東京メトロ銀座線(その2):その歴史
東京メトロ銀座線 は、日本の地下鉄の嚆矢である。

昭和2年(1927年)に開業というから、もうかれこれ85年にもなろうとするから日本女性の平均寿命(86.41歳)とほぼ同じである!

http://nishinomiya.areablog.jp/blog/1000061422/p10737815c.html
現在は、確かこのようなことは無くなっていたと思うのですが、日本で一番最初に開通した地下鉄である銀座線に乗って電車が駅に近づくと、ごく僅かな時間、電灯が消えて車内が真っ暗になっていました。
西宮芦屋研究所員も、初めて、東京でこれを経験した時は驚きましたが、ハルキもこのことを次のように書いています。

100601ginzasen31.jpg
     地下鉄(現東京メトロ)銀座線

「東京に来て一番驚いたというか、感動したのは地下鉄銀座線に乗った時だった。乗ったことのある人はわかると思うけれど、銀座線の列車は駅に到着する直前に一秒か二秒電灯が消えて、車内がまっ暗になる。だからまっ暗になると『ああ、もう駅なんだな』とわかる。しかし生まれてはじめて地下鉄銀座線に乗った人にはそんな事情はわからない。だからまっ暗になった瞬間にまず『事故だ!』と思う。(中略)でもその時僕がいちばんびっくりしたことは、他の乗客が毛ほども驚いたり、怯えたり、動揺しないということだった。」
(村上朝日堂 地下鉄銀座線の暗闇) 「よみうり梅田文化センター」講座 「村上春樹の世界を探る」



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%9C
%B0%E4%B8%8B%E9%89%84%E9%8A%80%E5%BA%A7%E7%B7%9A

銀座線(ぎんざせん)は、東京都台東区の浅草駅から渋谷区の渋谷駅までを結ぶ、東京地下鉄(東京メトロ)が運営する鉄道路線。鉄道要覧における名称は3号線銀座線である。

路線名の由来は繁華街の銀座から。車体及び路線図や乗り換え案内で使用されるラインカラーは「オレンジ」(橙)、路線記号はG。

概要[編集]

1927年(昭和2年)に浅草 - 上野間で営業を開始した日本で最初の地下鉄である[1]。

当時のポスター[2]では「東洋唯一の地下鉄道」というキャッチコピーが使われ、アジア・オセアニア地域では初めての地下鉄路線である。なお、1番切符を手にし、一番初めに乗った乗客は原鉄道模型博物館の館長、原信太郎であり、原鉄道模型博物館にはそのことが展示されている。

東京地下鉄(東京メトロ)の路線では丸ノ内線とこの銀座線のみ標準軌で、第三軌条集電方式を採用している。そのため、周辺他社路線との直通運転は不可能であり、東京地下鉄でこの2路線だけは他社路線との直通運転を行っていない。また、第三軌条集電方式を採用しているため、駅ごとに進入部のデッドセクションが存在し、2両ユニット方式で MG を搭載した1500N系をのぞく01系以前の車両では駅到着直前のデッドセクション通過時に室内灯が消灯し代わりに非常灯が点灯していた。また、前照灯も消灯し扇風機の電源も切れた。

トンネル断面が小さいゆえに車両自体も小さく(東京地下鉄の車体の規格の中で最も小さく、1両の車両長が 16 m ×6両で、1編成の長さは 96 m しかない)、そのため、1両あたりの乗車定員は少ない、車内冷房装置の屋外機が屋根に取り付けられない、などの制約が生じている。これは、建設費の節約のためである。初めての地下鉄建設とあって将来的な輸送の見込みを立てるのは困難であり、実際開業当時は十分な輸送力を持っていたのだが、現代に至っては輸送力不足を招く結果になってしまった。冷房装置については、1990年頃になって薄型装置が開発されたことにより屋根上に搭載できるようになったため、新造車には当初から冷房が搭載され、冷房装置なしで登場した車両にも冷房装置の設置が行われていた。今では01系車両の全編成に冷房装置が取り付けられている。

浅草・上野・日本橋・銀座・新橋・赤坂・青山・渋谷といった東京都心のほとんどの繁華街やビジネス街を縫うように走る路線のため、利用客が多く日中でも3分に1本の割合で高頻度の運転がなされている

この銀座線の混雑緩和のために建設された路線が半蔵門線である。また銀座線は後発の他路線に比べて乗り場が浅く、田原町や末広町、虎ノ門、外苑前など多数の駅で階段を降りるとすぐに改札口があり、改札口の先にすぐホームがあるという利用しやすい形態になっている。相対式ホームの駅ではそのほとんどで線路間の支柱がリベット組みの鉄骨となっており、日本最初の地下鉄の歴史を偲ぶことができる。


私が東京に就職したのは昭和42年【1967年】であるが、その時代の地下鉄には、冷房装置が取り付けられてはいなかったために、窓を開けたまま地下鉄は走っていたのである。

従って、電車の音がトンネルに反射してそのまま電車の車両の中に入って来るのである。

五月蠅いの何のって、隣の人との会話が成立しなかったのである!

そして、冷たい空気が入って来る訳ではないので‘猛烈に’暑かった!

上記引用文献によると、1990年【平成2年】頃になってやっと冷房装置が取りつけられたというから、20数年前からだ。

従って、今の若い人はそんなことは知らない!

‘今昔の想い’とはこんなことを言うのだろう。

800px-TRT-1001-Interior-Tokyo-Metro-Museum.jpg
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%9C%B0%E4%B8
%8B%E9%89%84%E9%81%931000%E5%BD%A2%E9%9B%BB%E8%BB%8A

冷房装置の無い頃の地下鉄車両:窓が開くようになっている!

われわれが聞かされていたのは、冷房にするとそれに費やされるエネルギーと排気熱によってトンネルの中が異常に暑くなる。従って地下鉄は冷房出来ないのである、ということだった!

しかし、それは少し事情が違うようである。

そのいきさつは、次のように解説されている。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1370889243
Q:むかしは、地下鉄は車内を冷房しませんでした。車内で冷房してもトンネル並びに駅が暑くなるとかの理由でしょう。トンネルを冷房して窓を開けて走ったりしていましたが、今は車内冷房ですよね。
どうして?今は冷房してもトンネルと駅、暑くならないのですか?

A:鉄道従事員です。

他の方も書かれていますが、車両が出す熱が減りました。

かつての電車は、多段式制御装置、電力発電ブレーキ搭載が当たり前でした。

加速するときは、モーターを並列に繋いだり、直列に繋いだりしながら、モーターに電力を送る回路の途中に抵抗器を入れて、モーターにかかる電力を制御しました。

ブレーキ時は、モーターに送る電力を停止することで、構造が発電機と変わらない直流直巻電動機が車輪によって回転させられて発生する電気を、抵抗器で熱として消費することでブレーキ力を得ました。むろん最終的に停車するときは空気ブレーキでしたが。

加速にも減速にも抵抗器を使うため、大量の熱を出したのです。当然地下のトンネル内が熱を充満させてしまうので、地下鉄側が嫌がりました。

だから、103系1000番台(初代千代田線乗り入れ車)や1200番台(2種類目の東西線乗り入れ車)は、多段式制御器は使いましたが、抵抗器には強制冷却装置を付けていない自然通風式にしたりしました。

しかし、電力使用量の多さや熱の問題で嫌われ、1000番台はチョッパ制御式の201系省エネ車の地下鉄用203系にバトンタッチし地上用に多くが改造されました。

1200番台は一部1000番台とともの東西線乗り入れで頑張りましたが、後継のE231系にバトンを譲って引退しています。

地下鉄への乗り入れ車は、私鉄の多くが抵抗式から抵抗器が不要なメインチョッパ制御(サイリスタチョッパ制御、AVFチョッパ制御、電機子チョッパ制御など)に変化して雪、ブレーキも抵抗器を使用しない電力回生ブレーキとなり、抵抗器から出る熱がなくなりました。

現在、JRの乗り入れ車209系800番台やE231系の地下鉄乗り入れ車、西武の6000系や6050系、東武の20070系、50050系、50070系、9050系、小田急の4000系など、多くの車両が、VVVFインバータ制御器と酸素交流誘導電動機、電力回生ブレーキ優先の全電気指令式ブレーキという組み合わせで、殆ど熱を出すことがありません。

だから、普通のクーラーやエアコンで、問題が無くなったのです。


(つづく)
スポンサーサイト
[2013/09/28 23:32] | 歴史 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
<<‘倍返しだ!’ | ホーム | 東京メトロ銀座線(その1)>>
コメント
コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する

トラックバック
トラックバック URL
http://kissyarita.blog.fc2.com/tb.php/670-7bbd12b8
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
| ホーム |
designated by FC2