語源探し:(その2)‘すき焼き’
日本語を普通に使っていて、そんなに気がつかないが、‘すき焼き’という言葉は、よ~く考えてみると何故‘すき’がつくのだろうか?

すき焼き
http://www.kobebeef.co.jp/shop/suki.html

鉄の鍋が何処にでもあった訳ではない時代に‘鋤’の上でお肉を炒めて食することが流行ったから、それで‘鋤焼き’と言うようになった、とたしか教わったことがある。小学校の時だったから、もう60年も以上前のことである。

鋤、鍬、鎌-thumb-autox340-560 (1)
http://www.rentall-oyama.com/item/2010/12/post-388.html
鋤、鍬、鎌

本当だろうか?

改めて、web で調べてみたい。Wikipedia では以下のように解説してある。

先ずは、‘すき焼き’の‘定義(?)’から・・・。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81
%99%E3%81%8D%E7%84%BC%E3%81%8D

すき焼き鋤焼、すきやき)は、薄くスライスした食肉や他の食材を浅い鉄鍋で焼いてたり煮たりして調理する日本の料理である。調味料は醤油、砂糖が多用される。
一般的なすき焼きは薄切りにした牛肉が用いられ、葱、春菊、椎茸、焼き豆腐、シラタキなどの具材(ザクと呼ぶ)が添えられる。味付けは醤油と砂糖が基本である。溶いた生の鶏卵をからめて食べることもある。しゃぶしゃぶの薄切り肉は熱湯にくぐらせるだけで食べられるほど薄いが、すき焼きの薄切り肉はしゃぶしゃぶに用いる肉よりも厚いことが多い。
合わせ調味料の割下を用いた甘辛い味付けの料理の総称として「すき焼き風」という呼称も用いられる。


上記の通り、‘鋤’と言う文字が使われている。60年以上も前の情報もそんなに的外れの情報ではなかったらしい。さらに、下記引用文にきちんと説明がしてある。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%9
9%E3%81%8D%E7%84%BC%E3%81%8D

歴史 [編集]

鋤焼

日本では幕末になるまで、牛肉を食べることは一般には行われていなかったが、別に「すきやき」と称された料理は存在していた。古くは寛永20年(1643年)刊行の料理書『料理物語』に「杉やき」が登場しており[1]、これは鯛などの魚介類と野菜を杉材の箱に入れて味噌煮にする料理である。さらに享和元年(1801年)の料理書『料理早指南』では、「鋤やき」は「鋤のうへに右の鳥類をやく也、いろかはるほどにてしょくしてよし」と記述されている。また、文化元年(1804年)の『料理談合集』や文政12年(1829年)の『鯨肉調味方』にも具体的な記述が見られ[1]、使い古した鋤を火にかざして鴨などの鶏肉や鯨肉、魚類などを加熱する一種の焼き料理であった[2]。他にも、すき身の肉を使うことから「すき焼き」と呼ばれるようになったという説もある。この魚介類の味噌煮の「杉やき」と、鳥類・魚類の焼肉という「鋤やき」という二種類の料理が、「すき焼き」のルーツとして挙げられている[1][3]。

すき焼き

安政6年(1859年)の横浜が開港後、居留地の外国人たちから食肉文化も入ってきた。日本に肉牛畜産の産業がなかったため、当初は中国大陸や朝鮮半島あるいはアメリカから食用牛を仕入れていた。しかし居留地人口の増加に伴い牛肉の需要が増加し、のちに神戸の家畜商が横浜へ食用牛を搬送するようになった[4]。このような状況をうけて、幕府は元治元年(1864年)居留地に指定されていた海岸通 (横浜市)に屠牛場の開設を認めた。
1869年神戸に、牛肉すき焼き店「月下亭」が開店した。
関西では先に焼いた牛肉を砂糖・醤油で調味する「すき焼き」が行われており、関東大震災で牛鍋屋が被害を受け多くの店が閉店し、震災後に関西から進出したすき焼屋が牛鍋をアレンジして関東風すき焼きを作り上げ、「すき焼き」という呼称も広がっていった[3][5]。

牛鍋

ぶつ切り牛肉を使った牛鍋
屠場開設から二年遡った文久2年(1862年)に横浜入船町で居酒屋を営んでいた伊勢熊(いせくま)が一軒の店を二つに仕切り、片側を牛鍋屋として開業したのが最初の事例とされる[6][1]。幕末期、開港場の横浜では牛肉の煮売り屋台があった。1867年江戸の芝で珍しい牛肉屋を開いていた中川も牛鍋屋を開業した[3]。明治元年(1868年)、高橋音吉が「太田なわのれん」を創業し、当時主流の味噌煮込み風牛鍋であった[7]。同年、横浜につづき東京の芝にも外国人向け屠牛場ができると牛鍋屋の流行は飛び火し、以後牛食は文明開化の象徴となった[8]。
幕末から明治時代初期の牛肉は質が低く固くて獣臭さが目立ち、それらを緩和するため関東の牛鍋はぼたん鍋や紅葉鍋に類似した内容で、具材は牛肉の薄切り肉を使うことが定着しておらず、角切り肉を使う場合もあり、野菜はネギのみで味噌仕立ての味付けで煮る・炒め煮にする調理法が主流で[6][3][2][5]、ネギを五分の長さに切ったことから明治初期には具材のネギが「五分」と呼ばれたこともあった[9]。明治初期の「牛屋(ぎゅうや)」の牛鍋もこうした味噌鍋が主流であった。しかし、肉質が良くなるにつれて、関東の味付けは味噌から醤油と砂糖などを調合したタレ(割下)が主流になっていった[3][2]。
仮名垣魯文はこうした状況を『安愚楽鍋』(1871年)[10]で「士農工商老若男女賢愚貧福おしなべて、牛鍋食わねば開化不進奴(ひらけぬやつ)」と表現していた[11]。1877年の東京における牛鍋屋は550軒を超えるほどであった[3]。
1887年(明治20年)頃になると、具材において牛肉や野菜の他に白滝や豆腐が使われ始め、ネギはザクザクと切ることから「ザク」と呼ばれ、この「ザク」という言葉は具材全体の総称にもなっており、これらを沢山の割下で煮た牛鍋が関東風すき焼きの原型となった[9][8]。

坂本九のSUKIYAKI (上を向いて歩こう) [編集]

アメリカ合衆国では、1963年に坂本九の曲『SUKIYAKI(原題・上を向いて歩こう)』が大ヒットした。曲名の由来はすき焼きが日本を代表する料理であり、またレコード会社の社長が日本で食べた「スキヤキ」が旨かったからであるとされる。同曲は、1963年6月15日にはビルボードおよびキャッシュボックスの第1位にランキングされた。日本人の歌がアメリカでヒットチャートのNo.1になったのは、現時点でこの曲だけである。


松茸すき焼き
まだ味わったことが無いが、‘松茸すき焼き’、堪えられんでしょうね!

(つづく)


















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