桜満開(1)千鳥ケ淵:(その3)半蔵門から千鳥ケ淵
桜満開(1)千鳥ケ淵:(その3)半蔵門から千鳥ケ淵

前回は、「桜満開(1)千鳥ケ淵:(その2)桜田門から半蔵門」の記事を載せた。どうも情報を小出しにしているようで申し訳ないが、この一連の‘千鳥ケ淵・桜満開’の記事に纏わる写真だけでも300枚に垂んとする。勿論、これのほとんどを‘お蔵入り’にしても良いのだが、出来るだけ何時でも見れるようにしておきたいという個人的感情も手伝って、何でもない写真でも私自身にとっては貴重な‘作品’なのである。

そんな訳で、全部を一つの記事にしてしまうと、書く方も見る方も大変だろうという意識が働いている。そして、写真だけをベタベタ貼りつけ一行コメントだけなら‘face book’に任せておけばそれで十分である。

これまで、不思議に思っていたことや当然だと思っていたことを、一寸時間をかけて調べ直してみると大変な‘発見’があったりする。

例えば、昨日の弊ブログの記事では、国会議事堂の前に左右二つの‘前庭’があって、‘日本式’と‘洋式’に分かれていることも今回偶然知ることが出来た。

それは、‘時計台’があることは気付いていたので、今度のこの花見行でも意識的に写真にしたのである。それで、この時計台の事をWEBで調べて見たら、何と・・・

 国会前庭があって、それが‘和式’と‘洋式’の二つに分かれていること

 ‘和式’のある場所が昔‘霞関’といってたのが今の‘霞ヶ関’の名称の起こりである(?)こと

 ‘洋式’の場所に建っている時計台は、3面でなっており、その意味は、「三面塔星型は、立法・行政・司法の三権分立を象徴したものである」こと

 そして、その‘洋式庭園’は、「江戸時代初期は加藤清正の屋敷があった。加藤家改易の後は、江州彦根藩井伊家の上屋敷であった。井伊直弼はここから登城の途中、桜田門前で襲われてしまった。」こと

 そして、‘洋式庭園’の一角には‘日本水準原点’が設置されていること

等々これまで知らなかった事実の発見があった。この役割はどうしても‘ブログ’の出番である。

そんな和気清麻呂で、‘小出し’なのである。さて、今回の発見は?

東京都千代田区霞が関2丁目警視庁本部庁舎-10001
‘Google’マップ。今回は、半蔵門からお堀端を伝って千鳥ケ淵まで。ここが通称‘千鳥ケ淵の花見場所’と言われている処である。 <次回は、イギリス大使館の方へ・・・>


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2013年03月26日11:53 ここが半蔵門の交差点。左へ曲がれば‘新宿通り’である。やっとも思いでここまで辿りついた。東京駅について(10:57)ここまで凡そ1時間、歩き通しであるから、やはり少々疲れた。

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2013年03月26日11:54 でもこの世界一のソメイヨシノの満開を見せつけられると、そんな疲れなんて一瞬で・・・・。

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2013年03月26日11:54 これぞ‘満開!’

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2013年03月26日11:54 望遠拡大。

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2013年03月26日11:55 ここからが‘千鳥ケ淵公園’である。ここで、満開の桜を見る前に、この辺の歴史の勉強を!

http://shinmeikai.blog.fc2.com/blog-entry-354.html

千鳥ヶ淵という名前の由来 だが、池の形が千鳥が翼を広げた形に似ているところから名付けられたそうだ。
 かつては半蔵門まで濠が繋がっていたが、1900年(明治33年)に代官通りが通って濠を埋められ、半蔵濠とに分かれた。

 千鳥ヶ淵の西側は番町と呼ばれ、江戸時代には将軍を直接警護する大番組と呼ばれる旗本が配置されていた。
 大番組は当初、一番組から六番組まであって、それが現在も一番町から六番町までの町名として残っている。
 江戸開城後は、千鳥ヶ淵の際まで旗本の屋敷地があったそうだ。

 ところが、1657年の明暦の大火を始めとして、江戸城内に度々大火があったために、幕府は防火対策として千鳥ヶ淵のこの細長い一帯を火除け地にした。
 1697年、旗本屋敷は撤去され、空き地となった。
 明治初期の古地図を見ると、千鳥ヶ淵沿いを土手道が通っていて、現在の戦没者墓苑、パークマンション、農水省分庁舎一帯は、アキチと書かれている。

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 千鳥ヶ淵周辺に目を向けると、明治になって、戊辰戦争の明治政府側戦没者の慰霊のために、1869年(明治2年)に東京招魂社が建てられている。東京招魂社は、現在の靖国神社の前身である。
 社殿のある辺りは旗本屋敷で、田安門までの外苑はやはり火除け地だった。

 1872年(明治5年)には、大名屋敷があった場所にイギリス公使館が建てられ、番町の旗本屋敷は、新政府の官吏や皇族、貴族の邸宅、外国公館となっていった。
 千鳥ヶ淵の火除け地だった場所は、現在の戦没者墓苑、宮内庁侍従長公邸は宮家の閑院宮邸、農水省分庁舎からインド大使館にかけては山県有朋の私邸となった。
 その後、九段坂病院にあたりで、柔道家の嘉納治五郎が道場を開いた時期もあったそうだ。
 
 桜で有名な千鳥ヶ淵だが、イギリス大使館前に桜並木が植えられたのは、1898年(明治31年)のことだという。植樹したのは、「一外交官の見た明治維新」(岩波書店)で知られるイギリス公使アーネスト・サトウだった。

 1930年(昭和5年)に内堀通りが開通すると、街路樹に170本の桜が植えられた。

 靖国神社の桜は、1870年(明治3年)に当時苑内にあった競馬場の周りに植えられたのが最初だそうだ。

 千鳥ヶ淵には、いつ頃から桜が植えられていたのかはっきりしないが、緑道と北の丸公園側の斜面にソメイヨシノが植樹されたのは、昭和30年代のことだという。


この引用文献によれば、

① イギリス大使館前:1898年(明治31年)

② 内堀通り:1930年(昭和5年)

③ 靖国神社:1870年(明治3年)

④ 千鳥ケ淵(緑道と北の丸公園側の斜面):1955年~(所和30年代)

という事が判る。一番古いのは、靖国神社で、千鳥ケ淵の桜はそんなに古くはないという事のようである。

その日は、13:00から打ち合わせがあったため、残念ながら‘靖国神社’へは行けなかったのだが・・・。

さあ、千鳥ケ淵の満開桜を大いに楽しんで・・・・!

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2013年03月26日11:56 自由の群像

http://wadaphoto.jp/sakura/chidori3.htm
自由の群像
 
半蔵壕の南端、千鳥ヶ淵公園に立つ「自由の群像」は、マスコミ功労者の顕彰記念像のひとつ。広島・平和記念公園の「原爆の子の像」 の作家・菊地一雄の制作によるもので、昭和30年(1955)11月3日文化の日に除幕式が行われた。三人の男性ブロンズ像は「自由」「自尊」「進取」をあらわしているという。  
 自由のために一身をペンにささげた新聞人たちを顕彰するものなので、その像は高いところから人々を見おろすものではふさわしくないということで、台座は低く設計されており、その周りに四角い池がレイアウトされている。


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2013年03月26日11:56 普通の銅像は、遠くからでも見えるように高い台座の上に載っている物であるが、この群像には上記引用文献のような謂れがあって・・・。

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2013年03月26日11:56 ブロンズ像とあるが、反射光はそれとは違う!黒い塗料のようであるがその詳細は今は不明?

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2013年03月26日11:56 この池の周りは桜だらけ・・・。遠くから来られた方達も大勢おられて・・。

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2013年03月26日11;56 枝が桜の花で重そう・・・。 

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2013年03月26日11:56 本当に満開!

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2013年03月26日11:57 お母さんも子供を抱えて大変!向うに‘しだれ桜’が見える!

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2013年03月26日11:57 この‘しだれ桜’も何かの由緒があるのだろうか?

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2013年03月26日11:58 白にピンクに緑!いい組み合わせである。

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2013年03月26日11:58 これはまた大きな‘しだれ’で・・・。

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2013年03月26日11:58 望遠拡大。

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2013年03月26日11:58 お昼12時近くになった。お弁当を広げる人も・・。

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2013年03月26日11:59 この公園で一番大きな木?

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2013年03月26日11:59 望遠で拡大! 花で重そうにやはり見える!

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2013年03月26日12:00 ここは展望台?

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2013年03月26日12:00 展望台からの眺め。南側。

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2013年03月26日12:00 展望台からの眺め。北側。

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2013年03月26日12:00 展望台から公園内。

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2013年03月26日12:00 展望台から公園内、望遠拡大。もうこれ以上の満開はあり得ない!

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2013年03月26日12:01 警備の人もいる。彼等は、もう見飽きたのだろうか?

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2013年03月26日12:01 会社の花見?ご近所なのだろうか?

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2013年03月26日12:02 木の向こうには弁当屋さんが・・。

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2013年03月26日12:02 この時間帯が最もの稼ぎ時に違いない!真剣そのものだ。

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2013年03月26日12:02 桜ドーム

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2013年03月26日12:03 ごみの収集場所。

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2013年03月26日12:03 これはまた‘絵葉書’にでもしていいような緑とのコラボ。

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2013年03月26日12:03 この構図もいい。千鳥ケ淵と判る。

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2013年03月26日12:03 上の写真の繋がり。この方がすっきりしていていい!

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2013年03月26日12:04 芸術作品が・・・。

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2013年03月26日12:04 段々北上してくると‘しだれ’が多くなってくるのだがこれにも理由が?

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2013年03月26日12:04 しだれの望遠拡大。

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2013年03月26日12:04 そのまた拡大。何だか人工的に創ったみたい・・・。

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2013年03月26日12:05 これもトンネル。

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2013年03月26日12:06 どこにカメラを向けても‘芸術写真’に・・。

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2013年03月26日12:06 人工構造物とのコラボも悪いものではない。

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2013年03月26日12:06 緑が桜の白に似合う。逆もまた・・・。

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2013年03月26日12:06 ここまでが千鳥ケ淵公園の北の端。

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2013年03月26日12:06 「千鳥ケ淵」の文字。これは国土交通省の管理下にある‘表示’である。「ちどりがふち」の表記の仕方が色々ある。①千鳥が淵 ②千鳥ガ淵 ③千鳥ヶ淵 でもどうやら‘千鳥ケ淵’が正しい!

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2013年03月26日12:07 これ及びこれ以降の桜の3枚の画像は淵の堰止めの上からの画像。

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2013年03月26日12:08 ‘千鳥ケ淵の桜’と言えば、ここからのものが多い。やはり絶景!

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2013年03月26日12:08 別の角度から・・。写ってはいないが、人、人、人である。皆カメラで・・・。

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2013年03月26日12:08 拡大。今にも濠に桜が落ちてきそう!

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2013年03月26日12:09 千鳥ケ淵の交差点を渡ってイギリス大使館の裏手へ・・。

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2013年03月26日12:09 交差点を渡っているところ・・・・。

まあ、東京一の桜の名所を満開時に満喫した! 恐らく今後多分こんな機会はもう無いに違いない!
見納め、と言えるかもしれない・・・。

次回は、‘イギリス大使館’の桜を・・・・。

(つづく)

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