父の日・母の日:(その1)父の日
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http://ameblo.jp/yoo43yuki825/entry-11547993943.html?frm_src=thumb_module
「父という字はビールで乾杯する姿から生まれたんです」「・・・・・ウソです」

今日、6月の第三日曜日は、‘父の日’だという。少し前に‘母の日’があった。

「‘ちち’が歳をとると‘ぢぢ’になり、‘はは’が歳をとると‘ばば’になる!」と我々は聞かされて育った。

その時代には、‘父の日’や‘母の日’なんてものは 存在しなかった!毎日が‘尊敬’の日だったから、そんなものは必要なかったのである!

しかし、戦後の馬鹿げた教育方針で道徳観は薄れ、経済至上主義が横行したおかげで、日本国民の‘心’は廃れてしまい、‘父の日’や‘母の日’を作らなければ、父を想い出し母に感謝する心を持ち合わせることが出来なくなってしまったのである。

私は、小さい時から

「‘遅々’として進まず、‘はは’として呑気!」が最高の生活、と思ってきた。

物事はそんなに急に進んではいけない!‘テクノロジー’が急に進み過ぎると、現在のように‘追いついていけない世代’が出現し、‘差別’を産んで、それが父や母を尊敬しなくなる‘文化’を産んでしまったとさえ考えている!

‘テクノロジ―’とは‘テクテク’、‘ノロノロ’進んでこそ‘テクノロジー’なのである!
今の‘スマホ’の進歩(と言うより‘進化’)の仕方、もう人間味など微塵も感じられない!

‘はは’として呑気!、とは‘ハハ、呑気だね!’という‘呑気節’という歌が凡そ一世紀も前に流行ったことにその元がある!

http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/172738/m0u/
のんき‐ぶし【のんき節】
《歌の終わりに「はは、のんきだね」という囃子詞(はやしことば)が入るところから》大正7年(1918)ごろから流行した俗謡。添田唖蝉坊(そえだあぜんぼう)が社会を風刺して歌ったもの。また、昭和に入って演歌師の石田一松が歌い、人気を博した。




http://www.youtube.com/watch?v=BCTOU0S3wqU
公開日: 2012/03/20
邦楽番外地シリーズ
土取利行(三弦弾き唄い)/添田唖蝉坊(作詩・曲)ノンキ節
大正6年に作られ7年から流行。縁日や夜店などで演歌師がうたった。そのうち報知新聞­に麻生豊の漫画「ノンキナトウサン」が出て、これを石田一松が「ノンキ節」の曲にあて­はめて唄いこれまた演歌師の歌となった。石田一松は後年、法学士となり、衆議院議員で­三期当選の緒にもついた。

ここでは、‘ハハ、呑気だね!’の‘ハハ’が‘ホ!’としか聞こえない!


http://www.youtube.com/watch?v=r1pP-WfcCBA
アップロード日: 2009/12/27
(名人会寄席の夕)
時事小唄 のんきだね
石田一松
詩 石田一松
曲 添田唖蝉坊
テイチクレコード
レコード番号 T3242

ここでも‘ハハ’が‘ホホ’と聞こえるが・・・。

‘呑気な生活’こそ、人類や地球上に存在するあらゆる‘もの’が本質的に求めている‘理念’である!

そんな訳で‘文化’こそが人間が目指す道であるのに‘文明’という‘文化’発展の為の‘道具・手段’が、経済至上主義という心狭き思想のために悲しいかな主流になってしまったのである。‘本末転倒’とは、正にこの事である!

人類の犯した最大の罪は、この「‘文明’の偏重主義にもの申す雰囲気を造れない」という事である!

したがって、‘人類の破滅及び地球の破滅’は、この最大の罪である‘文明’こそがその役割を演じることとなるであろう!

なんだか、‘教祖様’の発言のようで恥ずかしい! <この馬鹿!誰が‘教祖様’か!>(註:<>は陰の声!)

大体、「00の日」と言うのは‘商戦の日’なのである!クリスマス’だって、そう!‘バレンタインデー’なんて典型的!

とうとう‘父の日・母の日’も利用される‘日’に格下げされてしまったのである!

でもまあ、そのルーツを探って設定された尊い意味を認識すると同時に現在の日本での‘商戦’に裏付けされた如何にも情けない‘設定’を明らかにしてみたい。

(1)父の日

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%88%B6%E3%81%AE%E6%97%A5
父の日(ちちのひ)は、父に感謝を表す日。

主な父の日[編集]

1909年にアメリカ・ワシントン州スポケーンのソノラ・スマート・ドッド[1](Sonora Smart Dodd)が、彼女を男手1つで自分を育ててくれた父を讃えて、教会の牧師にお願いして父の誕生月である6月に礼拝をしてもらったことがきっかけと言われている。彼女が幼い頃南北戦争が勃発。父ウィリアムが召集され、彼女を含む子供6人は母親が育てることになるが、母親は過労が元でウィリアムの復員後まもなく亡くなった。以来男手1つで育てられたが、ウィリアムも子供達が皆成人した後、亡くなった。
最初の父の日の祝典は、その翌年の1910年6月19日にスポケーンで行われた[2]。当時すでに母の日が始まっていたため、彼女は父の日もあるべきだと考え、「母の日のように父に感謝する日を」と牧師協会へ嘆願して始まった。
1916年、アメリカ合衆国第28代大統領ウッドロー・ウィルソンは、スポケーンを訪れて父の日の演説を行い、これにより父の日が認知されるようになる[2]。
1966年、アメリカ合衆国第36代大統領リンドン・ジョンソンは、父の日を称賛する大統領告示を発し、6月の第3日曜日を父の日に定めた。1972年になり、アメリカでは正式に国の記念日[3]に制定される[2]。

母の日の花がカーネーションなのに対し、父の日の花はバラ。ソノラ・スマート・ドッドが、父の日に父親の墓前に白いバラを供えたからとされている。[要出典]1910年の最初の祝典の際には、YMCAの青年が、父を讃えるために、父が健在の者は赤いバラ、亡くなった者は白いバラを身につけたと伝えられる[2]。

8月8日[編集]

台湾の父の日(父親節)は8月8日である。これは、「パパ」(表記は爸爸)と「88」の中国語の発音が同じであることに由来している。

8月第2日曜日[編集]

ブラジルでは、母の日の3ヶ月後の8月第2日曜日が「父の日」(Dia dos Pais) である。ただし、国の休日ではない。1950年代に Sylvio Bhering が、聖ヨアキムを彰して提唱した。

2月23日[編集]

ロシアでは、2月23日が「祖国防衛の日」(День защитника Отечества) とされ、軍人・退役軍人に感謝する他に、父親・夫・男性に感謝する日となっている。これと対となる母親・妻・女性の日は、3月8日の国際女性デーである。
元はソ連の祝日で、1918年2月23日に赤軍が初の対独戦闘に勝利したことを記念し「赤軍の日」(День Красной Армии) として制定され、1949年に「ソビエト陸海軍の日」(День Советской Армии и Военно-Морского флота) と改名された[4]。ソ連崩壊後の2002年に、現在の名称でロシアの祝日となった[5]。

昇天日[編集]

ドイツでは、国の休日である昇天日(復活祭の39日後の木曜日で、早ければ4月30日、遅ければ6月2日)が、「父の日」(Vatertag) でもある。「男の日」(Männertag) や「紳士の日」(Herrentag) とも呼ばれる。


どうやら、世界各国で、日程はバラバラのようである!<だから、贈り物が‘バラ’?‘アホッ!’>

日付の一覧
父の日 - Wikipedia0001

chichinohi.jpg
http://www.katsufujiya.com/blog/index.php?ID=1061

(つづく):明日は‘母の日’について
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