日比谷公園
今日(2013年01月30日)久し振りに 日比谷公園 へ行った。日比谷公園の名前を知ったのは、もう60数年以上も前の事である。当時のNHKのど自慢がラジオ放送された時、‘日比谷公会堂’が主たる会場だった(多分?)からである。

私が小学校時代からずっ~と高校どころか学生の期間一杯、NHKのど自慢の司会者は‘宮田輝’アナだった。(1946年~1966年の20年間ほぼ一人で・・。)だから、‘のど自慢’と言えば‘宮田輝’と‘日比谷公会堂’という連鎖で思い出す。

東京都千代田区日比谷公園 日比谷公園 - Google マップ0001
Google マップ https://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&tab=wl
日比谷公園

或る友人と待ち合わせをしていたのであるが、中央線の遅延で30分ほど遅れるという電話があったため、それではと滅多に立ち寄らない日比谷公園に行ってみることにしたのである。

ここのところの寒さで公園散歩どころではないのだが、今日は東京の最高気温が14℃に達するという。これはもうコートが要らない陽気である!

時刻も14:30一番温かい時間帯である。日比谷公園では、何にも催しは行なわれていないが、兎に角、中に入ってみることにした。

帝国ホテルの方から入ろうとしたのだが、振り返ってみるとやはり帝国ホテルは素晴らしい!

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帝国ホテルについては、別途弊ブログでも取り上げてみたい。近々このホテル内に‘事務所’を持つことにした人が友人の中に居るからである。

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2013年01月30日 14:22 日比谷花壇の前である。 1月31日は、‘愛妻の日’とある。‘1’をローマ字の‘I’に見た立てて、‘愛’としたのだろうが、苦しいが、まあ面白い!

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噴水は、日比谷花壇から直ぐ近くである。今日も勢いよく水を吹き上げている。やはり、この噴水がないと日比谷公園は淋しい!

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ここは、噴水から日比谷公会堂の方に150mばかり歩いてきたところである。温かいからもう少し人がいるのかと思ったが・・・。

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此方は中央官庁の建物側である。大きな時計を見える。

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14:28 大時計も28分を指している。写真では、短針と長針が入れ替わっているように見えるが・・・。

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これが、日比谷公会堂である。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%AF%9
4%E8%B0%B7%E5%85%AC%E4%BC%9A%E5%A0%82

日比谷公会堂

沿革 [編集]

東京市長でもあり、中立な市政のための調査機関の必要性を訴えていた後藤新平の主張に安田善次郎が共鳴、当時としては巨額の350万円の寄附を得て、「市政調査会(市政会館)」およびそれに併設する公会堂として計画された。
建物は指名設計競技で一等となった佐藤功一の設計になるもので、1929年に竣工した。現在も同建物(市政会館)内に財団法人・東京市政調査会がある。ちなみに開場式で、新聞を破いた音が参加者全員に聞こえたという。関東大震災の教訓から、地盤は2000本を越す松材で固められている。
かつて、東京では事実上唯一のコンサートホールとしてプロフェッショナルのオーケストラの演奏会やリサイタルなども多く開かれたが、東京文化会館を皮切りにNHKホール、サントリーホール、東京芸術劇場、オーチャードホール、昭和女子大学人見記念講堂といったコンサート専用ホールやコンサートに使用可能な多目的ホールが整備されるに従い、コンサートホールとしての地位は低下して行く。講演会、イベントなど音楽会以外の利用が増え、クラシック音楽の演奏会はほとんど開催されなくなった。

戦前から政治演説会や国民(人民)大会が数多く行なわた場所でもある。1960年の浅沼稲次郎暗殺事件は、この日比谷公会堂における立会演説会での出来事である。
管理運営は、2006年(平成18年)4月1日より、日比谷野外音楽堂 とともに、東京都の指定管理者である民間企業グループにより行われている。


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公会堂の前には、先日の雪がまだ溶けずに残っていた。

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これは、公会堂の前からほぼ北側を見たところである。

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一つ上の写真の左側の木であるが、常緑樹ではないから、やはり寒そうに見える。春になればきっと新緑が美しいに違いない。

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ベンチのそばに‘野良猫’が出て来た!

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鋭い目つきであたりを警戒しているから、飼い猫ではない。

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此方の木には‘カラス’が留っている。

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餌を与えてはならないことになっているのだが・・・。

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一つのベンチに一人くらい割合で誰かが座っている。結構暖かい。

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此方の水飲み場には何かのメッセージがある。

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ここに丁度良い水道がある!ここぞとばかり、ギンナンを洗う人がいるのだろう。不心得もほどほどにして貰いたい。この看板も税金で・・・。

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日比谷公園内に‘立木’が多いのは、何故?前出の引用文献‘Wikipedia’によれば、<日露戦争に勝利すると、献木が盛んとなり、樹木が充実した>とある。

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これは由緒ある‘ハナミズキ’だそうだ。

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看板が示す通り、ワシントンへの桜の返礼のハナミズキの原木の子供という。

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14:35‘松本楼’の前の大銀杏。画面の銀杏の左下の‘黒い穴ぼこ’は、コントラストのいたずらで、本当は前を通る二人連れの‘頭s’。下の写真ご参照の事。

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確かに、二人連れの頭。頭が二つだから‘頭s’。

松本楼の大銀杏
http://blog.goo.ne.jp/super-buchou_2007/e/fc459d0751e452d06c0b972acae351ce
秋にはこんなに立派な銀杏の葉っぱが見られる。ここにギンナンがあるかどうかは知らないが、あるとすればここのギンナンを先程の水飲み場の水道で洗う輩がいるという訳である!距離的には約100m以内。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%9C%AC%E6%A5%BC
松本楼(まつもとろう)は、有限会社日比谷松本楼が運営する日本の東京都千代田区日比谷公園内にある洋風レストランである。

1903年に東京市が現在の日比谷公園を開園するにあたり、銀座で食堂を経営していた 小坂梅吉が落札し、日比谷松本楼として6月1日にオープンした。当時としては珍しい洋風レストランに人気が集まり、1906年秋には東京料理店番付で西の関脇に押し上げられたほどだった。
日比谷公園が日比谷焼打事件など、度々政治活動の舞台となっていたこともあり、バルコニーから憲政擁護の演説が行われた。

1923年に関東大震災により焼失。その後バラック住宅から復活し、これを機に小坂光雄が2代目社長となる。梅吉はその後1936年に貴族院議員に当選している。その後太平洋戦争に突入するまで、引き続き人気のあるレストランとして日比谷公園の顔になった。

しかし1942年に東京に空襲が始まると日比谷公園が軍の陣地となり、1945年2月、遂に松本楼が海軍省の将校宿舎となり、終戦後にはGHQ宿舎として接収され、約7年に渡り営業できない日々が続いた。1951年11月にようやく接収が解かれ、松本楼は再スタートを切る。

その後も日比谷公園で営業を続けていたが、1971年11月19日、沖縄返還協定反対デモが日比谷公園内で激化し、その中で左翼過激派学生の投じた火炎瓶が松本楼を直撃し、2代目建物も焼失の憂き目にあう。3代目松本楼のオープンは1973年9月26日と再建に約2年を要した。これを機に10円カレーが始まる(後述)。
3代目建物には結婚披露宴会場、大小の宴会場やフランス料理コースの個室など、様々なニーズに応えた設備も登場。2度の焼失にあいながらも1983年には創業80年記念に1日店長として森繁久弥を迎え、2003年には創業100年を迎え、現在に至っている。

第二次世界大戦前には、日本に亡命していた中華民国初代総統の孫文やインド独立活動家のラース・ビハーリー・ボース、また2008年には中華人民共和国の胡錦濤国家主席も来店した。文学の面では高村光太郎の智恵子抄をはじめ、夏目漱石、松本清張などの作品にも松本楼が舞台として登場し、時代を超えて公園の象徴的存在の一つであり続けている。

10円カレー [編集]

1971年の2度目の焼失では、警備員1人が犠牲になるなど被害も大きかった。歴史あるレストランが焼失したこの知らせに全国から再興の願いが集まり、3代目松本楼がオープンできた。店側はこれに感謝の意を示す記念行事として始めたのが、10円カレーセールである。通常は850円(2011年現在)のハイカラビーフカレーが、1973年以来毎年9月25日に限り、先着1500名に限り10円で振る舞われ、現在も毎年この日には大勢の来客があり、度々ニュースでも取り上げられている。なお、この売上は交通遺児育英会や日本ユニセフ協会、1995年には阪神淡路大震災の義援金として寄付されている。


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この池の名前は、‘雲形’池。

http://peepooblue.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-f556.html
日本初の洋風庭園である日比谷公園の南西寄りにあるのが雲形池です。こちらは翼を広げて天を仰ぐ鶴の噴水が有名です。東京美術学校の津田信夫・岡崎雪声両氏の共同制作によるものです。


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ここは、藤棚の下。春には見ものの一つ。

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http://blogs.yahoo.co.jp/hase21472006/32093841.html
春の藤。

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今は、春の訪れを待つばかり・・・。

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プロのカメラマンがこの池の何かを狙っている!一つ上の写真の左片隅に居る人だ!

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対岸にも凄~いカメラが何台も・・。一体何を狙っているのだろうか?

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藤棚の柱に注意書きが・・・。

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それなのに‘猫’が・・・。

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あれっ!これって、さっきの‘野良猫’??

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プロのカメラマンの後ろに回ってみたが、何を撮ろうとしておられるのかが判らない。

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こっちは、こっちでプロのカメラマンの右下から‘カモ’を狙ってみた!

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拡大。綺麗である!

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この‘雲形池’の名物、鶴の噴水!前出の通り、東京美術学校の津田信夫・岡崎雪声両氏の共同制作によるもの、という。

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この松もユニークな格好をしている! 名前などあるのだろうか? 右隅がプロのカメラマンであるが、シャッターなんか切った様子がない。一体どういう事??

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それじゃあ、こっちのど素人の私が、池の方にカメラを向けると、丁度良いことに‘緋鯉’がカモに近づいてきた!これはいいチャンス! 画素数を上げておいたので割に鮮明に撮れている。

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これが‘馬の水飲み用水道場’だそうだ。日比谷公園には、沢山あったのだそうだが、今はこれ一つのみ。

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http://photo.sankei.jp.msn.com/highlight/data/2011/10/01/12hibiya/
日比谷公園に2011年10月1日「自由の鐘」響く 約60年ぶり
 日比谷公園内にたつ「自由の鐘」が長く失われたままだった中心部の振り子の修復などが完了し、美しい鐘の音を響かせた。 自由の鐘は平和憲法を記念してアメリカから贈られた青銅製の高さ約1メートル、直径約1.2メートル、重さ約1トンの鐘。中心部の振り子が失われ、鐘をつるす高さ7.6メートルの塔も老朽化が進んでいた。 昨年末から東京都板橋区で浮世絵の美術館長を務める高田明さんの発案で募金が行われ、鐘の修復が行われた。


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由緒が英語で書かれている。

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此方は、修復の言葉。

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修復なった「自由の鐘」

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拡大。

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ひょっとして‘野菜’かも? 

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音楽堂。

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拡大。

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石桝という江戸時代の水道の溜まりらしい?

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これ今でも使えるかも?

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噴水のところまで戻ってきた。

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14:57 正に‘小春日和’といった陽気である。

この時携帯が鳴った! 打ち合わせ場所へ彼が到着したという。丁度30分遅れ。お陰様で、約40分足らずの日比谷公園散策だったが、もうそこまで春が来ている感じがした。

(つづく)

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[2013/01/30 23:55] | 観光 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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