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文化遺産の見せ方(その2):正宗禅寺の子規堂
私の本ブログの「文化遺産の見せ方(その1)<2012・03・04>」では、京都・実相院の寺宝である後水尾天皇のご宸翰(しんかん)掛け軸、「忍」の見せ方について勝手な私見を述べた。このような‘文化遺産’は、‘見る方が時間を選べるようにして貰らえば大変有難い’旨の勝手な思いからの意見である。

しかし、一般人は普段は、数時間も時間を自由に出来ない。したがって、出来れば時間が出来た時に気に入った文化遺産が何時でも見れるようになっていれば大変都合がいい。

でも‘そんな望み’を判ってくれている文化遺産管理・維持のお寺がある!

四国・松山市の「正宗禅寺」である。
俳句の中興の祖・正岡子規の‘子規堂’という文化遺産‘見る人達の気持ちになって’正宗禅寺さんが管理・維持されている。

正岡子規
正岡子規 http://www.city.soka.saitama.jp/shimin/koho/h19/1020/04/07.html

これにはこんな‘エピソード’が隠されている。

正宗禅寺にある‘文化遺産’は以下の通りである。

正宗禅寺の境内には、

①子規堂
②正岡家累代の墓

墓所は、正宗寺(松山市末広町)にある。正岡家累代の墓は、昭和2年まで法龍寺にあったが、昭和2年5月12日、東京で、母・八重が83歳で死去し、分骨を納める際、正宗寺の子規居士埋髪塔の南側に移された。

 http://www2.ocn.ne.jp/~mkndk/Shiki.htm
③子規・旅だちの像
④子規の埋髪塔
⑤内藤鳴雪の髯塔
⑥与謝野晶子の歌碑
⑦坊ちゃん列車の客車と夏目漱石の銅像
⑧虚子の筆塚
⑨俳句ポスト
⑩子規と野球の碑

など、正に重要な‘文化遺産’の宝庫であり、訪れる人も多い。
1948年に愛媛県指定史跡となった

註)‘史跡’とは、

一般には,遺跡と同義で,明治時代末期以降現在でもその意味で使用されていることが多いが,1919年の〈史蹟名勝天然紀念物保存法〉以降は,遺跡のうち,特に法律にもとづいて指定保護されているものを指すようになり,現在では狭義の史跡は,国宝,重要文化財,名勝,天然記念物などとならぶ,文化財の種別の一つとなっている。 法律による史跡保護の制度は,〈史蹟名勝天然紀念物保存法〉により重要な遺跡の史跡指定と,その破壊や現状変更に対する規制その他の制度が定められたのを初めとし,50年,文化財保護法に制度の基本が引き継がれ,現在に至っている。・・・


http://kotobank.jp/word/%E5%8F%B2%E8%B7%A1


正宗寺境内の子規堂
①子規堂 http://plaza.rakuten.co.jp/n14pgtir/diary/?ctgy=10

正岡家累代の墓墓標
②正岡家累代の墓も墓標 http://ameblo.jp/honmokujack/entry-11135563142.html

正岡家累代の墓
②正岡家累代の墓 http://ameblo.jp/honmokujack/entry-11135563142.html

子規堂 旅立ち像
③子規・旅だちの像 http://ameblo.jp/tsukasaview/entry-10307850339.html

子規の髪塔と内藤鳴雪の髯塔
④&⑤子規の髪塔と内藤鳴雪の髯塔 http://toyokachi.cocolog-nifty.com/life/2009/06/post-bc7e.html

正宗寺境内の与謝野晶子の歌碑
⑥与謝野晶子の歌碑 http://4travel.
jp/domestic/area/shikoku/ehime/matsuyama/matsuyama/travelogue/10642872/?cid=goo_oem


正宗寺境内の坊っちゃん列車と漱石像
⑦坊ちゃん列車の客車と夏目漱石の銅像 http://plaza.rakuten.co.jp/n14pgtir/diary/?ctgy=10

虚子の筆塚
⑧虚子の筆塚 http://toyokachi.cocolog-nifty.com/life/2009/06/post-bc7e.html

正宗禅寺境内の俳句ポスト
⑨俳句ポスト(画面左端) http://www.geocities.jp/s_arakaruto/travel/shikoku/subwin/subwin27.htm

子規と野球の碑
⑩子規と野球の碑 http://community.travel.rakuten.co.jp/community/exp.do?expCode=12165


子規堂には、正岡子規が松山から明治16年6月10日、松山中学を中退して東京へ出奔(?)するまで勉学に勤しんだ部屋・勉強机等が夏目漱石との交遊を物語る多くの資料とともに展示され‘文学資料館’となっている。

その‘展示場’の‘導線’が、今回このブログが指摘する重要なポイントである。

多分、もう15年以上も昔の話であるが、日本の‘或る大物女優’さんが、全国の史跡巡りをするTV番組があって、たまたま正宗禅寺を訪れ、レポートをすることとなった。その時彼女が指摘した事がかなり大きく報道された。その内容の概要はこうだった。

「正宗禅寺さんの管理は如何なものか?! 子規堂の中を‘土足で踏み込ませる’なんて!
とその管理方法に噛みついたのである。

正宗禅寺さん側は、何ら反論しなかった。それは、‘史跡の管理に対する考え方に大きな違いがあった’からだろう。

大物女優さんは、実際にそう思われたかもしれないが、多分、世間一般の‘受け’を狙っての発言だったようにも思えた。

勿論、‘史跡’の管理は重要である。そんなことは正宗禅寺さんが知らないなんて絶対に無い!

子規堂の中
子規堂の展示場 http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/d3/cd9531c18355fcb0dda2076d09b89270.jpg

子規堂内部に土足で入れる
子規堂内の子規の使っていた机付近 http://www.uchiyama.info/oriori/shiseki/zinbutu/siki/

では何故、正宗禅寺さんは、上の二つの写真をご覧いた開ければお判りのように‘土足で子規の机まで近づけるような導線’を敢えて造ったのか?

大物女優さんには、この‘何故?’を自分なりに考えてから‘一呼吸’おいてご意見を述べられれば良かった。

正宗禅寺境内に、何故‘子規堂’があるのか?そんなことさえ知らずにこの女優さんはモノ申されたに違いない。
松山では、正岡子規と言えば、皆が尊敬し、自慢し、憧れる‘著名人’の最右翼である

その‘正岡子規’が若い頃‘どんな環境で勉学に勤しんだか’を松山の人、近郊の人、更には俳句や短歌に興味を持つ人達にこそ、この子規堂はあるのだ。だから、出来るだけ‘土足でもいいから’子規の机の直ぐそこまで行ってごらん、きっと何かの手ごたえがありますよ!’‘保存’だけが管理の役割ではない!というのが多分、正宗禅寺さんが仰りたい考えだろうと推察出来る。ガラス張りの管理で何が愛情ある管理と言えようか?!

正宗禅寺に、子規堂があるのには深い訳があってのことであり、だからこそ上述の通り正岡家累代のお墓も別の場所(別のお寺)にあったものをわざわざ移されたのだ。

次の下の写真でその由来が簡単に書かれているのが判る。

子規堂の
子規堂の案内 http://ameblo.jp/tsukasaview/entry-10307850339.html

正に、正岡子規と正宗禅寺とは、個人と個人という最も深い結びつきからのご縁であったのだ。
だからこそ、女優さんが仰せのような‘扱い’をするはずが無い!


正宗寺と田中和尚
正宗禅寺・子規堂前と田中和尚 http://sikihakulesp.blogspot.com/2011/12/231015.html

この写真は、今のご住職、田中和尚が子規堂を訪れた子供達を出迎えておられるところである。

文化遺跡を管理するには、やはり‘愛情’が必要である。サラリーを貰っている人達だけでの管理で済むのだろうかとこの正宗禅寺を思い出す度にそう思う。



















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[2012/03/05 11:34] | 学習と文化 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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