‘建国記念の日’とその‘の’の意義
本日(2013年02月11日)は、国民の祝日「建国記念の日」であって、「建国記念日」ではない。‘の’が入いるのである。

案外この‘の’の意味を知っている人が少ない!その理由は、‘決め方’に問題があったからである。

日本人独特の‘玉虫色’の決め方と言ってもいい。玉虫の羽は、光線の当て方の違いによりその色が緑色や紫色に見えたりすることから、考え方の基本が違えば解釈が違ってもいい、という正に日本人の‘都合の良さ’、もっと言えば‘無駄な論争をしない何事もこと無かれ主義’という日本人の‘性格の良さ’を示す。勿論、その反面‘優柔不断’とも非難されはするが・・・。

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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E
3%82%A4%E3%83%AB:Chrysochroa_fulgidissima_by_OpenCage.jpg

‘色’は、面白いもので、‘もの’そのものが‘色’を持っている訳ではない。その‘もの’に‘光線’が当たって、その跳ね返りの‘光(=反射光)’がその‘もの’の‘色’と思われているだけである。従って、当てる‘光線’が‘太陽光’のような‘白色光’でなければ‘反射光’もそれに伴って変わってくる。何故‘玉虫’が玉虫色’を反射するかについては、その理由も含めて後日別途解説する。

さて、横道にそれてしまったが、‘Wikipedia’にその決め方の詳細が次のように解説してある。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%BA%
E5%9B%BD%E8%A8%98%E5%BF%B5%E3%81%AE%E6%97%A5


「建国記念の日」と定められた2月11日は、かつての祝祭日のひとつ、紀元節であった。紀元節は、『日本書紀』が伝える初代天皇である神武天皇即位の日として、1872年(明治5年)に制定された[1]。この祝祭日は、1948年(昭和23年)に制定された国民の祝日に関する法律附則2項で、「休日ニ關スル件」(昭和2年勅令第25号)が廃止されたことに伴い、廃止された。
紀元節復活に向けた動きは、1951年(昭和26年)頃から見られ、1957年(昭和32年)2月13日には、自由民主党の衆議院議員らによる議員立法として「建国記念日」制定に関する法案が提出された。しかし、当時野党第一党の日本社会党が「建国記念日」の制定を「神武天皇即位の年月は、歴史上、科学的に根拠が薄弱であり、今後学問的検討を待って決定すべきではないか」「過去において、神武東征の物語りが、征略国家として支那事変、大東亜戦争において利用され、偏狭なる忠君愛国の教育とも相待って、日本の進路を誤まらせたものではないか」などと批判し、「建国記念日」の制定が保守政党の反動的行為であるという理論を繰り広げて反対した為[3]、衆議院では可決されたものの、参議院では審議未了廃案となった。
その後、「建国記念日」の設置を定める法案は、9回の提出と廃案を繰り返すも、成立には至らなかった。結局、名称に「の」を挿入した「建国記念の日」として“建国されたという事象そのものを記念する日”であるとも解釈できるようにし、具体的な日付の決定に当たっては各界の有識者から組織される審議会に諮問するなどの修正を行い、社会党も妥協。1966年(昭和41年)6月25日、「建国記念の日」を定める祝日法改正案は成立した。
同改正法では、「建国記念の日 政令で定める日 建国をしのび、国を愛する心を養う。」と定め、同附則3項は「内閣総理大臣は、改正後の第2条に規定する建国記念の日となる日を定める政令の制定の立案をしようとするときは、建国記念日審議会に諮問し、その答申を尊重してしなければならない。」と定めた。当の「建国記念日審議会」は、学識経験者等からなり、総理府に設置された。約半年の審議を経て、委員9人中7人の賛成により、「建国記念の日」の日付を「2月11日」とする答申が1966年(昭和41年)12月9日に提出された。同日、佐藤内閣は「建国記念の日は、二月十一日とする。」とした「建国記念の日となる日を定める政令」(昭和41年政令第376号)を定めて公布し、即日施行した。


そして、‘建国記念の日’そのものの概説は以下の通りである。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%BA%E5%9B
%BD%E8%A8%98%E5%BF%B5%E3%81%AE%E6%97%A5


‘建国記念の日’概説 [編集]

国民の祝日に関する法律(祝日法、昭和23年7月20日法律第178号)第2条は、建国記念の日の趣旨について、「建国をしのび、国を愛する心を養う。」と規定している。1966年(昭和41年)の祝日法改正により国民の祝日に加えられ、翌1967年(昭和42年)2月11日から適用された。

他の祝日が祝日法に日付を定めているのに対し、本日のみが「政令で定める日」と定められている(経緯は#沿革を参照)。この規定に基づき、佐藤内閣が建国記念の日となる日を定める政令(昭和41年政令第376号)を定め、「建国記念の日は、二月十一日」とした。2月11日という日付は、明治時代の初期[1]に定められ1948年(昭和23年)に廃止された紀元節と同じである。紀元節の日付は、『日本書紀』にある神武天皇が即位したとされる日(辛酉年春正月庚辰朔)に由来する[2]。
当日は、各地の神社仏閣にて「建国祭」などの祭りが執り行われる。


さて、それでは、世界各国の‘建国記念日’は、どう取り決められているかを見てみると以下の通りである。

( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%BA%E5%9
B%BD%E8%A8%98%E5%BF%B5%E6%97%A5

建国記念日 - Wikipedia0001
建国記念日 - Wikipedia0002
建国記念日 - Wikipedia0003
建国記念日 - Wikipedia0004-2

このデータをよ~く眺めてみると次のことに気付く。

① 日本と大韓民国の記念日の決め方が諸外国とは少し違う。

② イギリスの建国記念日が見当たらない。


① については、建国の在り方の解釈が、建国される事情が違ったためと考えれば良いが、② のイギリスの場合は、その歴史的意義と‘イギリス’と呼ばれる‘国’の事情をもう少し認識する必要がある。

そもそも‘イギリス’とは?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B9
イギリス:正式名称は、グレートブリテン及び北アイルランド連合王国(グレートブリテンおよびきたアイルランドれんごうおうこく、英: United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland)、通称イギリスは、イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドの4つの国(イギリスのカントリー)から構成される立憲君主制国家であり、英連邦王国の一国である。また、国際関係について責任を負う地域として王室属領及び海外領土があるが、これらは厳密には「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」には含まれておらずこれらを含む正式な名称は存在しない。
ユーラシア大陸西部の北西にある島国であるが、アイルランド島でアイルランド共和国と国境を接している。国家体制は国王を国家元首とし、議院内閣制に基づく立憲君主制である。国際連合安全保障理事会常任理事国の一つである。公用語である英語は実質上世界共通語としての機能を果たしており、広大な英語圏を形成している。
大航海時代を経て、世界屈指の海洋国家として成長。西欧列強のひとつとして世界に植民地を拡大し、超大国として栄え大英帝国と呼んだ。19世紀には世界の過半を影響下におき、パクス・ブリタニカ(イギリスによる平和)と呼ばれる比較的平和な時代をもたらしたが、19世紀終盤にはドイツ、次いでアメリカに経済規模で抜かれ、第二次世界大戦を機に植民地の大部分を失い衰退し、現在に至る。


http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1176350646

日本でイギリスと呼ばれている場所にある国を連合王国(UK)と言います。

現在の連合王国の領土域になったのは1921年です。しかしそれを持って建国記念日とはしません。
連合王国の元になったイングランドとスコットランドの合併は1707年ですが、これも記念日として祝ったりはしません。

現在の連合王国を構成する4つの国はそのどれもがはっきりした建国の日を持ちません。

そのうちイングランドに関しては現在につながる国家の起源に近い状況になったのが1066年です。しかしこれも建国の年ではありません。

なお4カ国にはそれぞれ守護聖人の記念日があります。しかし建国を記念する日ではありません

England →聖ジョージ日(4月23日、非祝日)
Scotland → 聖アンドリュー日(11月30日、スコットランドで祝日)
Wales →聖ディヴィッド日(3月1日、非祝日)
Northern Ireland → 聖パトリック日 (3月17日、北アイルランドで祝日)


「建国記念の日」に関する今年の様子をNHK・NEWS/WEBが次のように伝えている。
logo.png

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130211/k10015437921000.html
建国記念の日 各地で式典や集会
2月11日 18時6分

建国記念の日の11日、これを祝う式典や、反対する集会が、各地で開かれました。

このうち東京・渋谷区では、神社本庁などで作る「日本の建国を祝う会」が式典を開き、主催者の発表でおよそ1500人が参加しました。
主催者を代表して、國學院大学教授の大原康男さんが、「建国記念の日を日本再生に向けた確実な一歩とすべく、改めて決意したい」とあいさつしました。
そして、「新政権は、憲法改正など国家の根本に関わる問題に着手しつつある。誇りある国造りへ向けて、尽力することを誓う」などとする決議を採択しました。
参加した40代の女性は、「領土問題をきっかけに、若い世代を中心に国の在り方を議論すべきだと感じるようになりました。憲法を改正し、子どもたちが安心して暮らせる世の中にすべきだ」と話していました。

一方、東京・中央区では、歴史研究者や教職員など主催者の発表でおよそ450人が参加して、建国記念の日に反対する集会が開かれました。
この中で、一橋大学名誉教授の渡辺治さんが、「総選挙で、改憲を志向する政党が勢力を大きく伸ばすなか、平和憲法を守ることの意味を改めて考えるべきだ」と述べました。
そして、「国防軍設置が主張されるなど憲法は戦後最大の危機にある。歴史の逆流を許さず、憲法を力として、平和なアジアと日本社会の未来を開こう」などとする宣言を採択しました。
参加した高校3年生の女子生徒は、「平和を守るうえで、憲法の存在は非常に大きいと考えています。私はまだ有権者ではありませんが、もし憲法改正が問われれば、きちんと考えて判断したいと思います」と話していました。


大騒ぎが起こるでもない‘玉虫色’の「建国記念の日」だったようである。
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[2013/02/12 02:31] | 国家と社会 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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