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私の文化の日(その2)
2013年11月21日の弊ブログに、

http://kissyarita.blog.fc2.com/blog-entry-719.html
文化の日には、我々も何か‘文化的な事’をと考えた結果、

① 曼荼羅の世界を覗きに行こう!

② 文化の象徴(?)である‘本’について、神田古本市を体験しよう!


という事になった。


と、書かせて貰った。そして、②の神田古本市の様子を体験した記事を先に書いた。

今日(2013年11月24日)は、① の‘曼荼羅の世界’を覗きに行った日(11月3日)の記事である。

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http://www.k3.dion.ne.jp/~kanzoin/
行き先は、慈雲山曼荼羅寺観蔵院・曼荼羅美術館。場所は、以下の通り。
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西武新宿線で井荻駅下車。歩きで約30分、やっと、上図の‘観蔵院入口’の交差点に到着した。

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2013年11月03日(文化の日)13:54

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この交差点が‘観蔵院入口’である。左折するといよいよ曼荼羅美術館である。

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ご案内が出ている。

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‘悉曇’は、‘しったん’と読む。

悉曇(しったん)とは日本に伝わった梵字の一種で「成就」を意味します。6~9世紀ごろにインドで使われていた「シッダ・マートリカー」という文字で、仏教とともに中国に伝わり、7世紀初期に日本に伝来したといわれています。日本で本格的に悉曇が学習されるようになったのは、弘法大師空海をはじめとする入唐僧が中国で学び、多くの梵語文献を持ち帰った平安時代になってからのことです。特に真言宗では悉曇を如来の真実語として捉え、種子(しゅじ)、真言(しんごん)、陀羅尼(だらに)を密教を形成する重要な要素の一つであると位置づけています。



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● 平成25年 第19回 仏画・悉曇特別展のお知らせ

 日 時:平成25年11月1日~5日 AM10時~PM4時(最終日はPM3時半まで)
 場 所:観蔵院曼荼羅美術館本館・別館・本堂・客殿
 入館料:無料

●住職からのご挨拶
 日本文化は、何といっても仏教が基盤です。日本文化のそのものを示す「仏画・悉曇展」は今年で第19回を迎え、内容も回を重ねるたびに質を高めるよう努力して参りました。
 今回も新企画を加え、皆様の満足できることを願い、真心をこめ準備をいたしました。人の心を豊にするためには、すぐれた文化に接することが大切です。開催期間中は様々な仏教文化に出会うことができます。多くの方々のご来山を衷心よりお待ちいたします。
                             観蔵院山主・小峰彌彦

●特別展示会
◇ 曼荼羅特集
  武蔵野大学寄贈 子島曼荼羅(金剛界)・別尊曼荼羅・その他
◇ 染川英輔画伯
  日本画作品展
  「幼年時代」「聖夜ーアッシヂにて」「聖母子」「夢」他
   作者の魂の記録として制作された日本画作品の数々を展示します。
  次作「壇の浦レクイエム」への習作
   「壇の浦真景図」「武者」「船」「顔」他
◇ 截金教室 最初の展示会

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ここが曼荼羅美術館への入り口。

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入口の正面。

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真言宗だから、弘法大師である。

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曼荼羅美術館、という立派な碑が建っている。

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恐るおそる入ってみると・・・

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本日の特別展に、大勢の人達が集まって来ておられた。言葉から、随分遠くから来られたのが判ったが・・・。

内部は、写真撮影禁止だったから、画像はないが、素晴しい仏画が数十点展示してあった。

‘悉曇(しったん)’は、梵字の一種というから、全く意味が判らない。ただし、この悉曇の技法にも色々あるらしく、何となく‘上手・下手’が判るのが面白い。悉曇で、般若心経が書かれていたが、これは素晴しかった!
写真撮影禁止なので、残念なのだが、どうして禁止なのだろうか?不思議である。何かに‘活用’されたって、よさそうなのに・・・。商品価値で禁止というのなら、本来の目的は?と聞きたくなる!

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さて、この碑には、‘真言宗’にとっては大事な中興の祖、弘法大師亡き後の‘腐敗’脱却に一命を賭した興教大師の怨念とでも言えそうなオーラが見える!

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%9A%E9%91%81
覚鑁(かくばん、嘉保2年6月17日(1095年7月21日) - 康治2年12月12日(1144年1月18日))は、平安時代後期の真言宗の僧。真言宗中興の祖にして新義真言宗始祖。
諡号興教大師(こうぎょうだいし)。肥前国藤津庄(現:佐賀県鹿島市納富分)生まれ。父は伊佐平治兼元、母は橘氏の娘。
平安時代後期の朝野に勃興していた念仏思潮を、真言教学においていかに捉えるかを理論化した。即ち、西方浄土教主阿弥陀如来とは、真言教主大日如来という普門総徳の尊から派生した別徳の尊であるとした。
真言宗の教典中でも有名な『密厳院発露懺悔文』、空思想を表した『月輪観(がちりんかん)』の編者として著名。また、日本に五輪塔が普及する切っ掛けとなった『五輪九字明秘密釈」の著者でもあった。

経歴[編集]

生誕の藤津庄が京都仁和寺領であったため、13歳で仁和寺成就院へ入り、16歳で得度・出家。奈良東大寺等で学び、20歳で高野山へ入る。古式な真言宗の伝法の悉くを35歳の若さで灌頂し、空海(弘法大師)以来の才と称された。

36歳の覚鑁は、真言宗総本山である高野山の現状に眼を止める。当時の高野山には、僧侶は食べる手段と割り切った信心の薄い下僧と、権力に眼を眩ませる上僧が跋扈する有り様であり、真言宗が腐敗衰退した現状を嘆いた覚鑁は自ら宗派の建て直しに打って出る。
高野山金剛峯寺に大伝法院を建立し座主に就任したのを皮切りに、金剛峯寺座主にも兼ねて就任し事実上同山の主導権を制し、真言宗の建て直しを図るが、当然この強硬策に反発した上下の僧派閥は覚鑁と激しく対立、遂に保延6年(1140年)に、覚鑁の自所であった金剛峯寺境内の密厳院を急襲してこれを焼き払い、さらに金剛峯寺追放を行った。

この時覚鑁の命を狙った刺客が、密厳院本尊の不動明王像の背後に覚鑁が潜んでいると判断し同像を切りつけたところ、像から血が流れたのを見て驚愕して引き上げ、覚鑁は辛くも一命を取り留めたという、有名な「きりもみ不動」伝説が生まれた。
この凶行に至る前に、覚鑁は権力の亡者と化した真言宗門徒の有り様を嘆き、密厳院において長期に渡る無言行を修し、直後に『密厳院発露懺悔文』を一気に書き上げる。堕落した僧界の現状を恥じる赤裸々な内容が壮絶な同経文は、「我皆相代わって悉く懺悔す、更にまたその報いを受けしめざれ」という贖罪の決意を明らかにした末文も相まって、現在も真言宗各派において宗教家の自覚を促し自戒する経文として広く唱えられる。

高野山を追われた覚鑁は、弟子一派と共に根来山(ねごろさん)に移り、根来寺を建立、大伝法院や密厳院を移し、真言宗の正しい有り方を説き独自の教義を展開する。
康治2年(1143年)の覚鑁の入滅後、根来寺奥之院の霊廟に埋葬され、弟子たちは高野山へ戻るも既に金剛峯寺との確執は深く、再び根来山に戻り頼瑜を中心として覚鑁の教学・解釈を基礎とした「新義真言宗」を発展させていく。
後に根来山は豊臣秀吉との確執の末に討伐を受け壊滅、生き延びた一部の僧たちは奈良や京都へ逃れ長谷寺(豊山)や智積院において新義真言宗の教義を根付かせ、現在の新義真言宗(根来寺派)、真言宗豊山派、智山派の基礎となった。

江戸時代になり、ようやく新義真言宗は紀州徳川家より復興の許しを得て根来寺と共に復興、覚鑁は生前の功績を評価され興教大師の諡号を贈られた。現代では新義真言宗・真言宗豊山派・真言宗智山派で空海の宝号『南無大師遍照金剛』と一緒に『南無興教大師』を唱えている


宗教団体にしろ、政治団体にしろ、会社・法人にしろ、‘人の集団’では、いずれ‘内部抗争’が起き、崩壊へ繋がって行くのは、歴史が証明している。ただし、その集団には建て直しを図る大人物が現れて‘中興の祖’となる。

そんな生き様が、人間の歴史なのだろう。‘中興の祖’だけをピックアップして歴史を学ぶと、またそこから或る共通した‘教訓’を引き出すことが出来るのかも知れない!

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この画像の中心に・・・

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蜘蛛が・・・。

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お寺の境内に、何と‘レモン’の木が・・・。

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立派な‘青いレモン’が・・・。(緑色なのにどうして‘青い’というのだろうか?)

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参道・・・。

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背丈の高い木には、オーラがある!

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この木の一部腐食部分には、‘木の子’が・・。

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松の大木にも、何だか大きな‘ちから’が感じられる!

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こちらが、本来の入り口??

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あそこが曼荼羅美術館。

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これが正面だった。

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ここ、曼荼羅美術館では、こんな素敵なイベントも・・・。

この曼荼羅美術館で、ゲットした資料は次の通り。

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仏画の手ほどき書。

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‘曼荼羅’の意義とその構造については、別途調査して見たい。

(つづく)
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[2013/11/24 23:42] | 学習と文化 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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