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ひな祭り
ひな祭り は、その起源について何時からこんな理由で始まったというハッキリとした文献などもないようだから、平安時代に貴族の雅なお遊びとして自然発生的に始まって、それが‘はやり’となり、かなりの年月を掛けて或る形をとることになったのだろう。現在まで何百年もの間続いているということは、それなりのしっかりとした‘価値’があるに違いない。

習慣とは‘恐ろしいもの’で、それを見逃していると何だか社会から‘疎外’されているような感じになる。しかし、習慣もその内容が少しずつではあるが、その時代時代の背景の影響を受けて変化する。雛人形だって同じである。
その形が流行を反映して変わった人形が‘出現’する。

ドラえもん雛
http://blogs.yahoo.co.jp/kumanomi165/34372183.html

しかし、時代に流されずに何百年も続いている伝統を引き継いでの雛人形には、それなりの‘優雅さ’と‘威厳’がある。

高価な雛人形
10万円を超える高級雛 http://item.rakuten.co.jp/shuryu/h-14s/

高級男雛
高級男雛 http://item.rakuten.co.jp/shuryu/h-14s/

高級女雛
高級女雛 http://item.rakuten.co.jp/shuryu/h-14s/

ここ房総半島では、‘勝浦市のビッグひな祭り’が有名で素晴しい!

<勝浦市>

地名の由来には諸説あり、天富命を祀っている遠見岬神社を建立した阿波忌部氏の勝占の名が由来となった説[1]や、紀伊半島の勝浦から伝来したとする説がある。


県下第2位の漁獲量を誇る勝浦漁港を有する漁業が主産業の一般市。 首都圏で最も人口が少ない市である。全人口の1割以上を国際武道大学の学生が占めている特異な市でもある。 日本三大朝市の一つである勝浦朝市としても有名。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%9D%E6%B5%A6%E5%B8%82

四国の阿波と房総半島の安房が何れも「あわ」と読むのは忌部氏が阿波から安房に行った際に命名されたとも言われている。



勝浦 という地名は、千葉県の勝浦市の他に、和歌山県の那智勝浦町、徳島県の勝浦町がある。
お互いに色々な交流があるらしいが、これはきわめて古い時代からのことだという。上述の通り、忌部氏との関連からすると奈良時代にまで遡ることにもなる。
そんな訳で、この‘おひな様達’も
徳島県勝浦町からおよそ7,000体のひな人形を里子として譲り受けてのひな祭りという。

勝浦ビッグひな祭り
http://www.city.katsuura.chiba.jp/event/hinamatsuri.html

勝浦ビッグひな祭りー4_convert_2012
http://www.iwaoono.com/tabichiisana/newpage50.html

遠見岬神社の鳥居をくぐると正面階段に飾られた雛人形は圧巻
60段の石段に約1,200体のお雛様


石段両サイドの桃の花は、‘桃の名産地’岡山県から贈られたものだという。

勝浦ビッグひな祭りー3
http://www.city.katsuura.chiba.jp/event/hinamatsuri.html

覚翁寺(かくおうじ)山門前



勝浦ビッグひな祭りー5_convert_20120302161812
http://www.iwaoono.com/tabichiisana/newpage50.html

覚翁寺脇のお店に飾ってありました。




ひなをたずねて千年余 ひなまつりの由来

千年も遠い昔・・・・・・・・
平安の初期、貴族の婦女子の間に、人の雛形を紙でこしらえた小さな
人形による「ひいな遊び」というおままごとのような遊びがありました。

一方3月始めの巳の日に、子供の無病息災を願って、庭園を流せるせせらぎや
池に紙人形をうかべて流し、おはらいをするといういかにも春を迎えるにふさわしい
上巳の催しも行われていました。

この二つが結びついたものが、ひな祭りの起こりと言われています。
上巳の節句はっきり3月3日と定められたのは、室町時代のことでおひなさまの
形が立ちひなに変わったのもこのころ。
今のように華やかな衣装が着せられ、ひな壇に布地でつくった内裏びなが
見られるようになったのは江戸時代の中期。

それも江戸などの大都会からはやりだしたのも、このあたりからといわれています。
明治時代に入り女の子が生まれるたびに、どこの家でも「ひな人形」を飾って幸せと
健康をお祈りお祝いするようになりました。

かたちを変えながらも、日本の心を映して千年余り・・・・・・・・・・
ひな祭りは親から娘にへ、娘からそのまた娘のこころへと受けつがれていく
日本独特のゆかしいおまつりとして、絶やすことのできないものとなっています。
                              (由来原稿提供:(株)マル武人形)



これらの房総半島の豪華な雛人形を見せられたのでは一寸恥ずかしい気もするが、房総に居を構えさせてもらっている以上我が家にも手作りも含めて何組かの雛人形がある。

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画像-2 381 posted by (C)mobaradesu
玄関入口

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画像-2 384 posted by (C)mobaradesu
玄関正面

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画像-2 386 posted by (C)mobaradesu
居間

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画像-2 404 posted by (C)mobaradesu
食卓

我が家にはもう一つだけ思い出の雛人形がある。次の写真がそれだ。

画像-2 451
画像-2 451 posted by (C)mobaradesu

これは今から40年以上前、長女のひな祭り祝いのために我が家で最初に買った人形である。先の東日本大震災の時には、やはり揺れの振動で、男雛だけがコケていた。女雛は少々横向きにはなってはいたがコケル事はなかった。平安時代の昔からやはり‘女性は強かった’のだろうか?

















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[2012/03/03 04:30] | 趣味 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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