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間接体験の功罪
間接体験は、大昔には中々出来なかったことであるが、最近はIT技術の進歩・発展のお陰で間接体験だらけである。エヴェレスト登頂のドキュメンタリーTVを見ると何だか自分までもがエヴェレストの登頂に成功したと思ってしまう気分になる。或る意味ではこの経験は大いに‘役立つ’効果を持つが、そのことが人間とって‘禍’になってはしまいかと思うことがある。

植村エベレスト1
植村直己さんのエヴェレスト登頂 http://htbt.jp/?p=924

1970年5月111日の植村直己さんのエベレスト登頂(松浦輝男氏とともに日本人初登頂)のニュースには全国民が自分も一緒に登頂した気分になった。
茶の間でビールを飲みながら呑気に見ているのと本物の苦労は、∞の違いがある。下手すると自分にだって‘容易に’夢が達成出来るのではないかと錯覚する。勿論、この本当の苦労を認識して自分もと‘夢と希望’を持って真摯に努力を決意する人達にとっては、この間接体験は極めて‘有意義’に違いない。これは大いにいい事であるが、そうでない場合を考える必要がある。努力もろくにせずに俺にだって運はあるさとばかり、‘努力と運’を勘違いして運を頼りに失敗した例はごまんとある。

直接体験は、五感を使っての体験である。つまり、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚の5つ感覚を全部使っての体験であるが、間接体験は5つの内、視覚と聴覚だけの体験である。つまり、嗅覚と味覚と触覚を使わない体験であるから、その‘感動’は、直接体験に遠く及ばないのは必然である。

特に、嗅覚と触覚を使わないから間接体験には‘におい’と‘おんど’がない。
これでは‘感動’の強度が実体験に比べて何倍も‘小さい’ことは明らかである。



植村直己さんのエヴェレスト登頂で言えば、お茶の間でビールを飲みながら間接体験をする訳だから、寒さも感じなければ8,848mの空気の味も雪の感触もない。それなのに間接体験をしてみると自分が植村直己さんと一緒にエヴェレストに登頂した気分になってしまう。

これら間接体験だけを積み重ねて出来あがった‘人格’が如何に薄っぺらなものか、解説する必要もない。
世の中がこんな薄っぺら人格の持ち主ばかりになってしまっているのではないか?





長年カンボジアでボランティア活動をされている小山内美江子さんが、NHKラジオ深夜便・隠居大学で嘆いておられた。日本から来たボランティアの‘学生’がカンボジアでは役に立たないという。知識だけはあっても何をやらせても実際の仕事は何も出来ないというのだ。こんなボランティアの人達を‘ボランティア難民’と呼んでおられるという。

小山内美江子さんといえば、あの「3年B組金八先生」の生みの親である。
彼女はボランティアの学生に「匂いと温度を感じて仕事を・・・」と仰っているという。どうやら全うな人格が今の日本では出来上らないと言いたかったように聞こえた。

d0645金八先生
http://www.tbs.co.jp/tbs-ch/lineup/d0645.html


最近の大学では、学生のレポートがみんな同じ言葉使い同じ表現だという。同級生のレポートを写したのではない。みんなが同じソースからパソコンの‘コピー機能’を使ってレポートを作成するからだという。
自分の文章も書けない学生、果たして日本の再生を彼らに任せていいのだろうか?











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[2012/02/04 12:30] | 学習と文化 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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