江戸時代の殿中刃傷沙汰事件・・・7件!
2014年07月22日に、東京・西浅草の浄土真宗・本願寺派、本山・東本願寺へ行った帰りに、その東本願寺の筋向いの徳本寺前の案内板を見て、‘江戸城での刃傷沙汰’は、浅野内匠頭だけではないことを知った!

DSC_2356-2.jpg

それじゃあ、江戸時代約260数年の間に、その殿中での刃傷沙汰事件は何度あったのだろうか?
そして、その経緯は?

p1_201407242320120ef.jpg
http://minkara.carview.co.jp/userid/9733/blog/24857463/

こんな時に役立つのが、やはり‘インターネット’検索!
以下の文献が見つかった。

・件数:7件
・その原因:武士の遺恨!

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1310203953
質問者
chuntavvさん 2006/12/8 01:22:33

Q:浅野内匠頭の他に、殿中での刃傷事件ってあったんですか?
  どんな理由だったのかも教えて下さい。

A:ベストアンサーに選ばれた回答
kensakusitemimasitaさん
2006/12/8 01:42:54

① 1628年8月
加害者 豊島刑部少輔明重(目付)
被害者 井上主計頭正就(老中 横須賀城主60000石)

② 1684年8月
加害者 稲葉石見守正休(若年寄 下館城主12000石)正俊の又従兄弟
被害者 堀田筑前守正俊(大老 山形城主110000石)

③ 1701年3月
加害者 浅野内匠頭長矩(勅使院使御馳走役 赤穂城主53000石)
被害者 吉良上野介義央(高家肝煎)

④ 1725年7月
加害者 水野隼人正忠恒(松本城主70000石)
被害者 毛利主水正師就(長門長府藩主50000石)

⑤ 1747年8月
加害者 板倉修理勝該(旗本 7000石)
被害者 細川越中守宗孝(熊本藩主 540000石)

⑥ 1784年3月
加害者 佐野善左衛門政言(旗本 新番組番衆 500石)
被害者 田沼山城守意知(意次の嫡子 若年寄 役料5000俵)

⑦ 1823年4月
加害者 松平外記(旗本 西丸御書院番番衆)
被害者 本田伊織(旗本 西丸御書院番番衆以下同じ))
沼間右京
戸田彦之進
間部源十郎
神尾五郎三郎

詳しくは、URL参照
結構あるもんだ。。。
http://homepage1.nifty.com/SEISYO/ikon.htm


どんな理由かは、上の記述には含まれていない。それを知るには、上記文献の‘詳しくは、URL参照’を実行のこと。

さて、この‘一覧表’を見せらると、事件が起こってみんなの記憶が新しい間には、加害者となる人物も、被害者となる人物も、ある程度真面目になるに違いないから、自粛ムードで、或る一定の期間が空くのではないか?と思った。

他人の喧嘩を見ると、自分の場合は、その気はあっても、少しの間‘自粛’しようという一つのブレーキがかかる!それと同じである。

そこで、それぞれの事件と事件の間隔を見てみた!

①~② : 56年
②~③ : 27年
③~④ : 24年
④~⑤ : 27年
⑤~⑥ : 37年
⑥~⑦ : 39年

最小間隔でも、‘24年’である。
およそ一世代、30年に近い年数である!

つまり、世代交代をするまで、そのおぞましい記憶が残っているのではないか?
その記憶が、薄れ始めるまで事件は起こらないのではないか?

この心理状態は、まだまだ研究の余地があるのでは、と感じた次第!

(つづく)
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