長崎空港(その2)
長崎空港には、滑走路の西側に‘花文字山’という‘丘’がある。

長崎県大村市箕島町 長崎空港 - Google マップ0001-2
‘Google’マップ 長崎空港

長崎空港 - Google マップ-20001-2
‘Google’マップ 長崎空港

長崎空港 - Google マップ-30001-2
‘Google’マップ 長崎空港

長崎空港側としては、‘花文字山’という名称で‘山’と言っているのに、わざわざ「‘丘’がある。」なんて何故言うかというと、やはり細かいことが気になる‘たち(性質)’だから仕方が無いのである!

そんなに気になるのら、という訳で「‘山’と‘丘’の違い 」について調べてみた。また例の如く前置きが長くなるのだが・・・。

http://okwave.jp/qa/q644560.html
Q:山と丘の違い について、誰か教えてください。
友達の話では、地元の人の呼び方によって区別されると聞いたのですが、本当でしょうか?

A:「山」や「丘」は一般で呼ぶ名詞で、簡単に言えば「丘」は「山よりも低い傾斜のゆるやかな所」というのが一般的な解釈です。

地理学では、「山地」と「丘陵」に分かれます。
「丘陵」は、300メートル~250メートル未満の山地よりも起伏の小さな高まりとその集合を指します。
「山地」の明確な定義はありませんが、逆に捕らえるならば、「丘陵」以上の起伏を持つものは「山地」と言えます。
「山地」には、大起伏山地(起伏量が相対的に大きな値を示す山地)や小起伏山地(起伏量が相対的に小さな値を示す山地)、断層山地(断層運動によって生じた山地)曲隆山地(曲隆運動によって生じた山地)などがあります。

「丘」は山の小高い所(峰や尾根)や、周囲より小高い所を指す総称ですので、丘は山の一部のであることもあります。「~岳」などは地理学の用語ではありませんが、山の一部に「丘」がある起伏の激しい山地を指します。

「地理学事典」なる書物があるので参考にされると良いと思います。


と言う訳で、後から明らかになると思われるが、長崎空港の‘花文字山’は、明らかに‘丘’である。

さあ、こうなると、またまた気になるのは「‘丘’と‘岡’の違い 」である!

この際、調べてみますか!?

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1154810616
Q:「丘」と「岡」の違いを教えて下さい。

A:

「丘」…四方が高くて、中央が低い土地のこと。

「岡」…山の背の平らな部分のこと。あるいは低い山のこと。

「阜」…石のない山のこと。

「陵」…丘よりも、大きなおかのこと。

僕愛用の『標準漢和辞典』(旺文社)より


さて、こうなるとまたまた気になりだした!

上記引用文献によれば、岐阜の‘阜’は、‘おか’ということらしい。このことは、浅学菲才な私は残念がら知らなかった!

その土地を‘岐阜’と命名したのは‘織田信長’だということは誰でも知っている!

しかし、何故‘岐阜’なのだろうか?

‘岐’という‘おか’があるのだろうか?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%90%E9%98%9C%E7%9C%8C
岐阜県名の由来[編集]

「岐阜」の名は諸説あり、一説には、織田信長の命名によるとされる。政秀寺の僧侶であった沢彦宗恩の案によって、「岐山」(殷が周の王朝へと移り変わる時に鳳凰が舞い降りた山とされ、周の文王はこの山で立ち上がり、八百年の太平の基を築いた)の「岐」と、「曲阜」(学問の祖、孔子の生誕の地)の「阜」を併せ持つ「岐阜」を選定して、太平と学問の地であれとの意味を込めて命名したとされる。

『信長公記』(太田牛一)によると、織田信長が美濃国を攻略した際に、稲葉山の城下の井口を岐阜と改めたと書かれている。江戸時代中期の尾張藩の記録の『安土創業録』(名古屋市蓬左文庫蔵書、旧蓬左文庫所蔵・尾張徳川家蔵書)、『濃陽志略』(別名・濃州志略、国立公文書館所蔵)にも信長命名とあり、『岐阜志略』(長瀬寛二、1885年(明治18年))が『安土創業録』の記述を引用して信長が初めて岐阜と命名したとしている。
同時代史料を確認してみても、「言継卿記」永禄11年11月10日条に「三州徳川左京大夫所へ沢路隼人佑差下,予岐阜へ下向之次也」。また、ルイス・フロイスの日本耶蘇会年報にも、永禄12年5月,「我等は岐阜の町に著きたり,人口約一万なるべし」。という記述があり、信長命名以前に、岐阜という地名が確認できないことが分かる。他にも、細川両家記や多聞院日記での岐阜の初見は永禄11年である。

一方、井口の地名の方は、永禄三年七月廿一日六角承禎の書状に、濃州井口。歴代古案、織田信長の書状に、(永錄七年)仍先月濃州相働、井口近所取出。このことから、信長公記にある1568年(永禄11年)に、信長が井口を岐阜と改めた以前に、岐阜であった事実は確認できない。

岐阜は信長命名以前にすでに使用されていたという異論もある。岐阜市案内(岐阜市教育会編、1915年(大正4年))では、「一説には、古来、岐府、岐陽、岐山、岐下と書き、明応永正の頃より旧記に岐阜と見えたれば、信長の命名にあらず」と記載。美濃国諸旧記(寛永正保の作?)には、稲葉山を岐山、里を岐阜と呼び、信長が岐阜・中節・井ノ口・今泉・桑田を合併して、岐府と称したとし、岐阜は古来の字で、信長は岐府と府の字を使ったと主張されている。ただし、忠節・今泉は近世地名(江戸時代)であり、岐阜を岐府と別称した文書はない。また、仁岫録、東陽英朝の語録;少林無孔笛、明応8年孟夏日・土岐成頼画像;東陽英朝賛にいずれも岐阜鐘秀。万里集九の梅花無尽蔵に、岐陽という語句が頻出、岐下風流、雖退去于岐阜陽、とあるが、同書物中では岐陽とは何かについての具体的な説明はなく、梅花無尽蔵注釈;市木武雄において、岐蘇川(木曽川)の陽(北)に位置し、鵜沼・岐阜一帯を指すとするが、同書物中には、木曽川となっており、木曽陽あるいは木陽でないとおかしいし、岐蘇川としても岐蘇陽という表現がないのもおかしいという疑問もある。


ここまでで、山と‘おか’の違い、そして‘おか’にも色々ござんす!という事や、‘岐阜’の名前の由来は判ったが、まだ長崎空港の‘花文字山’についての情報に辿りついていない!

(つづく)
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[2013/09/25 23:53] | 観光 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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