上野の森から浅草へ(その1:上野の森の秋<1>)
2013年12月03日は、全日展の最終日である。

東京・上野の森・東京都美術館へ行った。
この時のことは、一昨日(2013年12月10日)の弊ブログに書かせて貰った。しかし、その時の上野の森の秋満載の様子やその全日展を観終わった後、浅草へ行ったことはまだ記事にしていなかった。

千葉県・外房線・本納駅を出発して上野駅・公園口に着いたのは、11時半を少し回った頃だった。

画像ー192全日展 001-2
上野の森に集まっている人達は、みんな日本国中から来た人達で、地元の人はほとんどいない。だからみんな‘冬装備’で東京へ出てきてしまったから、いやいやながらコートを着ているといった感じだった。

師走に入ったというのに、関東地方は暖かい日が続いていた。
今年の気候は、やはり異常というべきなのであろう!
沖縄を除けば、東京近辺の気温が最も高い。

そんなことから上野の森も‘冬景色’など何処にもなかった!

画像ー192全日展 022-2
上野動物園の正面である。この画面の向かって右にある銀杏の葉は、今が見頃で、まだ散り始めてもいない!

画像ー192全日展 022-3
拡大。この人なんか、もうコートを脱いでしまっている!

例年なら、多分12月に入れば銀杏の葉は完全に落ちてしまっているに違いないのに、ここ東京は最低気温が、他所に比べて低くならないから、少しやっと散り始めたかな、といった状況であった。

画像ー192全日展 004-2
こうやって見ると、まだ隅々まで黄色くなってしまった訳でもないように見えるのだが・・・。

画像ー192全日展 005-2
この道を真っ直ぐに行くと右手に東京都美術館である。

画像ー192全日展 006-2
振り返ってみると上野公園からは、‘スカイツリー’がこんな風に見えている。

画像ー192全日展 007-2
国立西洋美術館では、12月07日から、あの‘モネ展’が始まるという。来年の3月9日までとあるので、この期間に是非とも拝観したい。もう多分我々の様な年寄りにはが生きている間に‘モネ’の作品を日本では拝めないに違いないから・・・。

画像ー192全日展 009-2
交番近くの大銀杏の木。まだ地面に黄色い葉っぱ落ちていない!

画像ー192全日展 010-2
ここは、銀杏並木通りかも?

画像ー192全日展 011-2
こちらは修学旅行の一分派?

ところでここへきて不思議な‘光景’に出会った!
銀杏の葉が、ホロリ、ホロリと落ちている‘瞬間’が、静止画になっている光景!「なにこれ!?」

画像ー192全日展 012-2
確かに、TV画面で‘ストップ’をかけたみたいに‘静止画’的ではないか!

画像ー192全日展 013-2
近づいて見ると、確かに・・・、でも「な~るほど!」

画像ー192全日展 014-2
という訳で、フェンスに銀杏の葉っぱが‘引っかかって’いるのである!
でもこんな情景が人工的でなく実現するとは???
流石に‘正岡子規’記念球場のフェンスだけのことはある!

http://www.kensetsu.metro.tokyo.jp/toubuk/ueno/sisetu.html
・野球場(愛称:「正岡子規記念球場」

 明治20年ごろ、正岡子規が上野公園内で草創期の野球を楽しんでいたことから、愛称がつきました。
「春風や まりを投げたき 草の原」の句を刻んだ碑が建てられています。(平成18年7月21日除幕式)


http://www.sakanouenokumo.jp/shiki/baseball.html
正岡子規と野球

2004年(平成16年)春の選抜高校野球は愛媛県代表「済美高校」が、創部2年目で初優勝という快挙を成し遂げました。さらに、その年の夏も準優勝と、久しぶりに野球王国"愛媛"の復活を見ることができました。

かくいう子規も東京大学予備門時代にはアメリカから伝わったベースボールに夢中になります。 余談ですが、高校時代に先生から「野球」という言葉の語源は、子規の幼名である「升(のぼる)」をもじって、「野球(の・ボール)」となったと教わりました。
しかし、どうやらこの説は真実ではないそうです。(残念)


記録には鹿児島出身の中馬庚(ちゅうまかのえ)が英語のbaseballを「野球」と訳したといわれています。 ちなみに、中馬は明治21年に東京大学予備門に入校しており、子規の後輩にあたります。

野球に夢中になった子規は、自らのペンネームを「野球」と名乗り、

 「恋知らぬ 猫のふり也 球あそび」
 「久方の アメリカ人の はじめにし ベースボールは 見れど飽かぬかも」

など、野球に関係のある句や歌を多数残しております。さらには、ベースボール用語を「直球」「四球」「飛球」「打者」「走者」と訳し、一般的に広めたのは子規の功績ともいわれております。とにもかくにも、文学を通じて子規は野球の普及に貢献ししました。
そして、これらのことが評価され、子規没後から100年後の2002年(平成14年)についに野球殿堂入りを果たしています。

なお余談ですが、海軍で初めて野球を広めたのは、子規の親友・秋山真之だそうです。



(つづく)
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