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大多喜城の遺産(その4)
大多喜城の遺産(その4)

大多喜城の遺産として、当時の建造物が残っているのは、

① 薬医門
② 大井戸


の二つである。

薬医門については前回見てきた。
今度は大井戸である。

http://www.pref.chiba.lg.jp/kkbunka/sonohoka/minwa/minwa-28.html
大多喜城「底知らずの井戸」

天正(てんしょう)十八年(一五九〇年)本多忠勝(ほんだただかつ)は徳川家康(とくがわいえやす)の命(めい)により大多喜城を築いた。生活に水は欠かせない。まして、戦(いくさ)で籠城(ろうじょう)ともなると、水が生死を分ける。そこで城内二の丸に、日本一と呼ばれる大井戸を掘った。雨の降らない夏でも、満々と水をたたえ「底知らずの井戸」と呼ばれていた。

八代藩主(はんしゅ)松平正和のときだ。

「あの大井戸は、底知らずの井戸だ。いくら水を汲(く)んでも尽(つ)きることはない」

「いや、そんなバカなことがあるか。たくさん汲めば水はなくなるに決まっている」

「いや、尽きることはない」

侍(さむらい)たちが言(い)い争(あら)そっている。そこで、殿様に許しを得て井戸の水を汲(く)み出すことになった。

城下の力自慢五十人の人夫を集め、水が汲み出された。八個の滑車(かっしゃ)に十六個のつるべ桶(おけ)で、水汲みが行われた。人夫たちも言い合った。

「底のない井戸なんてあるものか。昼頃には底が出てくるさ」

「いや、底なしの井戸といわれているらしい・・・」

「こん井戸は夷隅川につながっているらしいぞ」

「夷隅川どころか、遠く太東岬(たいとうさき)の海につながっているんだって」

「そんなばかなことがあるもんか」

「いや、城が敵(てき)に囲まれたら、大井戸に逃げ道が・・・」

陽(ひ)が沈み暗くなった。それでも作業はつづき、夜を徹(てっ)して水を汲み出した。朝を迎えた。さすがにみな、疲労の色は隠(かく)せなかった。

「本当に底がないのかねえ」

「ばかな、あるにきまっている。もう一日、水を汲み出してみよう」ということになった。

いくら汲み上げても底が見えない。必死になって汲み上げた。二日目の夜になった。それでも底は見えてこない。やがて、東の空が明るくなり夜が明けた。

井戸をのぞいて見ると、相変(あいか)わらず満々と水をたたえている。

「やっぱり、お城の井戸は底なしだ」

みな、その場に長々と寝(ね)そべってしまったと。

おしまい

(『大多喜城物語』参考 斉藤弥四郎  ふるさと民話さんぽ「広報おおたきNo.425」より)


この問題は、現在考えれば、割に簡単なのだが・・・。
つまり地下水が絶え間なく注ぎ込まれるのだから、汲み上げる量がその水量より少なければ涸れることはない!

画像ー243大多喜城と薬医門 081-2
大井戸は、天守閣とはこんな位置関係にある!

画像ー243大多喜城と薬医門 082-2
画像ー243大多喜城と薬医門 083-2
p411-029-3.jpg
http://www.pref.chiba.lg.jp/kyouiku/bunkazai/bunkazai/p411-029.html

大井戸の高さ位置から見上げた天守閣の崖が以下である。

画像ー243大多喜城と薬医門 084-2
画像ー243大多喜城と薬医門 085-2

以下は、天守閣へ戻って駐車場へ向かう道中の画像!

画像ー243大多喜城と薬医門 086-2
画像ー243大多喜城と薬医門 087-2
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画像ー243大多喜城と薬医門 089-2
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画像ー243大多喜城と薬医門 106-3
画像ー243大多喜城と薬医門 107-2
画像ー243大多喜城と薬医門 108-2
トイレだってこんなにご立派!

(つづく)
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