憲法改正問題についての私見
kenpou (1)
http://www.bunzo.jp/archives/entry/000667.html

今年の憲法記念日は、例年になく盛り上がった。

それは民主党の無様な政治執行のお蔭で浮かび上がった自民党の安倍内閣の人気が上昇中だからである。自民党は、そんな意味では民主党に礼を言わねばならないのかもしれない。

政治もその他の事でも‘競争’という原理で物事が進んでいる範疇の事は、みんな例外なく‘相手’との比較であるから、‘相対的’という表現がぴったりする。‘絶対的’とは違う事なのである。

この社会現象を、私は昔から‘社会の相対性原理現象’と名付けている。

入学試験だって入社試験だって、ほとんど‘相対性原理’で動いている!

ただ面白いのは‘資格試験’は、絶対的原理である。自動車運転免許取得試験は、上から10人までが合格ってなことはない。決められた点数以上でないと合格点は貰えない!

さて、日本国憲法の問題は、残念ながら絶対的理論原理で動くものではなく、‘相対原理’の中の‘特殊相対性理論’で動くものである。

なぜなら、一定の合格ラインはないし、同じ問題を解いてみてどちらが点数が良かったか、という問題でもない。

どんな内容にするかを決めようとする際に、その内容について国民の意見はどうか?という問題であるから、相対的な議論だけではない。そして最も厄介なのは、民主主義のルールという最も論理的でない方法がこの問題を‘取り仕切る’結果となるからである。

まあそんな暇な議論はどっちでも良く、日本国民全員が考えなければならないことは次のようなことである。

(01)何故、人間社会には法律が必要なのか?

(02)国家とは何なのか?

(03)民族と国家の関係は?

(04)国には何故‘憲法’が必要なのか?

(05)憲法は誰が創るのか?

(06)天皇制とはなにか?

(07)日本国の象徴の意味は何か?

(08)憲法の改正の意味は何か?

(09)憲法改正の手続きはどうするのが最適制度か?

(10)選挙の時の‘一票’の意味は何か?

(11)本当に‘一人一票’が正しい民主主義なのか?

今争点になっているのは、第9条であり、その改正のための条件を示した第96条に先ず焦点が絞られている。

71c1b212.jpg
http://iine-news.com/2013-05-03/kenpou96jou/

その第96条とは、

第96条
http://www.popscreen.com/v/6DDEC/5%E6%9C%888%E6%97%A
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重要なことを整理すると、

① 憲法改正の発議は、国会で、衆参両議院とも、それぞれ2/3以上の賛成が必要

② それが通過した場合、国民の承認を得るためには、選挙において過半数の賛成が必要

という事である。

日本国憲法は「主権在民」を思想の根本としている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E6%B0%91%E4%B8%BB%E6%A8%A9
日本国憲法は「国民主権」を採用している。ここでいう「主権」とは国政のあり方を最終的に決定することを意味する。
「国民主権」は、歴史的で多義的な概念であり、その時代、論者によって内容が異なる概念であるが、主権在民または「人民主権」ともいう。
「人民主権ないし国民主権」は、17~18世紀にかけて、社会契約説の概念を背景に、ロック、ルソーによって発展させられた概念であるが、「人民」と「国民」は、プープルとナシオンという対立的な概念として図式化されることもある。
「人民主権ないし国民主権」は、日本のほか、アメリカ合衆国[1]、フランス、ドイツ多くの国家の現行憲法で採用されているが、その内容は必ずしも同一ではない。これらの国に対し、英国では、国会主権がとられているが、政治的主権は市民が有するとされている。


このことは、日本国憲法の‘前文’に次のように書かれている。ここでの文語は、‘主権在民’ではなく、その表現は‘主権が国民に存する’となっている。

日本国憲法‘前文’
kenpou.gif
http://www.wakayama-u.ac.jp/~tokoi/lecture/shori1/04.html

<私見>

① 憲法改正の発議は、国会で、衆参両議院とも、それぞれ1/2以上(過半数)の賛成が必要

② それが通過した場合、国民の承認を得るためには、選挙において2/3以上の賛成が必要

その理由:

① 国民の代表者として権利を行使する‘国会議員’は、憲法改正の発議をしたいと思えば、その半数以上が賛成すれば‘発議’してもいいではないか! それが民主主義の基本である。

② しかし、主権は国民にあるのだから、国民投票(選挙)が必要であることは明白である。これは憲法第96条にある通り。しかし、代表者たる国会議員は、選挙の時の主張と違って‘心変わり’をする御仁もおられるようだから、国会だけの判断だけでは困るというのが96条である。ことは、お国の法律の根底をなす憲法である。国会議員の過半数が賛成したとしても国民は、‘もっと厳しい’条件を突きつけて、権力を委ねている輩の暴走を許してはならない! これが、国民投票の結果を‘過半数’から‘2/3’にする所以である!

そういった意味では、96条の条文は、国民よりも国会議員に重きを置いた表現であり、現第96条は、重きの置き方が根本的に間違っていると言えよう!

(つづく)
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