‘佛画’に見るプロとアマの違い!
「プロとは何か?」という質問がある。

それに対しての答えは、人によって大いに違う!
私にその質問が来たら、どう答えたらいいのか、よく判らないから、
「これが、プロとアマの違いですよ!」と比較するための材料を提供してみて、納得してもらうことにしている。

今回は、‘佛画’において、プロとアマの違いを見てみたい!

アマの代表は、大変失礼ながら、初作が、全日展で‘特選’の栄誉に輝いた佛画の一年生の‘京惠さん’の作品。
そして、プロの作品は、お馴染み「出張なんでも鑑定団 in 東金」で、650万円也のプライスがついた‘木村武山’作「聖観音」。

木村武山画伯については、ご存知の方も多いと思われるが、改めて・・。

木村武山の掛け軸ー2
http://otakarajoho.blog10.fc2.com/blog-entry-348.html


木村 武山(きむら ぶざん、明治9年(1876年)7月3日 - 昭和17年(1942年)11月29日)は、明治 から昭和初期の日本画家。横山大観、下村観山、菱田春草らと共に、岡倉天心のもとで日本画の近代化に努めた。

伝記[編集]
明治9年(1876年)、茨城県笠間市に旧笠間藩士木村信義の長男として生まれる。本名は信太郎。父は廃藩後に帰農した後、笠間銀行(現常陽銀行)を設立、頭取となる程の実業家で郷党の人望家だった。はやくも2歳頃から地元の南画家桜井華陵に師事、12歳頃には「武山」の号を用いている。武山の号は、笠間のシンボルとも言える佐白山・山上の別称「阿武山(おたけ)」に由来する命名という。明治23年(1890年)、地元の小学校を卒業後に上京、東京開成中学校に入学するが、翌年東京美術学校普通科に編入する。ここで同校教授の下村観山の強い影響を受け、以後画家としての人生を観山と共に歩むことになる。またこの頃、川端玉章の画塾天真社で学ぶ。

明治29年(1896年)9月に卒業後も同校に留まり、日本画研究科へ進む。同年日本絵画協会第一回展に「貫定卿旧都観月」で二等褒状を受ける。明治31年(1898年)2月には平泉中尊寺金色堂修復に助手として参加。同年10月に創立された日本美術院に参加、最初は副員だったがのち正員となる。明治35年(1902年)頃から先輩の下村観山との強い絆が生まれたようで、谷中初音町の八軒家に観山や大観と共に住み、朦朧体への批判で世評が厳しくなった美術院を支える中心作家としての立場が明快になっていく。

明治39年(1906年)、観山の推挙により天心らの五浦移転に、一家をあげて同行する。武山の代表作の多くはこの五浦時代に描かれており、後半期の画業の主流となる仏画も並行して描き始めた。大正3年(1914年)、大観・観山らと共に日本美術院を再興、経営者、評議員、同人の三役を兼ね、以後中心的存在として院の経営に尽力した。昭和12年(1937年)、脳内出血で倒れ郷里笠間で静養、病で右手の自由が利かなくなったため左手で絵筆を執り、「左武山」の異名をとる。昭和17年(1942年)、喘息のため死去。法名は泰霊院映誉広彩武山居士。
作品初期は歴史画が多く、25歳頃から主に花鳥画を描く。大正初期は琳派の手法を用いた壮麗な作風が特徴的である。1916年(大正5年)、笹川臨風と共に大和巡りをした際、観心寺の如意輪観音坐像に驚嘆したのを切っ掛けに、後年は仏画を多く描いた。優れた色彩感覚を持ち、日本美術院きってのカラリストと評された。


今回比較するお二人の作品は、次の通り。

・木村武山画伯

木村武山の掛け軸ー9
なんでも鑑定団で、なんと‘650万円’の価格がついた作品「聖観音」

・京惠さん

画像ー192全日展 067-2-2

比較は次の部分ごとに・・・。

比較部分ー①<頭部>

画像ー192全日展 070-5

木村武山の掛け軸ー5

1)頭髪の描き方がかなり違っている
2)線の切れがプロとアマの差を物語っている
3)特にあご下の線に大きな違いが・・・
4)全体に漂う‘気品’が見事に違う

比較部分ー②<胸部>

画像ー192全日展 070ー7

木村武山の掛け軸ー6

1)手の‘しなやかさ’に大きな違いがある
2)‘どっしっり感’には気をつけるべきなのだろう
3)アクセサリーの質の選定が大事 

比較部分ー③<アクセサリー①>

画像ー192全日展 070-6

木村武山の掛け軸ー7

1)アクセサリーの選定の仕方でこんなにも‘品’に違いが出る
2)全体の色彩に統一感が有るか無いかで、プロとアマの差が大いに出る
3)‘色むら’には気をつけて・・・

比較部分ー④<アクセサリー②>

画像ー192全日展 070-7

木村武山の掛け軸ー3ー2
木村武山の掛け軸ー8

1)繊細さに大いなる差が出ている
2)模様による色彩の‘グラデーション’を採用すべきであって、同一色彩箇所でのグラデーションは色むら

比較部分ー⑤<全体像の広範囲>

画像ー192全日展 067-1

木村武山の掛け軸ー3
木村武山の掛け軸ー4-2

1)比較すること自体がおこがましいが、武山画伯の一作目は一体どんな作品だったのだろうか?

京惠さんには、多くの傑作をじっくりと見る習慣をつけて、繰り返し‘基本’となる‘線’の練習を怠りなく精進してもらいたい!

そして、画材・アクセサリーの選定が、その佛画全体の品の良さを決めることもお忘れなく・・・。

(つづく)
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[2013/12/14 23:08] | 芸術 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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