‘全日展’の経営は?(その1)
ここのところ少し前から‘全日展’の杜撰(ずさん)な‘経営’が問題になっている!

<画像は、全てテレ朝のTV画面をカメラで撮影したものである>

全日展前会長が‘知事賞’捏造!

この‘大事件’は、文化を推進させようとする人が、決して惹起してはならぬ‘低レベル’の発想から産まれたことに注目すべきである!

なんと情けない発想だろうか?

こともあろうに、‘県知事賞’という極めて権威のある賞を‘架空人物’に与えてしまうという前代未聞の‘裏切り行為’に世間は驚いた!そして、それが‘道’という、いわば‘霊験あらたかな’修行を超えてきたと思われる人物が、‘身の保全’という修行前の人物が陥りそうな処世術しか示し得なかったという一点において、世間に失望を与え、周辺の協力者をも巻き込んでの裏切り行為に発展したことに無念さが残ったのである!

人物の顔こそ、その人物の‘品格’を物語るものである。画面に登場した、この会長の‘顔’は、どうも潜在意識分を差し引いたとしても、なお‘下品さ’が漂っている!

ただ、多少救われたのは、‘落款’が同一だったという‘間抜けさ’において‘狡猾さ’の軽減があったことである。
世間では、「もう少し上手くやれば、ばれなかったのに!」という声も聞こえはするが、それは間違っている!少なくとも‘道’という修行の道を選択した人物は、決して世間をも、自分自身をも欺いてはならない!

今回の事件は、そのことを教えたくれた‘反面教師’という意味では、微かにその意義はあったのかもしれないが、極めて‘不愉快’な事件であった。

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2014年03月03日08:47 

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文化の象徴の一つとして日本国民には大いに賞賛されている‘書道’の分野において、誠に遺憾な事件であった!

書道という言葉は、‘道’という表現がよく似合うほど、その精神的な‘レベル’は高い!

‘道’とは何か?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%93_(%E5%93%B2%E5%AD%A6)
(哲学)

道(どう・タオ・Tao・みち)とは、中国哲学上の用語の一つ。人や物が通るべきところであり、宇宙自然の普遍的法則や根元的実在、道徳的な規範、美や真実の根元などを広く意味する言葉である。道家や儒家によって説かれた。

老子によれば、道とは名付けることのできないものであり(仮に道と名付けているに過ぎない)、礼や義などを超越した真理とされる。天地一切を包含する宇宙自然、万物の終始に関わる道を天道(一貫道ともいう)といい、人間世界に関わる道を人道という。

孔子は天道を継承し、詩経、書経で人道についても語り、「子曰 朝聞道 夕死可矣」や「子曰 參乎 吾道一以貫之哉」(『論語』 巻第2 里仁第4)といった名句に道義的真理があり、天地人の道を追究した孔子の姿勢が伺える。


哲学的な意味合いは、上記の通りなのだろうが、それほど難しいことに踏み込む積もりはない!

通常の生活の中での‘道’は、柔道、剣道、それに茶道、華道に書道という程度である。
勿論、‘野球道’という表現を使う人もいるにはいるが、まだ市民権を得ているとは言い難い。

これらの場合の‘道’は、哲学的な意味も一寸は含まれて入るが、少々意味合いが異なる!
書道は、‘芸道’という範疇の中に入るらしい。勿論、‘道’を‘武道’と‘芸道’に分けるというやり方の場合にである。

さて、‘芸道’とは?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B8%E9%81%93
芸道(げいどう)は、芸能・技芸を日本独自のかたちで体系化したもののことを指す。
通常は、各種の武芸である日本武術、江戸期の公家家職に由来する有職故実・礼式、そのほか能楽、歌舞伎、人形浄瑠璃などの芸能、邦楽、茶道、華道、香道、書道、盆庭などをはじめとして、伝統工芸的な手工業、古典園芸など、ひろく技術を伝承する分野においてこうした観念が見られる。

由来[編集]

元来「道」という言葉は日本語において「体系」という意味をも持ち、王朝時代から管弦のことを「糸竹の道」と表現するなどの用例があることをみてもわかるように、芸について「みち」もしくは「道」で表現される内容は最初は単純に「芸の体系」というほどの意味であったと思われる。
これが中世期から近世期にかけて、さまざまな芸が体系化され伝授の形式を整えてゆくにつれて、単に芸能、技芸の体系というにとどまらず、それをめぐる思想や哲学的背景、さらに修行や日常生活の場においてこうした形而上的な問題をいかに生かし、みずからの芸を高めてゆくかという問題が含められてゆくようになって成立したのが、芸道という観念である。その成立に関しては中世期に盛んになった秘伝説と伝授思想の確立と、師系を重んじる禅の発想が大きな影響を与えたと見るのが通説である。

特徴[編集]

芸能、技芸を技術的な問題としてのみ捉えることをせず、しばしば実生活と芸の世界を混同させて、常住坐臥が芸を高めるための契機であり、修行であると考え、しかのみならず当人の倫理性、道徳性がそのまま芸にあらわれるがゆえに、芸の向上は同時に人格の向上でなければならない、とするところに芸道の特徴がある。また芸の系統的な伝承を重んじ、先人をうやまうことが厚く、特に直接の師弟関係を大切にするなど、水平方向的なひろがりよりも垂直方向的なつらなりを優先する。こうした考えかたは、日本独自の芸という観念の確立、心境や境地を特に重視する芸術観の尊重、芸系のたしかな伝承、芸が芸にとどまらず思索性を持つことによる内容の深化など、さまざまな効果をもたらしたが、一方で芸の世界における事大主義、神秘主義、普遍性の否定、通に代表される特殊な閉鎖性を生むことにもなった。
外国人にはこうした日本固有の芸道観念が興味深くうつるらしく、ドイツ人の哲学者オイゲン・ヘリゲルが、東北大学に在任中、洋弓(アーチェリー)とは違った日本の弓道の修業の仕方に感銘を受けて『弓と禅』をあらわしたのを嚆矢として、欧米世界にさまざまに紹介されている。

芸道という言語[編集]

芸道という言葉自体は、明治に「柔道」なる新語が登場したのを受けて、剣道、華道、茶道といった造語が相次ぎ、これを総称するために生れたものである。


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(つづく)
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