FC2ブログ
‘拝み墓’
このブログでも紹介したが、千葉県・東金市の最福寺境内にある‘切られ与三郎’のお墓は、‘拝み墓’であるという。<註:‘詣り墓’とも>

2013051216170000-2.jpg
2013年05月12日(携帯で撮影)千葉県・東金市の最福寺境内にある‘切られ与三郎’の墓

右が、四代目・芳村伊三郎(切られ与三郎のモデル)の‘拝み墓’( →‘詣り墓’)で、左が五代目・芳村伊三郎の‘埋め墓’という。

http://www1.odn.ne.jp/saifukuji/index1.htm
5代目伊三郎は、東金の岩崎の秋山嘉吉さん方で、明治十五年に亡くなり、師の墓の隣りにという遺言で、葬儀も当寺で営み、過去帳にも残っております。東金のお祭りのおはやしは、この5代目の長唄の影響を受けた珍しいリズムです。
お墓は当初30メートル先にありましたが戦前、秋の豪雨で崩れました。戦後歌舞伎役者、当市有志のきもいりで、この地点に新しく建てかえられたものです。


‘拝み墓’、‘詣り墓’などは、初めて聞く‘熟語’である!因みに、これらの‘対義語’は、上記の通り、‘埋め墓’だという。

ただし、この‘拝み墓’と聞くと、「あ~、なるほどネ!」と正確な意味は判り兼ねても納得がいく。というのは、同じ人のお墓が幾つもあったりして「どうして?」と思っていたからである。

ど素人なりにただ漠然と想像していたのは、‘分骨’してあるのかな?ということだったが、現在の法律では‘分骨’には或る手続きが必要である。‘分骨証明書’という正式書類の発行が無ければ分骨は出来ないということになっている。

当然のことであるが、‘拝み墓’には、分骨もされている訳ではないので、‘遺体や骨’はない!

さて、話を江戸時代のお富さん・切られの与三郎の時代に戻す。

日本で‘火葬’が始まったのは仏教の伝来とともにという事のようである。しかし、江戸時代の儒教思想から考えると、身体を傷つけるのは大きな罪であった他、‘火葬’には費用がかかるため、当時は‘土葬’が一般的だったという。従って、‘分骨’ということは元々存在しないのである。

400px-Cremation.jpg
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%AB%E8%91%AC
江戸時代の火葬、『日本の礼儀と習慣のスケッチ』より、1867年出版

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%AB%E8%91%AC
日本における火葬 [編集]

歴史 [編集]

日本における火葬は仏教と共に伝わったという説が有力とされている[注 1]。

『続日本紀』によると、日本で最初に火葬された人は僧道昭であり、文武天皇4年(700年)のことであるとされる。また天皇で最初に火葬されたのは持統天皇(702年)である。8世紀ごろには普及し、天皇に倣って上級の役人、公家、武士も火葬が広まった[1]。

ただし、近年ではそれに先行して火葬が行なわれていた可能性も強く指摘されている[1]。古墳の様式のひとつに「かまど塚」「横穴式木芯粘土室」などと呼ばれる様式のものがあり、その中には火葬が行なわれた痕跡があるものが認められる。それらは6世紀後半から出現しており、研究が進めば日本における火葬史は100年以上遡ると考えられる。

一方、土葬も廃れていたわけではなく、日本では火葬が広まった後も、土葬が広く用いられていた。仏教徒も含めて、近世までの主流は火葬よりも棺桶を使った土葬であった。儒教の価値観では、身体を傷つけるのは大きな罪であった他、火葬は燃料代がかかり葬地の確保が難しくなる明治になるまで、土葬の方が安上がりだったためとの説がある。遺体という大量の水分を含んだ物質を焼骨に変えるには、大量の薪と、効率よく焼くための技術が求められる。そのため、火葬は費用がかかる葬儀様式であった[1]。一部には鳥葬に代表される曝葬の習慣もあった[要出典]。

近代に入ると、明治政府は明治6年(1873年)に神道による挙国一致を目指した神仏分離令に関連して火葬禁止令を布告したが、仏教徒からの反発や衛生面の理由から明治8年(1875年)には禁止令を廃止している。その後火葬技術が進歩したこともあり、近現代の日本では火葬が飛躍的に普及し、ほぼ100%の火葬率である。

一方、明治以降も、天皇、皇族は長年に渡って土葬となっていたが、2012年4月、宮内庁は今上天皇が崩御の際は火葬を希望するとの意向を発表した[2]。


切られ与三郎のように二つの墓を作ることを‘両墓制’というらしい。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%82%E3%82%8A%E5%A2%93
両墓制とは遺体を埋葬する墓地と詣いるための墓地を一つずつ作る葬制のことである。つまり一個人に対し二つの墓を作ることから両墓制と呼ばれる。遺体の埋葬墓地のことを埋め墓(葬地)、墓参のための墓地を詣り墓(まいりはか、祭地)と言う。基本的に一般民衆の墓を対象にし、その成立、展開は近世期以降である。両墓制は土葬を基本とし、遺体処理の方法がほとんど火葬に切り替わった現在では、すでに行われなくなった習俗と言ってよい。しかし、両墓制墓地自体は現在も各地に残っている。 葬送習俗、祭祀習俗とあわせて各地に様々な特色があり、特に近畿地方に濃厚に存在している。その特徴的な墓制は、大正期より複数の報告がなされたが、民俗学者の柳田國男が昭和4年(1929年)に「墓制の沿革に就いて」(『人類学雑誌』500号)で両墓制を取り上げて以来、両墓制の諸問題は民俗学の担当分野となった。 ただ、柳田はこの習俗に関しては「葬地」と「祭地」といった呼び方[1]をし、「両墓制」という言葉自体は柳田の下で山村調査にあたった民俗学者の大間知篤三が使い始めた語[2]である。

両墓制の習俗 [編集]

両墓制は必ずしも一定の決まりを持った習俗ではなく、各地で様々な特色がある。ただ、大きく捉えると両墓制の特徴は「埋め墓」という遺体埋葬地と「詣り墓」という遺体のない墓参用墓地の二つが存在していることにある。

埋め墓 [編集]

遺体を埋める埋葬地。多くは土葬を基本とするが、稀に火葬や改葬を伴うものも見られる。人里離れた山林などが多く、墓標をまったく建てずに埋葬する場合、自然木、石、木製角柱墓標、卒塔婆を墓標に用いる場合、あるいは詣り墓と同じように石塔を建てる場合など様々なパターンがある。集落ごとの共同墓地であることが多く、その埋葬地は家や年齢などによって区画分けされる場合もあれば、まったく決まりが無く空いた土地に埋めたり、古い墓地を掘り起こして追葬する場合など様々である。 埋め墓に参る期間も、埋葬後は一切埋め墓に参らない場合から、四十九日、一周忌、さらには五年、七年と言う長い期間を経て弔い上げをする場合など様々である。いずれにせよ、弔い上げの終了後は詣り墓へ墓参をするようになる。また、埋め墓の土を詣り墓へ盛っていく風習も少なからず存在する。 埋め墓の呼称としては様々なものがあるが、多い事例としてはミハカ、サンマイ(三昧)、ボチ(墓地)、ヒキバカなどがある(これらの呼称が詣り墓の呼称と逆の場合もある)。

詣り墓 [編集]

定期的な墓参や先祖供養、盆などに参るための墓である。通常、石塔を建てる。遺体はない。寺院の境内に存在する場合も多く、石塔は五輪塔、多宝塔、宝篋印塔のような仏塔から一般的な角塔墓、笠塔婆など様々である。遺体埋葬の必要がないので、石塔だけが緊密に並べられることが多い。
詣り墓の呼称としては、ラントウバ(卵塔場)、ラントウ、タッチョウバ、サンマイなどがある。

隣接両墓 [編集]

両墓制の基本は埋め墓と詣り墓が距離を隔てていることにあるが、全国の例では二つの墓がかなり近い位置にある場合が多く見受けられる。これは埋め墓と詣り墓が道一つ挟んで並び合っている場合や、詣り墓が小高い壇上にあり、その下の平場に埋め墓がある場合、あるいは完全に同じ土地に埋め墓の区画と詣り墓の区画が隣接している場合がある。このような隣接両墓は、通常の単墓制との区別が曖昧である。

発生要因 [編集]

両墓制がなぜ発生したのかということに関しては、不明な点が多くはっきりしない。代表的な意見としては死穢の観念や遺体恐怖から遺体埋葬地を人里離れた場所に作り、人の住む場所の近くや寺院境内に死者供養のための石塔墓地を別に作ったというもの、現実に土葬習慣における腐敗した遺体の臭気を避けるために埋葬地を別にしたとも考えられる。柳田は、埋め墓において個人の埋めた場所が曖昧であったり、わからないといった例を用いて、死穢や魂の問題から埋め墓を墓として認識しておらず、詣り墓こそが本来の墓であると考えた。また、改葬、風葬習慣から両墓制が発生したとした。また大間知は死穢を畏れる古い習慣がもともと存在し、同時に死者供養のための石塔を受容して両墓制は発生したとした。 柳田らの考え方では、祖霊信仰に基づいて日本固有の古い習俗として位置づけるものがあったが、一方で庶民の墓に石塔を墓標として建てる習慣が中世末より近世期に一般的になったことや、両墓制が近畿地方にのみ濃密で、他の地域では極端に例が少なくなることを踏まえて、両墓制はそれほど古い習俗ではないという考え方もある。



(つづく)次回は、‘分骨’について
スポンサーサイト



[2013/05/21 02:25] | 宗教 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
<<‘分骨’について | ホーム | お富さんの墓>>
コメント
コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する

トラックバック
トラックバック URL
http://kissyarita.blog.fc2.com/tb.php/531-174af376
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
| ホーム |
designated by FC2