橘樹神社と御神籤について
毎年元旦には、市内の‘橘樹神社’(たちばなじんじゃ)へ初詣に出かける。ここは規模はそう大きくはないが由緒正しき神社である。

橘樹神社
http://nobyama.com/tachibana_album.htm
橘樹神社の一の鳥居

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A9%98%E6%A8%B9%E7%A5
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橘樹神社(たちばなじんじゃ)は、千葉県茂原市本納にある神社。式内社、上総国二宮。旧社格は県社。神紋は「橘」。
古くは「橘神社」・「橘木神社」とも記された。現在は「橘樹」の2字で「たちばな」と読む。

祭神 [編集]

主祭神
弟橘比売命 (おとたちばなひめのみこと)


相殿神
日本武尊 (やまとたけるのみこと) - 弟橘比売命の夫
忍山宿禰 (おしやまのすくね) - 弟橘比売命の父


概史 [編集]
社伝では、日本武尊が東征した際、相模から上総へ渡ろうとした時に海上で暴風に遭った。弟橘媛が海に身を投じて日本武尊の難を救ったことから、日本武尊が弟橘媛の御陵を作り、弟橘媛の櫛を納めて、橘の木を植えて祀ったのに始まると伝える。『古事記』には「七日の後、その后の櫛海辺に依りき。すなはちその櫛を取りて御陵を作り治め置きき。」[1]とあり、これが当社のことであるという。また『日本書紀』では、「さらに相模においでになって、上総に渡ろうとされた。海を望まれて大言壮語して、こんな小さい海、飛び上ってでも渡ることができよう、と言われた。(中略) こうして、日本武尊は上総より転じて陸奥国に入られた。そのとき大きな鏡を船に掲げて、海路をとって葦浦(鴨川市吉浦)を廻り玉浦(九十九里浜)を横切って蝦夷の支配地に入られた。」[2]とあり、この時祀られたのが由来とされる。
国史の初見は、『日本三代実録』元慶元年(877年)5月17日条、従五位勲五等の橘樹神に正五位下の神階を授けるという記述である。元慶8年(884年)7月15日、正五位上の神階が授けられ、日本武尊・忍山宿禰が合祀された。『延喜式神名帳』には「上総国長柄郡 橘神社」として記載され、小社に列している。その後、延宝8年(1681年)に正一位を授けられた。
中世には当社周辺に社領・橘木荘(のち二宮荘)を有した。
明治6年(1873年)近代社格制度において県社に列した。


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今年は例年に比べて初詣の人達が多い。

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拝殿まで延々と列が繋がっている。その長さおよそ150m以上。

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今年初めて見る‘日の丸’も何だか活き活きしている。‘翩翻と翻る’の形容どうりである。

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ここが、神社名にもなった橘の木。

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蜜柑よりも一寸小さめで、キンカンよりは少し大きい実がなっている。味はどうなのだろうか?

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橘の‘紋’が見える。

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拝礼の仕方「二拝、二拍手、一拝」と書いてあるから皆そうしている。

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境内の‘桜’(種類・名前は判らないが、断じて‘梅’ではない!??)がもうほころんでいる。

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参拝客も何だかスッキリしている。

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御神籤を引く人達は皆がみんな‘大吉’を期待している。

私も遂に今年は‘大吉’だった!

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持ち帰って来た‘大吉’の御神籤


‘おみくじ’の名前の由来についての知識は余りないが、何となく‘くじ’に丁寧・尊敬語の‘み’がついて、更に丁寧・尊敬語の‘お’がついたのだろうか?程度の予測だけはあった。‘おみおつけ’=‘御御御付け’という味噌汁の丁寧語という感覚である。

調べてみて驚いた! こんなにも沢山な表現方法があるのである。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%
E3%81%BF%E3%81%8F%E3%81%98

おみくじお神籤・お御籤・お仏籤・御神籤・御御籤・御仏籤・おみ籤またはみくじ・神籤・御籤・仏籤(みくじ))とは神社・仏閣等で吉凶を占うために引く籤である。「みくじ」は「くじ」に尊敬の接頭辞「み」をくわえたもので、漢字で書くときは「御籤」とするか、神社のものは「神籤」、寺のものは「仏籤」とする。ただし厳密には問題があるが、区別せず「神籤」とすることもある。現在ではみくじ箋(みくじ紙)と呼ばれる紙片を用いるものが一般的である。


上記引用文献の中の‘御御籤’が‘御御御付け’に当たるのだろう。‘神社のものは「神籤」、寺のものは「仏籤」’というのも面白い! 都合のよいように勝手に変える、という発想法がとてもいい!

更に、その歴史はというと、次のように解説してある。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%8
1%8A%E3%81%BF%E3%81%8F%E3%81%98

歴史 [編集]

古代においては国の祭政に関する重要な事項や後継者を選ぶ際に神の意志を占うために籤引きをすることがあり、これが現在の神籤の起源とされている[1]。現在の神籤は参詣者が個人の吉凶を佔うために行われるもので、これは鎌倉時代初期から行われるようになった。当時は自分で籤を用意するのが一般的であった[2]


‘神の意志を占うために籤引きをする’等というのも‘素朴’でなかなか良い。これじゃあ神様に失礼なのかもしれないが、その屈託の無い素朴さが堪らなく純粋でよろしい。そしてそれで納得をするというのだからますますよろしい。
正に‘信じる者は救われる’である。

また、この‘おみくじ’は、一体誰が創っているのであろうか?の疑問に対しては次のような解説がある。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%
E3%81%BF%E3%81%8F%E3%81%98

奉製 [編集]
現在、おみくじの7割近く女子道社(山口県周南市)によって奉製され[3]、英語版は外国人観光客向け等に日本国内の寺社に奉製されるほかハワイなど日本国外への輸出も行われているが[4]、各神社寺院独自で奉製しているところもある。


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http://www.kanko-shunan.com/saihakken/josidousha.html
初詣、合格祈願、お祭りetc・・・皆さんも1度は神社やお寺にお参りに行ったときなどに、おみくじをひいたことがあるのではないでしょうか。それらのおみくじが、どこで作られているのかご存知ですか?

JR山陽本線徳山駅から車で北へ約40分、自然豊かな緑に囲まれ清流の美しい音が聞こえてくる周南市鹿野地域に、女子道社という会社があります。実は全国の神社仏閣においてあるおみくじの大半はここ女子道社で作られています。さらに驚くことに作業は全て手作業で行われているのです!主に近隣の農村の主婦たちによって、ひとつひとつ手折りで丁寧に仕上げられ、紙折り機など一切使わないその作業風景からは、創業当時の趣がそのまま伝わってきます。繁忙期には60~100人もの方が交代で作業し、ベテランの方になると1日に5,000~6,000枚のおみくじを折られるそうです。

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清流通りにたたずむ女子道社          全てのおみくじは手作業で折られる

女子道社の歴史は明治時代までさかのぼります。男尊女卑の風潮強い当時の世相にあって、先々代の二所山田神社の宮司宮本重胤さんは、神道には本来女性をけがれとみなす思想はなかったことから、女性神主の登用を提言し、女性参政権をいち早く訴えました。女性を対象とした全国組織『敬神婦人会』を設立し、女性の自立を主張、その教化の一環として明治39年機関誌『女子道』を発刊しました。そしてその資金源として考えられたのがおみくじであり、女子道社が創業されました。

心を込めて折られたおみくじは神社に祀られ、清めの儀式の後、日本全国だけでなく、遠くはハワイまで発送されます。おみくじの種類は全部で18種類。先々代が明星派、先代がアララギ派の歌人であったこともあり、和歌を織り込んだみくじをはじめ、金みくじ、赤みくじ、振り出し用みくじなどの他、外国人観光客や学生向けの和英文みくじ、催事・イベント用の開運みくじなど、時代の変化や人々のニーズに応じたおみくじを発案しています。また、羽車式みくじ機、電動式みくじ機などのおみくじ販売機の製造も行い、現在まで多くの神社仏閣へ納品しています。
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全国への発送を待つおみくじ

三代目宮司宮本公胤さんは「おみくじは占いではありません。たとえ、凶が出ても縁起が悪いと落ち込むことも、大吉が出て有頂天になることもありません。内容をよく読み、反省すべき点は反省し、励ましのお言葉として受け止め、日々努力を怠らないことが大切です。」とおっしゃられています。

文明が進んだ現代においても人々に愛され親しまれ続けるおみくじ。その理由は、手作業にこだわり、心を込めて作られていることにあるのかも知れません。



おみくじの中身は一体誰が作るのだろうか?

おみくじ当番の巫女さんに「大吉だから持ち帰ってもいい?」と聞いてみた。「お守りにもなりますから、ど~ぞ!」という嬉しい返事が返ってきた。


弟橘姫命御陵-2
http://nobyama.com/tachibana_album.htm
これが、主祭神 弟橘比売命 (おとたちばなひめのみこと)の御陵

東郷平八郎扁額-2
http://nobyama.com/tachibana_album.htm
拝殿にある伯爵・東郷平八郎直筆の扁額

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去年のお飾りやお札を燃やすための焚き火も赤々と燃えている。

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この焚き火の前にず~と座っておられる御老人にお話を聞いた。91歳になられるという。お元気そのものだ。ここ茂原市本納のお生まれだそうで、「大東亜戦争で、海軍だった。硫黄島付近で戦って九死に一生を得て帰還した。」そうである。‘火の番’を買って出られたのであろう。まだまだ100歳までは大丈夫そうだった。

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お店も沢山出ていて、何となく昔の風景が蘇って来る。


新年の初詣、御神籤、やはりいいもんである。

さあ、今年も頑張ろう!


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