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日本物理学会・会長/副会長の選挙方法
2013年06月19日・20日(正確には、20日・21日の未明)のNHKラジオ深夜便を聞いた。

元日本物理学会会長であったという‘米沢富美子女史’へのインタビュー録音再放送である。

米沢富美子
http://www.dignet.jp/~koho_r11/topics_news_past_63.html
勿論、存じ上げていた訳でもなかったが、ラジオから聞こえて来る彼女の声から‘想像していた風貌’とは大きく違った! 凡そ、これまでの‘女性物理学者’のイメージとは大きく異なり、まるで‘TVタレント’並みの‘派手さ’である!

我々のような、物理学が何かも知らない、また‘IQ'の低い者が‘論評’することは許されないが、兎に角、ラジオで聞いた話の内容・表現の仕方などと上記の通り‘声の質’からくる‘風貌’が、彼女の画像を検索して見て上の写真に‘遭遇した’際に、その‘格差’の余りの大きさに驚いたのである!

年齢は、私より一歳上の‘昭和13年生まれ’である。

大したもんである!

年間の論文数、勿論専門誌に投稿して掲載された論文の数であるが、平均5篇を数十年間書き続けて、凡そ‘200篇’にも達するというから‘尋常’ではない!

興味を抱いたのは、その優秀さにではない!

彼女が、物理学会の会長になられた‘いきさつ’にである。

その前に、彼女の‘人物像’を・・・。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B1%B3%E
6%B2%A2%E5%AF%8C%E7%BE%8E%E5%AD%90

米沢 富美子(よねざわ ふみこ、女性、1938年10月19日- )は、日本の理論物理学者、慶應義塾大学名誉教授。専門は物性理論、特に固体物理学。アモルファス研究で国際的に知られる。理学博士(京都大学)(1966年)。大阪府吹田市生まれ。旧姓名、奥 富美子。
日本の女性科学者の草分けとして、一般向けの著書や発言も多い。新日本出版社からエッセイ集『人生は夢へのチャレンジ 女性科学者として』(1991年)、『科学する楽しさ 21世紀へのチャレンジ』(1996年)を出版している。
朝日賞選考委員。

略歴 [編集]

1943年:お絵かきをしていた時、母から「三角形の内角の和は二直角」と教えてもらい衝撃を受ける。それがきっかけで数学に興味を持つようになる(母は学年で一番の成績を保ち、現在の大阪府立春日丘高等学校を首席で卒業し、数学が得意だった。特に幾何の問題が得意で、春日丘高校を卒業後、主席教師方々からお茶の水女子大学も勧められたほどである。しかし、当時の女性教育については時代が熟しておらず、母は上級学校の進学を諦めざるを得なくなり、娘に数学を熱心に教え、夢を託した)。
1945年:出征中の父親がニューギニア・ソナムにて戦死。女4人の家庭の長女として育つ。なお、父が出征する前に、米沢は蓄音機に興味を持ちだし「(蓄音機の中に)小人がいるのではないか」と思い、わざと蓄音機を破損し、父に怒られてしまった。

1948年:小学校5年生のとき、知能テストでIQ175と判明[1]。大阪府の小学校で1位の数値だった。
1950年:成績優秀につき、小学校卒業に際して大阪府知事賞を受ける。
1951年-1952年:中学1年から2年にかけて大阪の新日本放送(現・毎日放送)の「豆記者ホール」の記者として花柳有洸などの著名人のインタビューを行う。中学時代は数学部に所属し、高校課程の数学の多くを修得した。
1957年:大阪府立茨木高等学校卒業。高校時代は文芸部に所属し、詩や小説を執筆していた。
1961年:京都大学理学部物理学科卒業。同年12月、京都大学大学院理学研究科物理学専攻修士課程1年のときに結婚し、米沢姓となる。夫の米沢允晴は大学のサークル「エスペラント部」の部長で2年先輩であり、京都大学経済学部卒業後、山一證券に勤務していた。
1963年:6月、夫がロンドンに単身赴任。9月、夫を追いかけて渡英し、京大博士課程1年在学のままキール大学大学院に留学。ロイ・マクウィーニに師事。
1964年:1年間の英国留学を終えて日本に帰国。京大博士課程2年に復学。
1966年:1月、長女を出産。京都大学大学院理学研究科物理学専攻博士課程修了。夫の東京赴任に伴い、自身も東京に移り、東京教育大学物理学科に所属。朝永振一郎と会う。同年8月、京都大学基礎物理学研究所助手に採用され、長女と共に京都へ赴任。
1967年:8月、次女を出産。翌年にかけて、コヒーレントポテンシャル近似(CPA)に関する理論を発表。
1970年:東京工業大学理学部助手
1971年:8月、三女を出産。
1972年:夫のニューヨーク転勤に伴って渡米。イェシヴァ大学の客員研究員となり、ジョー・レボヴィッツの研究室で2年間を過ごす。
1974年:ニューヨーク市立大学大学院センター客員研究員
1975年:日本に帰国。
1976年:京都大学基礎物理学研究所助教授
1981年:慶應義塾大学理工学部助教授
1983年:慶應義塾大学理工学部教授。同年、乳癌で手術を受ける。
1984年:乳癌で二度目の手術を受ける。
1996年:3月26日、夫が肝臓癌で病死。
2004年:慶應義塾大学名誉教授

学外における役職

1996年-1997年、日本物理学会会長(女性として初)。なお、同じく京大理学部の1学年先輩である坂東昌子も、後に会長に就任。
2000年-2003年、日本学術会議第18期会員
その他
1998年-2000年、大佛次郎賞選考委員
2008年- 、朝日賞選考委員

受賞歴 [編集]

1950年、大阪府知事賞
1976年、手島工学研究賞
1984年、第4回猿橋賞
1989年、科学技術庁長官賞
1996年、エイボン女性大賞
2001年、日本女性科学者の会・功労賞
2002年、福澤賞
2005年、ロレアル-ユネスコ女性科学賞。内閣総理大臣賞。大阪府知事賞。吹田市長賞。

専門 [編集]

アモルファス物質、アモルファス半導体、 - コヒーレントポテンシャル近似など。
計算物理
液体金属、液晶
高分子
太陽電池
超伝導
複雑系

著作 [編集]

連載 [編集]

週刊朝日「おふみ先生の朗朗介護」
日本経済新聞「私の履歴書」(2012年6月)

書籍 [編集]

「ブラウン運動」
「アモルファスな話」
「ランダムな構造に秩序をみる」
「人生は夢へのチャレンジ」
「ランダムな世界を究める」
「複雑さを科学する 上下」
「科学する楽しさ 21世紀へのチャレンジ」
「科学の世界にあそぶ 」
「心が空を駆ける」

「2人で紡いだ物語」
02-ph.jpg
http://www.happy-creation.jp/history.html
「真理への旅人たち」
「人物で語る物理入門」
「〈あいまいさ〉を科学する」
「まず歩きだそう 女性物理学者として生きる」
「猿橋勝子という生き方」
「朗朗介護」


彼女は、‘自分が日本物理学会の会長になった’ことは、なった瞬間に知ったのではなく、暫らくたってからだという。

そんなことがあり得るのだろうか??

そこで、日本物理学会のその辺の事情を調べてみた。

日本物理学会選挙方法0001-2
日本物理学会選挙方法0001-3
http://www.jps.or.jp/information/2013/02/69fukukaichosenkyo.html

いや~、驚いた!

‘立候補制度’ではないのである!

他人様が、いわば勝手に推薦した人物は、‘目安’であって、正会員なら重複は避けて選挙管理に当たる人達を除けば誰だって‘副会長・会長’になる‘資格 or 権利’があるという‘堂々たる’規定である!

また彼女は、

「えっ!今度の会長の米沢富美子さんって、女性なの?」と言われていたことに「大いに感激した!」と言っておられる。

その理由が、

「今度の会長さんって、‘女性’じゃぁないと思っていたのですか?」

と先程の‘女性なの?’と言った人にインタビュー記者が問い返したら、

「科学者と思っていたから・・・」

という返事が返って来たという話を聞かされたからと仰るのである!

なんという素晴らしい話だろうか!

それにしても‘恐るべき’は、日本物理学会の規定を創った日本の物理学者達である!

‘俺に、私にやらせろ!’という人物に‘碌な奴はいない!’と知り合いのMが言っておられたが、その通りかもしれない!

現行の国会議員の選挙や都道府県知事やその他首長さんの選挙も、この‘日本物理学会’方式を採ってみたら面白い!

多分、面白いというより‘立派な行政 etc.’が出来るような気がする!

kokkaigizidou-thumb-800x461.jpg
http://www.daiichisekizai.com/blog/2009/10/entry_555/
【国会議事堂】
・着   工:大正9年(1920年)
・完   成:昭和11年(1936年)11月5日
・延労働者数:254万人
・石材使用料:20,500t

「桜みかげ石」(広島県産の花崗岩)により、
白亜の殿堂「国会議事堂」が造り上げられ、
以後「議院石」と称され現在に至っています。

しかし、この選挙方式を採るためには、選挙法改正についての‘国民投票’が必要で、これは恐らく今話題になっている‘憲法改正’よりももっと難しい問題かもしれない!

(つづく)
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[2013/06/21 12:17] | 仰天! | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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