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自治会のバス旅行
千葉県茂原市の一自治会が東京へのバス旅行を企画した。 我が家が16年半前に引っ越してきて初めての大きなイベントである。自治会長さんや役員の方達の‘懸命のご努力’があっての開催である。お菓子もお茶もビールまでも一人ずつに用意されている。有難い!

2012年03月17日(土) 乗組員2名、乗客38名(乗客平均推定年齢:65歳±?歳)でいよいよ出発となった。天侯:小雨。07:55某福祉会館前出発。今回はその旅行記である。

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目指す目的地は、3ヶ所。

① 皇居
② 浅草寺
③ とげぬき地蔵


バスに乗り込んですぐに、目的地変更が役員の方から告げられた。①の皇居を今回は外すととの説明だ。外は傘なしでは無理な位の雨が降っている。皆が納得した。

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ところで、‘浅草寺’ってどんなところ?日本人なら子供から大人まで‘浅草’を知らない人は先ずいないから、当然‘浅草寺’は誰でも知っている。一度や二度はこのバスに乗っているご年配の方々は行った経験をお持ちになっておられるに違いない。

でも、でもである。この浅草寺さんが‘何宗のお寺さん’で、拝む時に手を合わせて‘何という呪文’を唱えなければならないのか?を知っているご仁は10%もいないに違いない。乗客人数38名であるから、10%は、約4人である。
私達夫婦も前以て‘浅草寺’をインターネットで調べなかったから、全く知らなかった。

流石に役員のある方が、多分そう思われていたのだろう、バスが出発して直ぐに‘浅草寺’の由来についての説明をして頂いた。何でもお付きのバスガイドさんは何らかの理由で説明はされないのだと言う。

バスは、高速に乗り東京へ一直線小雨にけぶる中を外の景色は全くと言っていい程見ることも出来ずに浅草寺へ着いた。高速から見えるはずだった‘スカイツリー’も我々の前には姿を見せなかった。

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少し小雨も止んで、隅田川の観光船が高速からやっと見えた。

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高速を降り、駒形橋を渡って浅草寺に着く直前。

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バスの中から‘雷門の大提灯’が見えた。外はまだ雨。午前10:20。出発して約2時間半で浅草寺に到着した。

浅草寺諸堂地図

浅草寺諸堂図 http://www.senso-ji.jp/guide/index.html

以下が帰って来てWEBで調べた浅草寺縁起と浅草寺概要である。

浅草寺縁起(由来)
  時は飛鳥時代、推古天皇36年(628)3月18日の早朝、檜前浜成・竹成(ひのくまのはまなり・たけなり)の兄弟が江戸浦(隅田川)に漁撈(ぎょろう)中、はからずも一躰の観音さまのご尊像を感得(かんとく)した。郷司(ごうじ)土師中知(はじのなかとも:名前には諸説あり)はこれを拝し、聖観世音菩薩さまであることを知り深く帰依(きえ)し、その後出家し、自宅を改めて寺となし、礼拝(らいはい)供養に生涯を捧げた。
 大化元年(645)、勝海上人(しょうかいしょうにん)がこの地においでになり、観音堂を建立し、夢告によりご本尊をご秘仏と定められ、以来今日までこの伝法(でんぼう)の掟は厳守されている。
 広漠とした武蔵野の一画、東京湾の入江の一漁村にすぎなかった浅草は参拝の信徒が増すにつれ発展し、平安初期には、慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)さま(794~864、浅草寺中興開山・比叡山天台座主3世)が来山され、お前立のご本尊を謹刻された。
 鎌倉時代に将軍の篤い帰依を受けた浅草寺は、次第に外護者として歴史上有名な武将らの信仰をも集め、伽藍の荘厳はいよいよ増した。江戸時代の初め、徳川家康公によって幕府の祈願所と定められてからは、堂塔の威容さらに整い、いわゆる江戸文化の中心として、大きく繁栄したのである。かくして都内最古の寺院である浅草寺は、「浅草観音」の名称で全国的にあらゆる階層の人達に親しまれ、年間約3000万人もの参詣者がおとずれる、民衆信仰の中心地となっている。  http://www.senso-ji.jp/about/index.html


浅草寺概要
所在地 東京都台東区浅草2丁目3番1号
宗旨 聖観音宗(総本山)
山・寺号 金龍山 浅草寺
本尊 聖観世音菩薩(秘仏)
お前立本尊 聖観世音菩薩(慈覚大師円仁作)
本尊示現日 推古天皇36年(628)3月18日
開基 勝海上人(生没年不詳)
中興開山 慈覚大師円仁(794~864)
総寺有地 162,162m2(49,140坪)


ご参拝の際には合掌して「南無観世音菩薩」とお唱えいたしましょう。



さて雨の仲見世は?

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中には、こんなでっかい‘外人さん’もいる。多分身長は2mを越している。

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法要の‘昼座’のために入堂される貫首ご一行。

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浅草寺の昼座
http://www.senso-ji.jp/info/howa/index.html

運よく毎日3回催される本堂での法要の‘昼座’に参加出来た。昼座では、『観音経』と『般若心経』が読誦される。

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雨とあって、流石の年間3,000万人という観光客も途絶える場面もあった。

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仲見世の‘裏通り’ってあんまり見たこと無いでしょう!

浅草寺にお参りするとなると、是非立ち寄らねばならぬところがある。「元祖ジャンボめろんぱん」で有名な‘花月堂’さんである。

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この‘ふっあ、ふっあ’のめろんぱん、実に美味い!日本一!

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店内は、日本人より外人さんの方が多い。中国語と英語が乱れ飛んでいた。

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元気な元気な‘老大将’! この元気もめろんぱんのお陰かも?

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完全装備の外人ご一行様。近付いてみたが、何語か判らなかった。英語でもドイツ語でもフランス語でもスペイン語でもなかった。いったい何処から?

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お待ちかねの‘昼食’となった。

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新米の‘落語家’さんが‘お土産促販’のお手伝い。巧い事を行った。「このお土産袋に‘おみくじ’が入ってます。もしも、‘大吉’だったら、下のレジで・・・」 一呼吸おいて 「良かったネ!と言って貰えます」。大爆笑!流石に駆け出しとは言え‘卵’である。販売の‘原則’、お金を貰ってから商品を渡す、も忘れていない!


老人バス旅行
http://www.kyoto-minpo.net/hokkori/archives/2009/11/21/post_326.php


さて、バスは‘ごシルバー様達の原宿’として全国民知らない人はいないと言う巣鴨は‘とげぬき地蔵尊’へやって来た。
浅草寺同様、この‘とげぬき地蔵尊’様とは一体?この正体も説明出来るご仁はきっといないに違いない!

とげぬき地蔵高岩寺

「とげぬき地蔵尊」の名で親しまれるこのお寺、正式には曹洞宗萬頂山高岩寺といいます。慶長元年(1596年)に江戸湯島に開かれ約60年後下谷屏風坂に移り巣鴨には明治24年(1891年)に移転してきました。
ご本尊は「とげぬき地蔵」として霊験あらたかな延命地蔵菩薩です。こちらの地蔵菩薩様は秘仏ですので残念ながら拝見させていただくことはできませんが、そのお姿を元に作られた御影(おみかげ)に祈願してもご利益があるとされています。こちらは高岩寺のご本堂で授与されています。





起源と歴史

_曹洞宗萬頂山高岩寺は、約400年前(慶長元年=1596年)江戸湯島に開かれ、約60年後下谷屏風坂に移りました。明治24年、区画整備のため、当地(北豊島郡巣鴨町)に移転し、今日に至ります。御本尊はもとより霊験あらたかな「とげぬき地蔵」として知られる延命地蔵尊です。
_正徳3年(1713年)5月のこと、江戸小石川に住む田付という人の妻は、常に地蔵尊を信仰していました。一人の男の子を出産して後重い病に見舞われ床に臥し、手足は「細き竹のごとく」にやせ細ってしまいました。諸々の医者が手を尽くしましたが、一向によくならず、遂に婦人は臨終を覚悟し、「私の家には怨霊があって、女はみな25歳までしか生きられないと父母から聞いております。姉も25歳で亡くなりました。」といいだすしまつでありました。田付氏は悲歎にくれつつも、この上は妻が日頃信仰する地蔵尊におすがりするほかないと、毎日一心に病気平癒の祈願を続けました。
ある日のこと、田付氏は不思議な夢をみました。黒衣に袈裟をかけた一人の僧が現われ、「私の像(かたち)を一寸三分に彫刻して川に浮かべなさい」という。田付氏は、それは急には成し難いことを答えると、「ではあなたに印像を与えよう」といわれ、夢からさめました。不思議な夢と、ふと枕元をみると、何か木のふしのようなものが置いてありました。よくみるとそれは「彫ったものでも書いたものでもない」不思議な地蔵菩薩の御影なのでした。田付氏は命の通り、これを印肉にせしめて、宝号を唱えつつ一万体の御影をつくり、両国橋へ行き、一心に祈願しながらこれを河水に浮かべました。さて、その翌日朝またぎ、田付氏は病床の夫人の呼ぶ声に急いで行ってみると、夫人は「今、枕元に死魔が現われましたが、錫杖(しゃくじょう)をもった黒衣のお坊さんが、錫杖を使って外にドンと突き出してしまわれるのを見ました」と告げました。田付氏は霊験にわれを忘れていましたが、あれほど重かった夫人の病は日一日と快方に向かい、その年の11月には床を離れることが出来、以後夫人は無病になったといいます。

_田付氏がこの霊験の話を山高という人の家でしていると、一座の中に毛利家に出入りする西順という僧がいて、ぜひその御影を頂戴したいといいました。田付氏は持っていた2枚を与えました。正徳5年のある日、この毛利家の女中の一人が、あやまって口にくわえた針を飲み込んでしまいました。女は苦しみもがくが医者も手の施しようがありませんでした。そこに西順が来たり、「ここに地蔵尊の尊影がある。頂戴しなさい。」といって、一枚を水で飲ませました。すると、間もなく女中は腹の中のものを吐き、きれいな水で洗っていると、その中に飲み込んだ針が、地蔵尊の御影を貫いてでてきたといいます。



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とげぬき地蔵尊御影

縦4センチ横1.5センチの和紙の中央に尊像が描かれている。痛いところに貼ったり、のどに骨が刺さったとき飲んだりすると治るといわれる。高岩寺本堂で授与しています。



とげぬき地蔵尊 御影
http://www.bell.jp/pancho/photo_album/2010_06_19_rikugien.htm

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洗い観音

 

江戸時代最大の火事であった「明暦の大火」(1657年 ※1)で、当寺の檀徒の一人「屋根屋喜平次」は妻をなくし、その供養のため、「聖観世音菩薩」を高岩寺に寄進しました。  この聖観世音菩薩像に水をかけ、自分の悪いところを洗うと治るという信仰がいつしかうまれました。これが「洗い観音」の起源です。その後、永年に渡ってタワシで洗っていた聖観世音菩薩の顔などもしだいにすりへってきたので、平成4年11月27日、この仏像にご隠退をいただき、あたらしい聖観世音菩薩の開眼式を執行した。新しい仏像の製作者は彫刻家の八柳尚樹先生、寄進者は仲堀義江氏です。同時にタワシを廃止し布で洗うことにしました。



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この商店街にも‘シャッター’を下ろしているお店が、2~3軒あった。

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上の3枚の写真は、敷地とは小道を挟んでトイメンにあるこのとげぬき地蔵尊専属のトイレである。なるほど掃除が行き届いていると見えて‘清潔’である。ところが、下の写真をご覧あれ!
初めてお参りした‘よそ者’からみれば、写真の通りこのトイレはとげぬき地蔵尊の敷地の中にあって所有のトイレと勘違いする。

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よくよ~く見れば、‘区立公衆便所’とある。

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この汚さは一体?

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手を洗う気にもなれない!
余り文句も言いたくないが、とげぬき地蔵尊さんだから、トイレはシルバー観光客さん達にとっては食事の次に大事な設備である。ましてや上述の如く我が敷地内と思われるところにあるトイレである。それが区の物であろうと
やはりとげぬき地蔵尊さんが綺麗にして頂くのが良いと思う。‘洗い観音’さんを観光客から毎日洗って貰っているのだから・・・。


お土産は?やはり‘地蔵最中’に・・・。

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本日の行動予定はこれで終了、とげぬき地蔵尊さんの益々の発展を祈念しながら・・・。

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バスは一路元来た道を茂原市へまっしぐら!ガイドさんが‘綾小路きみまろ’のDVDがありますよ、と誘いを掛けてくれたが、誰も見たいとは言わない!

きみまろ
http://www.teichiku.co.jp/teichiku/artist/kimimaro/


静かに、静かに、何事もなく‘故郷’へ着いた。アンケート用紙に‘来年もよろしくお願い致します’と書いて・・・。

自治会長さんはじめ役員の皆さん有難うございました。ご苦労様でした!























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[2012/03/17 23:25] | 観光 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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