新年になると必ず登場する画像は、御来光と富士山である。
![]() http://hrd911.blog.so-net.ne.jp/2013-01-01 お借りした貴重な写真:2013年の元旦。場所は、Kawaguchiko とある。 自分で撮った写真は、以下の画像である。 ![]() 2013年01月01日10:17 場所:千葉県茂原市千沢・赤目川に架かる赤目橋の上からの富士山 かっこの良さ加減からすると前出のお借りした写真に比べ何倍も見劣りがするが、この写真には数々の深い想いが秘められているので、我々‘関係者’にとっては、極めて意義深い物がある。 ![]() http://www.photo.zekkei.com/archives/680.html やはり姿・形としては、此方の方が抜群によろしい! 富士山の魅力とは何なのだろうか? 富士山は、見る人、撮る人、描く人、彫る人、そして登る人それぞれが、その魅力を感じている。 先ずは富士山の基本データから。
これだけでは、魅力は感じられない。 ① 富士山を見る 直接富士山を見ると、その美しさに感動する。先ずは形がいいから。そして丁度いい具合に積雪がある。この積雪の具合でその魅力度は異なる。積雪がほとんど見えなくなる‘夏の富士’は、勿論それなりに美しくはあるが、雪化粧をしている時の美しさを知っているだけに、何だかがっかりする。丁度‘すっぴんの年増'を見ているようで何とも戴けない。 ![]() http://www.clickart.jp/free_detail.php?id=af9980015540 私は、九州の炭鉱町出身だから、ついつい‘ボタ山’が連想されて、余計な感情まで入ってしまう。 ② 富士山を撮る 富士山を撮る場合、98%まで‘他人に静止画や動画を見せて自慢する’気持ちが働いているから、どうしても見て呉れの良い写真や動画にしたいという‘見栄っ張りの意識’が働く。これは富士山には大変失礼なことだが仕方がない。丁度見合い写真を撮る心境なのだろう。 勿論、‘記録’としての撮影もあるから、その動機が違えば自ずから被写体の富士山も別の角度なりクローズアップされたりで一見しただけでは富士山とは判らない画像もあり得るだろうが、今度はその画像を見る方の態度によって不中¥持参の意味が変わって来る。 先程のように‘雪化粧なしの富士山’を撮る場合、シルエットにしてしまえば、鑑賞する方で勝手に素晴らしい富士山を想像してくれるから問題ない。 ![]() http://www.yunphoto.net/jp/photobase/yp9505.html ③ 富士山を描く 現在 or 少し前に時代において、富士山を描いて彼の右に出る人はいないだろう。 ![]() http://www.ddart.co.jp/okumurafuji4.html 奥村土牛 この絵は、額縁に入れて生きて来るように計算されているらしい。額縁の選定を誤ると絵画の価値が低下してしまう。
④ 富士山を彫る 富士山の彫刻がないのは不思議である。何故なのだろうか? その代わり‘版画’は多い。 ![]() 北斎 赤富士
⑤ 富士山に登る 私は富士山にまだ登ったことがない。何合目かは忘れたが、車で行けるところまではいってみたが、それでは富士山の魅力を味わう事は出来ない。 富士山登山のもう一つの目的は、御来光を見ることにある。‘どうせ一回しか登らないのなら御来光を’と思い立っての登山が、その魅力に負けて二度三度となるという。 ![]() http://fujisan.yamakei.co.jp/fujitrivia.html
以上、色々な立場からの富士山万歳!を見て来たが、富士山が被写体になるのは一日に何回ぐらいだろうか? 一万回どころではないに違いない! 100万回?それとも1,000万回?? こんな富士山に出会えたら、私一人でも100ぐらいシャッターを切るかもしれない。 ![]() http://www.jalan.net/jalan/doc/theme/yadolog/men/men_0000819282.html (つづく) スポンサーサイト
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