争い、乱れていました。
 大御神は八百万神に相談すると、天穂日命(あめのほひのみこと)がすぐれた神であるということで遣わされましたが、  出雲国の大国主神(おおくにぬ しのかみ)に従ってしまったので、次に天稚彦(あめのわかひこ)が遣わされました。 天稚彦もまた忠誠の心なく、 顯國玉神(うつしくにたまのかみ)の娘の下照姫(したてるひめ)を妻として、自ずから国を乗っ取ろうとしましたが、亡くなってしまいました。
 このようなことが二度つづいたので、大御神が八百万神に慎重に相談させると、神々が口を揃えて、経津主神こそふさわしいと申し上げました。 そこへ武甕槌大神(たけみかづちのかみ・鹿島神宮の御祭神)が申し出られたので、 共に出雲に派遣されることになりました。
 経津主、武甕槌の二神は出雲国の稲佐の小汀(いなさのおはま)に着いて十握剣(とつかのつるぎ)を抜いて逆さに突き立て、武威を示されると 大国主神は大御神の御命令に全く異議はありませんということで、平国の広矛(くにむけのひろほこ)を受け取り、二神は日本の国を平定して、大御神の元へ復命されたのです。

御神徳

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古くから国家鎮護の神として皇室からの御崇敬が最も篤く。特に『神宮』の御称号(明治以前には伊勢・香取・鹿島のみ)を以て奉祀されており、中世以降は下総国の一宮、明治以後の社格制では官幣大社に列し、昭和17年、勅祭社に治定され今日に至っています。
 奈良の春日大社、宮城の鹽竈神社を始めとして、香取大神を御祭神とする神社は全国各地に及んでいて、広く尊崇をあつめています。
 一般からは家内安全、産業(農業・商工業)指導の神、海上守護、心願成就、縁結、安産の神として深く信仰されています。さらに、その武徳は平和・外交の祖神として、勝運、交通 安全、災難除けの神としても有名です。

式年神幸祭

神幸祭は毎年4月15日に行われておりますが、12年に一度の午年には15・16日の両日に掛けて盛大理に執り行われます。
元は式年遷宮大祭の名で20年に一度行われていたとされていますが、戦国時代以降、式年遷宮が行われなくなり、替わって12年に一度ずつ神幸祭を行うことになり今日に至ったとされています。
現在、15日は御神輿を中心として氏子数千余名の奉仕員が行列を組み神宮を出発し津宮へと進み、利根川沿いの鳥居河岸より御座船に移り船上祭、ついで鹿島神宮による御迎祭が行われた後、利根川を遡り佐原河口へ御上陸し御旅所に御駐泊。翌16日も同様に行列を組み、市内を巡幸し、陸路を神宮へ還御というかたちで斎行されています。

国宝『海獣葡萄鏡』

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 直径29.6cm、縁の高さ2cm、重量4560g、白銅質の円鏡で、葡萄唐草を地紋とし、唐獅子のつまみを中心に獅子・馬・鹿・麒麟などの獣類や孔雀・鴛鴦・鳳凰・鶏などの鳥類、さらには昆虫などを配しています。

 正倉院御物及び四国大山祇神社の神鏡とを合わせて『日本三銘鏡』と称され、昭和28年に国宝に指定、千葉県の工芸品で唯一の国宝です。

要 石(かなめいし)

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古くより、この地方は大変地震が多く、人々はとても恐がっていました─これは、地中に大きなナマズが住み着いて荒れ騒いでいるのだと。香取・鹿島両神宮の大神様等は、地中に深く石棒を差し込み、大ナマズの頭尾を刺し通されたといいます。当神宮は凸形、鹿島は凹形で、地上に一部を現し、深さ幾十尺と伝えられています。貞享元年(一六八四)水戸光圀公が当神宮参拝の折、これを掘らせましたが根元を見ることが出来なかったといわれています。



http://hirohi.cocolog-nifty.com/hirohi1/2008/03/post_2b99.html
香取神宮 ~ 豆知識編

香取神宮に祀られている神様は、「経津主大神(ふつぬしのおおかみ)」という神様です。

日本書紀によると、この神様は「国譲り」の話の中に出てくる神様です。
どんな話かというと...
はるか昔、天照大神(あまてらすおおかみ)が葦原中国(あしはらなかつくに:地上=日本のこと)を治めようとしましたが、地上では荒ぶる神々が争いをやめず非常に乱れていました。

そこで天照大神は八百万神を集め話し合いを行い、葦原中国の国造りを行った出雲国の大国主神(おおくにぬしのかみ)から地上の国を譲ってもらうため、まず天穂日命(あめのほひのみこと)、つづいて天稚彦(あめのわかひこ)を派遣しますが、いずれも大国主神に従ってしまい、失敗してしまいます。

事態を重くみた八百万神はもう一度慎重に話し合いを重ねた結果、経津主大神が最もふさわしいという結論に達しました。
そこへ武甕槌大神(たけみかづちのかみ・鹿島神宮の御祭神)が申し出で来たので、 二神で出雲に派遣されることになりました。

経津主大神は武甕槌大神と共に出雲国に降臨し、十握剣(とつかのつるぎ)を抜いて逆さに突き立て、国を譲るよう説得します。
結局、大国主神は大御神の命令に全く異議はありませんということで、二神に平国の広矛(くにむけのひろほこ)を差し出し、二神は日本の国を平定することができたとのことです。

その後、二神は国内を巡行し、荒ぶる地上の神々を平定して日本建国の基礎を築いたという、建国の大功神なのだそうです。
そういう神様を祀る香取神宮の御利益は、勝運、開運はもちろん家内安全、産業(農業・商工業)指導、海上守護、心願成就、縁結、安産、交通安全、災難除け等非常に多岐にわたります。

香取神宮の創建は定かではありませんが、言い伝えによると紀元前643年だそうです。
経津主大神は「香取大神」とも呼ばれたりするんですが、こういう古い歴史を持つことに由来するのでしょう。
今でこそ「神宮」と名のつく神社はたくさんありますが、平安時代から江戸時代までは「伊勢神宮」、「鹿島神宮」とこの「香取神宮」の3社のみだったそうです。
この3社をして「三大神宮」と呼ぶこともあります。

伊勢神宮は別格としても、香取神宮は由緒正しき神宮と言えるのではないでしょうか。

香取神宮では年間を通じて様々な祭事が行われていますが、特に大きな祭りは12年に1度行われる「式年神幸祭(しきねんじんこうさい)」でしょう。
毎年4月15日には神幸祭が行われるのですが、12年に1度の4月15日と16日の2日間にわたって行われる行事はかなり大がかりなものらしいです。
約3000人以上に上る人々が昔の装束をまとい、長蛇の行列が香取神宮を出発、佐原の街を練り歩き、船に乗り利根川を渡る。
佐原駅の近くで一夜を明かしたのち、2日目は佐原の諏訪神社、八坂神社を経由して香取神宮に戻ってくるというものらしいです。
前回は2002年に行われたそうなので、次の式年神幸祭は2014年4月、つまり6年後ということになります。



2)鹿島神宮の概要

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http://www.kashimajingu.jp/wp/jingu/jingu01
御由緒

鹿島神社御由緒
遙かな神代の昔、高天原(たかまのはら)の八百万神(やおよろずのかみ)達は、我が国を「天孫(すめみま)(天照大御神(あまてらすおおみかみ)の御孫)の治める豊葦原瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに)」とすることを決められ、これに先立ち、まず国中の荒ぶる神々や夜も昼も騒がしい世の中を言向(ことむ)け平定(やわ)することが先決であると衆議一決しました。

御祭神

鹿島神宮 御祭神
「古事記」「日本書紀」によりますと、武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)は、宇宙自然の創世に成りませる陰陽の神、イザナギ、イザナミの両神より生まれた火の神カグツチより誕生された、とされています。即ち原初の自然創世の頃に成りませる神であります。

宝 物 :直刀

直刀は、数ある鹿島神宮の宝物の中でも随一のものであり茨城県唯一の国宝であります。鹿島の大神が神武天皇に降ろされたふつのみたまのつるぎは、別名平国剣(ことむけのつるぎ)とも言われ、一振すればたちまち国中が平穏になるという霊剣で、この御剣の御力により神武天皇は日本の建国を果たされました。
この御剣は宮中に祀られ、崇神天皇(すじんてんのう)の御代に、大和の国石上神宮に祀られ、現在に至るまで国の鎮めとして崇拝されております。
神として祀られたふつのみたまのつるぎに擬して鹿島の大神の佩力(はいとう)として鍛えられたのが当宮に伝わる直刀であります。
奈良時代に鍛造(たんぞう)されたと推定される直刀のとっての長さは271センチの長大なものであり、鍛錬(たんれん)の完成度、高い技術力には驚嘆させられます。

直刀
ふつのみたまのつるぎ

重要文化財 梅竹蒔絵鞍
重要文化財 梅竹蒔絵鞍

要石(かなめいし)


要石が地震を起こす地底の大鯰(おおなまず)の頭を押さえているから、鹿島地方では、大きな地震がないと伝えられています。

●要石は見かけは小さいが、実は地中深くまで続いている巨岩です。地上の部分は氷山の一角です。
水戸の徳川光圀公(みつくに)が、要石の根本を確かめようと、七日七晩この石の周りを掘りました。でも、掘れども掘れども、掘った穴が翌日の朝には元に戻ってしまい、確かめることできませんでした。さらに、ケガ人が続出したために掘ることをあきらめた、という話が【黄門仁徳録】に伝えられています。
●現在は、要石の下には鯰(ナマズ)がいると言われていますが、始めごろまでは龍(りゅう)がいると言われていました。

鹿島神宮の要石

●万葉集(まんようしゅう)に、香島の大神おおかみ)がすわられたと言う、石の御座(みまし)とも古代における大神奉祭(おおかみほうさい)の岩座(いわくら)とも伝えられる霊石(れいせき)です。
●地震歌を一首
ゆるぐとも よもや抜けじの 要石
鹿島の神の あらんかぎりは



http://hirohi.cocolog-nifty.com/hirohi1/2008/05/post_087a.html
鹿島神宮 ~ 豆知識編

先日鹿島神宮へ行ってきました。
前回報告した訪問編に続き、今回は豆知識編をお送りします。
鹿島神宮に祭られている神様は「武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)」です。

鹿島神宮 大神

前回の香取神宮のときにも触れましたが、日本書紀に出てくる国譲りの話によると香取の神である「経津主大神(ふつぬしのおおかみ)」の副神として日本の国を平定したのだそうです。
参考 : http://hirohi.cocolog-nifty.com/hirohi1/2008/03/post_2b99.html

ところで、日本書紀と古事記ではこの「国譲り」の話が一部違っているのをご存知でしょうか?
日本書紀では武甕槌大神は経津主大神の副神として出雲の国に降りていきますが、古事記では経津主大神は出てきません。
古事記においては武甕槌大神がこの話の主役であり、天鳥船神(あめのとりふね)を従えて出雲の国に降りていき、大国主命(おおくにぬしのみこと)を説得し、葦原中つ国(地上の国=日本)を平定するのです。
日本書紀と違い、古事記の方では武甕槌大神は主役級の扱いですよね。
まあ、神話なのでそもそもどちらが正しいか論じてもしょうがない気もしますが、同じお話なのに登場人物が違うというのも興味深い話です。
どうしてこうなったのか知っている方いらっしゃったら教えてください。
こういうことから、ここの御利益についても香取神宮と似たようなものとなります。
すなわち、必勝成就、旅行安全、五穀豊穣、殖産、安産、事業の創造、新規開拓、開運等様々な御利益があるそうです。

鹿島神宮本殿とご神木
    ↑鹿島神宮本殿とご神木

鹿島神宮がいつできたかについても、香取神宮と同様定かではありませんが、社伝によると紀元前660年だそうです。

香取神宮が紀元前643年なので、それより17年前ということになります。

かなり眉唾ものですが、関東では最も古い神社ということになるらしいです。
もっともその頃の日本は弥生時代なので、少なくともこんな立派なお社は無い筈ですが...
鹿島神宮の年間行事も約90あるそうなんですが、最も大きなお祭りは12年に1度行われる「式年大祭御船祭」だそうです。
正式には「式年神幸祭」と言うのですが、これって香取神宮で行われるのと同じじゃないですか?
行われる年は午の年ということなので、次回は6年後の平成26年ということになるんですが、これも香取神宮と同じじゃないですか。
それもそのはず、前回は書きませんでしたが、このお祭りは鹿島の神と香取の神が12年に一度会うというイベントなのです。

ただ、ひとつだけ納得いかないのがそれぞれのお祭りが行われる日程。
平成14年の例で言うと、香取神宮が4月15日、16日の2日間だったのに対し、鹿島神宮は9月1日と2日の2日間だったのです。
お互い全く違う日にやっても意味ないじゃん。
わざわざ舟にまで乗って霞ヶ浦(北浦)の沖合で出会うはずなのに、5ヵ月も日程が違うなんてかなりボケボケじゃないの?
っていうか、誰もこのことに関して疑問を持たないのでしょうか?


これで、‘事前調査’は終了!

これだけの予備知識さえあれば、両神宮の重要ポイントは見逃すこともあり得まい。

両神宮の‘パワースポット’は、凸凹の‘要石’が中心かも知れない!

その場所での‘気’を本当に感じる執ることが出来るのだろうか?

(つづく)























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[2012/10/11 22:45] | 学習と文化 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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