新シリーズ・キッシー君の‘人生訓’(その1)のつづき
新シリーズ・キッシー君の‘人生訓’(その1)のつづき

さて、人生訓の表題の「面倒くさいことにこそ価値がある!」‘静なる感動’とはどんな関係があるのだろうか?

これまでが、‘人生訓’の前哨戦!

(つづく)で昨日のブログは終わっている!



さて、「面倒くさいことにこそ価値がある!」と‘静かなる感動’との関係について

結論:もし‘静かなる感動’を得ようとお望みでしたら、‘面倒くさい’事に手を染めねばなりません!

逆に申しますと、‘面倒くさいこと’を‘面倒くさい’とお思いなって‘手を染めない’でおられたら、‘静かなる感動’を手に入れることは出来ないのでございます。

人生の総決算は、詰まる所‘積分’してしまうと‘ゼロ’になってしまうものでございます。
それが、人生哲学で最も正しい見方でございます。
だって、ゼロから産まれて来るのですからゼロに戻らなければ辻褄が合わないじゃぁあございませんか!

‘面倒くさいこと’ってのは、謂わば‘マイナス’の量でございます。
それとの対比で申し上げますと‘感動’は、お気づきの通り‘プラス’の量なのでございます。
積分で‘ゼロ’になるのでございますから、‘マイナス’のものがなければ‘プラス’のものは発生しないという事は言うまでもございません!

いやいや、ノーベル賞をお貰いになられた様な優れた御仁は、積分しても‘プラス’になるのでは?とのご疑問を抱かれる方もお出ででしょうが、それは違うのでございます。そんなご立派な方にも‘面倒くさい’事をそれなりにこなして来られたのです。そんな方こそ‘死ぬほど’面倒くさいことをやって来られた筈なのでございます!

そして、何もしない人には何の感動も生まれないのでございます。これはこれで、お判りのように積分すれば‘ゼロ’になることは明白でございます。

そんな意味合いでも人間はみな平等なのでございます。

では、もう少し踏み込んで、殺人を犯したり、強盗をしでかしたりで、‘マイナス’ばかりをしでかす人間に‘プラス’評価があるのか?とのご疑問を抱かれる向きもあろうかと存じます。実は、これも上手い仕組みになっておりまして、世間様には‘反面教師’としての役割を身をもって演じさせられておるのでございます。

それじゃあ、人間何やったっていいじゃあないか、と言う事になるじゃあありませんか!そんなことって一体??とお思いになられるお方もお出でにならないとも限りません!
この事にやはり宗教家は悩んだに違いございません。親鸞聖人もそのお一人です!

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東京・浅草・東本願寺の親鸞聖人立像

キリストだってこの問題には悩まれたのでございましょう!私自身は宗教上の事はよく理解出来ている訳ではございませんが、きっとここで私めが申し上げている‘人生積分ゼロ’が思想の根本にあるのではないか?とそう思い始めている訳でございます。

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http://www.geocities.jp/kazuyanobaka1947/2006nobelphysics.html

宇宙の始まりは‘ビッグバン’という大爆発からだったと申します。一説によりますと、今が折り返し点で、同じ年月が過ぎるとブラックホールに何もかも吸い込まれて結局は元通りの‘ゼロ’の戻って行くのでじゃないか?との説、正しいのじゃあございませんでしょうか?

(つづく)
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[2014/01/06 23:40] | 言葉の威力 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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