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東京・四ツ谷駅近辺(その2):迎賓館と公園 ①
東京・四ツ谷駅近辺(その2):迎賓館と公園

2014年01月31日、東京・JR四ツ谷駅近辺を散歩した。
千葉県の外房から東京に出て来て、四谷を散歩することなど滅多にないことである。
大抵は、地下鉄を乗り継ぎ乗り継ぎで、それぞれの打合せ会場へ向かう。

この日の打合せは、2回だけ。四谷3丁目と上野駅構内である。
その打ち合わせの間に約30分の‘余裕’が出来たのである。
そして、都合のいいことに、この日は、東京のお昼の気温が17℃と言うから外を歩きたくなる、というもんである!

そして、知りたかったのは、四ツ谷駅から迎賓館までの街路樹、他所にはあまり見かけない‘背の高い’樹の名前は?であったが、昨日の弊ブログに記した通り‘ユリノキ’だという事が、その木につけられた‘名盤’から判明した!

さて、‘ユリノキ’がヨーロッパでは、‘チューリップ’の樹と呼ばれているという面白さが判ったが、このユリノキの花が、正に‘チューリップ’の樹と呼ばれるにふさわしいのは次の画像を見れば一目瞭然である!

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http://smcb.jp/digiphoto/498341
本当に、花は‘チューリップ’である!花だけ見せられれば、「新種のチューリップ?」という事になるに違いない!

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20145年01月31日12:36 これは迎賓館側から見たJR四ツ谷駅方面である。

迎賓館、通常‘迎賓館’と言えば、東京・元赤坂のそれを指すのであるが、京都にも迎賓館があるため、元赤坂の迎賓館を特に‘赤坂迎賓館’と呼ぶそうである。

東京都港区元赤坂二丁目1番1号 - Google マップ0001
‘Google’マップ。赤坂迎賓館(A)の近傍

東京都港区元赤坂二丁目1番1号 -2- Google マップ0001
‘Google’マップ。赤坂迎賓館(A)


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%8E%E8%B3%93%E9%A4%A8
迎賓館(げいひんかん)は、外国の国家元首や政府の長などの国賓を迎え入れたときに、宿泊等の接遇を行う施設。

概要[編集]

皇居宮殿での歓迎晩餐会の答礼など、外交儀礼のための接宴として、天皇や皇族などが臨席し、晩餐会が行なわれることもある。
日本の迎賓館は、2013年(平成25年)現在、東京都港区赤坂の迎賓館(赤坂迎賓館)と、京都府京都市上京区の京都御苑内に京都迎賓館があり、内閣府の施設等機関である。通常は非公開だが、接遇に支障のない時期(通常は8月)に、事前の申し込みにより、一般参観することができる[1]。
迎賓館の使用については、「迎賓館運営大綱について」[2][3]、国・公賓の定義および接遇内容については、「国賓及び公賓の接遇について」[2][4]などにより定められている。これらの規定によれば、迎賓館での宿泊及び接遇を行うことができるのは外国の元首またはこれに準する者で、国賓として招請することを閣議決定した場合である。また、行政府以外の三権の長相当の外国の賓客についても閣議決定により宿泊させることができる。さらに、首脳外交など実務を目的として訪日する外国の元首や首相などに対しては、「公式実務訪問賓客」として宿泊を伴わない招宴その他の接遇も行われている。過去3回行われた東京サミットなどの多国間国際会議も、この接遇範疇に該当する行事として実施された。京都迎賓館においては、上記の目的に加えて地方公共団体による外国元首・首相等の接遇にも使用できると規定されている[2]。
なお近年では、内閣総理大臣と外国首脳との会談には外務省の飯倉公館(東京都港区麻布台一丁目)が利用されることも多い。

赤坂迎賓館[編集]

所在地:東京都港区元赤坂二丁目1番1号
敷地面積:11万7000平方メートル

沿革[編集]

東京の元赤坂にある現在の迎賓館の建物は、東宮御所として1909年(明治42年)に建設された。鹿鳴館などを設計したお雇い外国人建築家ジョサイア・コンドルの弟子にあたる宮廷建築家片山東熊の設計により、元紀州藩の屋敷跡(明治6年宮城火災から明治21年の明治宮殿完成までの15年間、明治天皇の仮御所が置かれていた。)に建てられた。しかしそのネオ・バロック様式の外観があまりにも華美に過ぎたことや、住居としての使い勝手が必ずしも良くなかったことから、皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)がこの御所を使用することはほとんどなかった。嘉仁親王が天皇に即位した後は離宮として扱われることとなり、その名称も赤坂離宮と改められた。

その大正天皇の皇子・皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)と良子女王(後の香淳皇后)との婚儀が1924年(大正13年)成ると、その後の数年間、赤坂離宮は再び東宮御所としてこの一家の住居となったが、裕仁親王が天皇に即位した後は離宮として使用されることも稀になった。終戦時には高松宮宣仁親王が昭和天皇に、皇居を出て赤坂離宮へ移り住むことを提案したが、天皇は使い勝手が悪く経費がかさむとして拒否している。
第二次世界大戦後、赤坂離宮の敷地や建物は皇室から国に移管され、国立国会図書館(1948–61年)、法務庁法制意見長官(1948–60年)、裁判官弾劾裁判所(1948–70年)、内閣憲法調査会(1956-60年)、東京オリンピック組織委員会(1961–65年)などに使用された。

その後国際関係が緊密化して外国の賓客を迎えることが多くなり、またそれまで迎賓館として使用していた東京都港区芝白金台の旧朝香宮邸(現・東京都庭園美術館)は手狭で随行員が同宿できないといった支障があったため、1962年(昭和37年)に当時の池田勇人首相の発意によって新たに迎賓施設を整備する方針が閣議決定された。

これを受けて、池田とその後任の佐藤栄作首相の在任時に政府部内で検討を重ねた結果、旧赤坂離宮を改修してこれを迎賓施設とすることが、1967年(昭和42年)に決定された。こうして5年の歳月と108億円(工費101億円、内装費7億円)をかけて、本館は村野藤吾、和風別館は谷口吉郎の設計協力により、1974年(昭和49年)3月に、迎賓館が完成した。新装なった迎賓館に迎えた最初の国賓は、現職のアメリカ合衆国大統領として初来日したジェラルド・フォードだった。
2006年(平成18年)から2008年(平成20年)にかけて、大規模な改修工事が行われている[5]。
2009年(平成21年)12月8日、旧東宮御所(迎賓館赤坂離宮)として国宝に指定明治以降の文化財としては初の国宝となった。


ナント、赤坂迎賓館は‘国宝’なのだ!

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この‘紋様'(?)にも深いふか~い訳があるのだろうが、‘薄学’な私には、その‘重さ’が充分には判らない!何せ‘国宝’の迎賓館の‘門の紋章’なのだから,キット・・・。

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この画像も、迎賓館側から見たJR四ツ谷駅方面。

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やっぱり、‘はとバス’がここへも来るのだろう! ユリノキの向うに見える建物は、上智大学である。

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ユリノキに囲まれた(?)上智大学。

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向うの建物は、ホテルオオクラ!

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これが、この辺では一番デカイ、ユリノキ。ベンチに腰を降ろしている学生風の人物と比較して見れば大きさが判る!

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この迎賓館の周りに‘公園’がある。

それがこの公園!

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(つづく)
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