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‘朝顔’の句への子規の評価
‘朝顔’の句への子規の評価

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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E5%B2%A1%E5%AD%90%E8%A6%8F

加賀千代女の‘朝顔の句’について、正岡子規は、俳句ではない!ともで言い切っているという!

朝顔に(や) 釣瓶取られて 貰い水 (千代女)

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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E8%B3
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この句に関して、「俳句は写生を以って貴しとなす」と言ったかどうかは知らないが、正岡子規は、徹底して写生を大切にしたから、千代女の句作の態度に疑問を投げているという。

つまり、写生ではない思惑が入り込んでいるとして、謂わば‘こきおろしている’というのだ!

http://www1.odn.ne.jp/~cas67510/haiku/shikihaikunoshinka.html
自己のやさしさ思わせぶりを嫌う

 子規は、古句の批評により、俳句に対する「視点」を具体的に示している。

   朝顔に釣瓶取られてもらひ水   千代

 加賀の千代の有名な句だが、子規はこの句を「人口に膾炙する句なれど 俗気多くして俳句といふべからず」と厳しく言い切っている。どうしてなのか。子規は、次のように説明をする。

 「朝顔の蔓が釣瓶に巻きつきてその蔓を切りちぎるに非れば釣瓶を取る能はず、それを朝顔に釣瓶取られたといひたるなり。釣瓶を取られたる故に余所へ行きて水をもらひたるといふ意なり。このもらひ水といふ趣向俗極まりて蛇足なり。朝顔に釣瓶を取られたとばかりにてかへって善し。それを取られてとは最も俗なり。ただ朝顔が釣瓶にまとひ付きたるさまをおとなしくものするを可とする」と。

 千代女(元禄16年~安永4年)は、加賀松任の人で、生前「千代尼句集」が出たほど評判が高く、なかでもこの朝顔の句は、芭蕉の「古池」と並ぶほどひろく知られ、俳句の代表的な句と親しまれていた。句意は句の通り、井戸の釣瓶に朝顔がからみ咲いていたので、隣から貰い水したというもの。朝顔へのやさしい心づかいが出ていて、平明で分かりやすいものの、「釣瓶取られて」と朝顔を擬人化し、朝顔へのやさしさを詠むことにより自身の心持ちを炙り出しているところを「趣向俗極まりて蛇足なり」と看破したものである。


子規は、どうやら‘説明’や‘思惑’を嫌ったのだろう。

上記引用文のタイトルにある通り、‘自己のやさしさ思わせぶりを嫌う’余り、「可哀想だから、私は朝顔の蔓を切ることをしなかった」という‘押しつけがましい’‘優しさの押し売り’に嫌気が射した、といったところなのであろう。

「ただ、朝顔の蔓が釣瓶に撒きついている様をそのまま詠めばいいじゃあないか!」というのが子規の主張である!

なるほど、例えば、私が最も好きな芭蕉の句

「五月雨を 集めて速し 最上川」

においては、子規が指摘する‘自己のやさしさ思わせぶり’などは全くない!

ただ、芭蕉の「古池や 蛙飛び込む 水の音」については、子規は俳句としての‘価値’を否定していると言うから面白い! 

これについては、また後日この弊ブログで紹介したい!

(つづく)
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[2013/10/19 22:22] | 言葉の威力 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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