満開過ぎた‘白子桜’!
満開過ぎた‘白子桜’!

今日(2017年2月28日)で、2017年の2月が終わりである!
「今年も後わずか10ケ月を残すだけとなりました!皆さんお正月の準備は出来ましたでしょうか?」というのは落語家さんである・・。

さて、この弊ブログでは、何度もご紹介しているが、千葉県・長生郡・白子町の‘白子桜(実は河津桜)’は、今年は、異常気象のために、例年よりも一週間~10日も早く満開を迎えたという!

先日(2017年2月26日)午後3時過ぎに満開を過ぎたという白子桜を見に行った!
駐車場は、満車だった為に、この‘白子桜通り(というかどうかは知らないが)’を車で、そう約4kmくらいを走った!

20170226 白子桜 009-2
20170226 白子桜 009-3
20170226 白子桜 010-2
20170226 白子桜 010-3
20170226 白子桜 011-2
20170226 白子桜 012-2
20170226 白子桜 012-3
20170226 白子桜 013-2
20170226 白子桜 013-3
20170226 白子桜 013-4
20170226 白子桜 014-2
20170226 白子桜 015-2
20170226 白子桜 022-2
20170226 白子桜 026-2
20170226 白子桜 034-2

同じこの街道通りに植わっている白子桜なのに、早咲き・遅咲きがある!
‘染井吉野’とは、少々趣きが違うが、この白子桜が咲けば、もう房総半島は春である!

「遊ぼう!外房!皆呼ぼう!」

この‘キャッチフレーズ’が意味の重さを増す季節が、又今年もやって来た!
明日からは、暦の上でも‘春’3月である!

(つづく)
[2017/02/28 23:56] | 季節の変り目 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
錦糸町界隈は、今!
錦糸町界隈は、今!

東京都墨田区錦糸町は、スカイツリーの‘出現’と高層マンションの完成で、駅前の表情は一変した!
私は、十数年前に短期間であったが、錦糸公園の直ぐ北側の、例の高層マンションの直ぐ北側にあるビルにあった或る会社に勤めていたことがあった!

勿論、その時にはスカイツリーもなければ、高層マンションもなかった!
夜遅くなって外房の茂原市に帰るための電車がなくなってしまう23時を過ぎると、JR錦糸町駅の南側にあるサウナに泊まる事が多かった!

その当時のことと比較すると、まあよくもこんなに変わったもんだ!

一昨日(2017年2月23日)、久し振りに学生時代の友人と会うことになった!
何処が良いだろうと考えた末、彼の電車の乗換えが少ないし、私も千葉からは乗り換えなしなので、この錦糸町を選んだのである!

少々早めに自宅を出て、懐かしい錦糸町を探索してみた!

やっぱり、JR錦糸町駅を出れば、直ぐに目立つのが、スカイツリーである!

DSC_1715-2.jpg
DSC_1715-3.jpg
DSC_1715-4.jpg

それに、もう一つ、高層マンション!

DSC_1718-2_2017022517334411f.jpg
DSC_1719-2.jpg
DSC_1719-3.jpg
DSC_1721-2_201702251739195cf.jpg

この画面の向かって右側が、‘錦糸公園’の入り口である!
この前はいつも通っていたが、此処に‘河津桜’があるとは気付かなかった!
それとも、‘最近’植樹されたのだろうか?

DSC_1722-2.jpg
DSC_1722-3.jpg
DSC_1722-4.jpg

「何だか、ばかりで、‘禁止’、‘禁止’ばかり!」
「そりゃあ、そうでしょう!だって、‘きんし’公園ですゾ!」

DSC_1723-2.jpg
DSC_1724-2_20170225174126422.jpg
DSC_1724-3_20170225174128cb8.jpg
DSC_1725-2.jpg
DSC_1726-2.jpg
DSC_1726-3.jpg
DSC_1726-4.jpg
DSC_1726-5.jpg
DSC_1727-2.jpg
DSC_1727-3.jpg
DSC_1727-4.jpg
DSC_1729-2_2017022519524454b.jpg
DSC_1729-3.jpg
DSC_1729-4.jpg
DSC_1730-2_201702251954481c0.jpg
DSC_1731-3_2017022519544976b.jpg
DSC_1731-4_20170225195451418.jpg
DSC_1731-5.jpg
DSC_1732-2_20170225195649562.jpg
DSC_1733-2_20170225195651818.jpg
DSC_1735-2.jpg
DSC_1735-3.jpg
DSC_1736-2_20170225195648b53.jpg
DSC_1738-2_20170225195852aa6.jpg
DSC_1738-3_2017022519584984c.jpg

JR錦糸町駅は、長年利用させて貰っていて、この‘モニュメント’或いは‘オブジェ’はよ~く見ていたのだが、何の形で、どんな意味があるかは知らなかった!

http://www.city.sumida.lg.jp/sangyo_matidukuri/matizukuri/
matizukuri_suisin/keikan_matizukuri/monument/jr_kinsi_
monument.html

JR錦糸町北口モニュメント更新日:2005年3月26日
..
経緯:墨田区は、1987年「音楽都市」をめざして街づくりをすることを宣言し、錦糸町駅北口再開発事業で交通広場の吸気・排気塔の利用によるモニュメント計画を策定し、音楽都市すみだを象徴する作品をテーマに、専門業者5社のコンペで選ばれた作品が設置されることになった。

名称:ECHO
曲玉の部分は、楽譜のへ音記号をモチーフにデザインし、左右5本ずつのワイヤーは五線譜を表している。
設置年:1997年9月
作者:ローレン・マドソン(米国)
アメリカ国内の銀行、病院、警察などの公共施設に多くの作品を展示している。ニューヨーク、イスラエル、バンクーバーなど世界各地の美術館に作品が所蔵されている。


な~んだ!そういうことか・・・・!

(つづく)
[2017/02/25 20:19] | 散策 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
‘蚊’の続き!
‘蚊’の続き!

昨日(2017年2月23日)のこの弊ブログに掲載した、これまで自身で撮影した‘蚊’の写真の続き・・・。

DSC_2249-7-2_201702250940377b7.jpg
DSC_2249-7-3_20170225094038d8d.jpg
DSC_2249-7-4_2017022509404093e.jpg
DSC_2249-7-5_201702250940420be.jpg
DSC_2253-7-2_20150922234243f5e_20170225094035337.jpg
DSC_2253-7-3_20150922234245e96_20170225094443cf6.jpg
DSC_2254-7-2_2017022509444556c.jpg
DSC_2254-7-3_20170225094442ab7.jpg
DSC_7162-2_20170225095804273.jpg
DSC_7162-3_20170225095806d23.jpg
DSC_7171-2_201702250958071de.jpg
DSC_7171-3_2017022509580948a.jpg
DSC_6725-2_201702251002337a7.jpg
DSC_7183-2_2017022510023968c.jpg
DSC_6739-2_2017022510023567e.jpg
DSC_6755-2_20170225100237aa0.jpg

「おや、おや、こりゃあ大変だ!」
「しかし、‘蚊’だって、何か地球にとって‘貢献’しているのじゃあないの?」

「一寸考えても我々凡人には、中々判り難いけど、‘プロの人’はこんな風に答えているらしい!」
「ほ、ほっ~!」

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1327094848
害虫としてばかり有名な蚊ですが、生態系にどのような形で貢献しているのでしょう...
deleusienさん
2009/6/1007:08:11
Q:害虫としてばかり有名な蚊ですが、生態系にどのような形で貢献しているのでしょうか?

恐竜の時代から生き続けているということは、きっと生態系のバランスを保つのに多かれ少なかれ役に立っているのでは思うのですが、具体的にまるで思いつきません。
誰か御教授下さい。

共感した 0
閲覧数:1,093回答数:2お礼:25枚違反報告
..ベストアンサーに選ばれた回答
aldde1489さん
.2009/6/1102:38:40

A:どの生物も生態系に貢献するために生きているわけではありません。
捕食者、被食者または生産者の関係から自然と生物の数は限られてしまうのです(^^)
環境の変化や生物自体に変化がない限りバランスが崩れることはないのです。

さて、蚊の食物連鎖における立場ですが、ほとんどと言って良い程ピラミッドの下の方にいます。
幼虫(ボウフラ)時代には、藻類を含む微生物を食べて育っています。
そしてボウフラは他の水生昆虫や小さな魚などによって捕食されます。

蚊になってからはさらに周りは捕食者ばかりです。蚊のメスは血を吸いますが、人間を捕食しているわけではありません。
多くの昆虫(トンボ,クモ,カマキリなど)や鳥などにも食べられてしまう事があり、ついでに人間にはバチン!!とやられます。
こうして蚊も周りの生物に食べられることで一定の数を保っています。

一定のバランスを保っているとはいえ、蚊もゴキブリと同じように人間と共に数が増えてしまった事は認めざる得ないかもしれませんね。


「‘蚊’ってさ、恐竜の時代から生きていたなんて、知らなかったなあ!」
「だからさ、どなたからの‘コメント’にもあったように、‘先輩’を人間が滅多やたらに‘パシリッ!’なんて、とんでもないってこと!」

「反省してますっ!」
「よろしい、今度から気をつけたまえ!」

(つづく)
[2017/02/24 23:57] | 仰天! | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
越冬する‘蚊’!
越冬する‘蚊’!

一昨日(2017年2月20日)の弊ブログで、‘今年初の蚊’が飛んだという趣旨の記事を書かせて貰った。
しかし、その結びは、「蚊は、越冬するのかも???」で終わらせてある!
何故?当のご本人に知識が無いからである!

DSC_1689-2_20170221000810d54.jpg

「‘蚊’って、越冬するの知ってた?」
「えっ、そうなの?」

どこかの‘CM’のようだが、‘卵’で越冬するのが普通であるが、成虫のまま越冬する‘蚊’の種類があるという!
次の文献に詳しい!

http://hiiaj.org/vermins/mosquitoes.html

Screenshot_20170222-084341-2_2017022310085999c.jpg
Screenshot_20170222-084300-2.png
Screenshot_20170222-084300-3.jpg
Screenshot_20170222-084300-4.jpg
Screenshot_20170222-084812-2.jpg
Screenshot_20170222-084839-2.jpg

「やっぱり、越冬する蚊はいるんだっ!」
「その間に、何を食べているのかねえ?」

「ところで、‘蚊’の字は、どうして‘虫’偏に‘文’と書くのか、知ってる?」
「うんにゃ、知らねぇ!」

「蚊の‘羽音は?」
「‘ブ~ン’でしょっ!」

「だから、だから、‘文’」
「えっ、そうなのっ?」

「この弊ブログに、‘私が撮影して掲載した蚊’のオンパレードと行きますか!?」
「勝手にやれば・・・」

20160611023408b0b_20170223101953b32.jpg
201606110234131f1_201702231019485bf.jpg

20160611023409b02_20170223101954a81.jpg
20160611023410f67_2017022310195672e.jpg

DSC_2138-7-2_2017022310235735f.jpg
DSC_2138-7-3_201702231023590b4.jpg

DSC_6731-2_20170223102401b6a.jpg
DSC_6733-2_2017022310235698a.jpg

「ま~だあるの?」
「まだ、まだっ!」

(つづく)
[2017/02/23 10:27] | サイエンス | トラックバック(0) | コメント(2) | page top
今年の異常気象
今年の異常気象

今年(2017年)のこのところの‘異常気象’は、近年にない‘異常気象’である!

急に寒くなったり、急に暑くなったり、その差は、一日で‘10℃’以上にもなったりした!

① 2月の中旬に‘車の冷房’!

今年(2017年)2月16日、関東地方での‘春一番’の前日、我々は、房総半島・千葉県・安房郡・鋸南町の‘頼朝桜(河津桜)’が満開に近いと言う情報を確かめるため(?)に自宅から約85km以上もある鋸南町へおよそ2時間半かけて車で参上仕った次第!
その様子は、後日弊ブログに掲載の予定・・・。

以下の3枚の写真こそ、噂の頼朝桜!

20170206 借景梅満開! 171-2
20170206 借景梅満開! 171-3
20170206 借景梅満開! 171-4

この日の気温は、約17℃!
しかし、車の中は、‘冷房ヴァージョン’にしなければ、あつくて、暑くて・・・・。

DSC_1660-2_20170221000125dea.jpg
DSC_1660-3.jpg

22℃に‘冷房’して・・・。
おっと、待った!外気温は17℃なのに、車内の温度を22℃にして、どうして‘冷房’?
でも、そうなんですよっ!

② 2月に‘春二番’が吹いた!

春一番は、2月17日、そして今日2月20日が関東地方では、‘春二番!’だそうだ・・・。
風の影響を受け易い‘竹’が、ふんぞり返っているし、もっと驚いたことに杉の木までが・・・・!

DSC_1676-2_201702210004001ab.jpg
DSC_1676-3_201702210004027e3.jpg
DSC_1676-4.jpg


③ 2月20日に、今年初の‘蚊’が発生!

本日(2107年2月20日)の19時過ぎに、PCの前に現れて、私の顔の前を‘プ~ン’と飛んだ!
可哀想だが、‘ぱちりっ!’とやってしまった!

20170219 ニコン 037-2
20170219 ニコン 038-2
20170219 ニコン 038-3

同じ‘蚊’だが、つまんでひっくり返すと・・・・

DSC_1689-6_201702210038022e8.jpg
DSC_1689-2_20170221000810d54.jpg
DSC_1689-10_20170221002438e01.jpg

蚊は、越冬するのかも????

(つづく)
[2017/02/20 23:29] | 仰天! | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
春の息吹(その5):白子桜<その2>
春の息吹(その5):白子桜<その2>

千葉県・長生郡・白子町の‘白子桜’は、元々‘河津桜’である!
千葉県にも、‘河津桜’は沢山あるらしいが、その名前を自分の行政地の名前を付けたのは、多分‘白子町’だけだろうと思われる!

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%A
F%E3%83%85%E3%82%B6%E3%82%AF%E3%83%A9

カワヅザクラ(河津桜) は、日本にあるサクラの一種である。オオシマザクラ (Cerasus speciosa (Koidz.) H.Ohba, 1992 ) とカンヒザクラ (Cerasus campanulata (Maxim.) A.N. Vassiljeva, 1957 )の自然交雑種であると推定されている。
カワヅザクラの学名は 『Cerasus lannesiana Carrière, 1872 ‘Kawazu-zakura’』

由来[編集]
1955年に飯田勝美が静岡県賀茂郡河津町田中で原木を偶然発見したことが由来である[1]。当初、発見者の飯田氏の屋号から「小峰桜」と地元で言われてきたが[1]、その後の学術調査で今までに無かった雑種起源の園芸品種であると判明し、1974年に「カワヅザクラ(河津桜)」と命名され[1]、1975年に河津町の木に指定された[1]。現在も原木はこの地に存在し、2007年現在で樹齢50~60年である。また、1968年頃からこのサクラが増殖されるようになった。


http://maruchiba.jp/sys/data/index/page/id/5899
「しらこ桜」は、伊豆半島の河津町にある原木を白子町に植樹したもの で、一重咲きで紅紫色の早咲きの桜です。
規模:2地区で約400本(桜の種類:カワヅザクラ


まあ、議論は色々あるのだろうが、美しい桜だから、議論はどっちでも構わないのでは?

さて、今日は‘白子桜第二弾’!
今年(2017年)の気候を反映して、何と1,2週間早く咲いたのだそうだ!

以下の写真は、2017年2月14日午後の白子桜の状況である!

DSC_1612-2_20170218003347f1b.jpg
DSC_1614-2_201702180033492f8.jpg
DSC_1615-2.jpg
DSC_1615-3.jpg
DSC_1615-4.jpg
DSC_1616-2_201702180037145b7.jpg
DSC_1617-2_20170218003715d13.jpg
DSC_1617-3.jpg
DSC_1617-4.jpg
DSC_1617-5.jpg
DSC_1617-6.jpg
DSC_1618-2_20170218003956c3b.jpg
DSC_1618-4.jpg
DSC_1619-2_20170218004002aa3.jpg
DSC_1619-3.jpg
DSC_1621-2_20170218004209980.jpg
DSC_1622-2_201702180049280cc.jpg
DSC_1622-3_20170218004929027.jpg
DSC_1622-4_20170218004926a28.jpg
DSC_1623-2_20170218004207b28.jpg
DSC_1623-3_20170218005136dde.jpg
DSC_1623-4.jpg
DSC_1623-5_201702180051401ca.jpg
DSC_1624-2_20170218005142090.jpg
DSC_1625-4.jpg
DSC_1626-2.jpg
DSC_1627-2.jpg
DSC_1627-3.jpg
DSC_1628-2.jpg
DSC_1628-3.jpg

さあ、今日(2017年2月17日)は、この白子町の気温も20℃を越しただろうから、今年の‘白子桜’は、満開になったに違いない!

いつまで持つのだろうか?

(つづく).
[2017/02/17 23:58] | 季節の変り目 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
春の息吹(その4):白子桜<その1>
春の息吹(その4):白子桜<その1>

つい先日、千葉県安房郡鋸南町では‘頼朝桜(河津桜)’が満開という情報がラジオ・TVで流れた!

それなら、同じ‘河津桜’だから、鋸南町ほど暖かくは無いだろうが、我が家の茂原市のお隣の‘千葉県長生郡白子町’の‘白子桜’もそろそろ咲き始めただろう、という訳で買い物帰りに寄ってみることにした!

一昨日(2017年2月14日)のことである・・・。

DSC_1602-2_20170217010247a24.jpg

おうおう、咲いてる!咲いてる!

DSC_1602-3.jpg
DSC_1603-2.jpg
DSC_1603-3.jpg
DSC_1604-2_2017021701024555a.jpg

もうこんなに咲いているとは思わなかった!
昨年から見ると、きっと一週間は早いに違いない・・・。

DSC_1606-2_2017021701071640d.jpg
DSC_1606-3_20170217010718dbe.jpg
DSC_1607-2_2017021701072098f.jpg
DSC_1607-3_201702170107223f7.jpg
DSC_1608-2_201702170107143da.jpg
DSC_1609-2.jpg
DSC_1609-3.jpg
DSC_1609-4.jpg
DSC_1610-2_20170217011010005.jpg
DSC_1611-2_2017021701100282a.jpg

明日(2017年2月17日)は、関東地方は、17℃~18℃にもなるらしいから、週末にはきっと‘八分咲き’位には?

春はいい、花があるから!

(つづく)
[2017/02/16 23:54] | 季節の変り目 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
春の息吹(その3):つくしの坊や!
春の息吹(その3):つくしの坊や!

今年に入ってから、‘株の乱高下’とどうやら同じように‘気温の乱高下’もあると報道されている!
2月も半ばになると、動物も昆虫も植物も‘蠢き’出す!

一昨日(2017年2月13日)の午後、散歩に出かけたのだが、いつもの田圃の散歩道とは違うところに行って見ようと思った!
少々気温も上がっていたし、何と言っても‘風’がそんなに気にならなかったからである・・・。

タイトルにある通り、そして、そして田圃の散歩道とは違う場所で、今年初めて‘つくしの坊や’を見つけたのである!
千葉県・外房の経緯でほぼ中央の北緯に当たる茂原市&そのお隣の‘長生郡・白子町’は、房総半島でも温暖の地域でもある!

これまでの20数年の経験からして、半径2,3kmの範囲内でも、‘つくしの出方’に違いがある!
一番早いところと一番遅いところとの時期的‘差’は、恐らく‘一ヶ月’にも及ぶかもしれない!

そんな訳で、10日も前に茂原市が、沖縄を除く日本で、今期最も高温・21.5℃を示した茂原市近辺の影響とでも言って酔いのだろうか?

今期初めての‘つくしの坊や’である!

DSC_1575-2.jpg

まだまだ、こんなに寒そうな場所である!

DSC_1569-2.jpg
DSC_1571-2.jpg
DSC_1571-3.jpg
DSC_1571-4.jpg
DSC_1574-2.jpg
DSC_1574-3.jpg

もう少し、日当たりの良さそうな場所でも・・・・。

DSC_1580-2.jpg
つくし
DSC_1578-2.jpg
DSC_1578-3.jpg

明後日(2月17日)には、またこの関東地方では、18℃にもなりそうだから、次は‘ぐんぐん育った’つくしが・・・・。

(つづく)
[2017/02/15 11:33] | 季節の変り目 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
バレンタインデーとチョコレート:(その3)その起源と海外での習慣
バレンタインデーとチョコレート:(その3)その起源と海外での習慣

24077-02.jpg
出典/http://tabizine.jp/2014/11/14/24077/

毎年、毎年、この季節になると‘何故、バレンタインデーにチョコレートを?’をネットで調べて、‘あっ、そうか!’と納得するが、もう一週間もしない内に忘れてしまう!

まあ、今回も同じかもしれないが・・・。

201321419261ZUH6T.jpg
出典/http://hakodate.areablog.jp/blog/1000009822/p10824441c.html

http://www.thedadbod.jp/special/valentine-day/#reserve
2017.01.16Tweet
バレンタインデーとチョコレートの関係

2月といえば・・・バレンタインデー!デパートや、色々な所でたくさんのチョコが並び、女性は誰にどんなチョコをあげるか悩んだり、男性はいくつ貰えるか、誰から貰えるかでドキドキする季節ですね!
そこで、日本以外の国ではどういう風にバレンタインデーを過ごしているのか、紹介していきます♪

そもそもバレンタインの由来は?

「バレンタイン」という言葉の起源は、聖徒の名前からきています。

時はローマにさかのぼり、3世紀当時のローマ皇帝「クラウディウス2世」は、士気をさげるとして兵士達の結婚を禁止していたと言われています。バレンタインは若者達を哀れに思い、密かに結婚させていたが、皇帝がそれを知り、バレンタインにローマ国教への改宗を迫りました.しかし、それを拒否したため、バレンタインは投獄され処刑されてしまいました。


そのバレンタインが処刑された日が、2月14日だったのです。

そして時は流れ、同じくローマでは、2月14日に、独身の男女性が名前を紙に書き、それを集めて翌日に独身の男性がくじのように引いて、出てきた名前の女性とつきあうというお祭りが行われていました。風紀の乱れを懸念したキリスト教は、このお祭りを廃止し、様々な聖人を奉る行事と改変したのです。そして、200年前の同じ日に恋人達のために殉教した聖バレンタインを祭る行事となったそうです。

なぜチョコレートを渡すようになったの?

「女性が好きな男性にチョコレートをあげる」というイメージがあるバレンタインデーですが、なぜたくさんある食べ物の中からチョコレートになったのでしょうか?
実は、チョコレート業者が、1958年に都内のデパートで「バレンタインセール」と称し行ったキャンペーンがきっかけだそう。
そして昭和50年代以降は、日本では独自に今のバレンタインデーの形が定着していったそうです。
ちなみに、海外ではバレンタインは『愛の日』として認識されていて、男性から女性に贈り物をするのが主流なんだとか!
日本では3月14日のホワイトデーがそれに近いですね。

海外ではバレンタインデーに何をプレゼントしているの?

アメリカ
バレンタインは何らかの方法で、愛を表現する日とされていて、メッセージカード、花束、アクセサリー、ハート型のバルーン、豪華ディナーとプレゼントも様々です。
中には、プロポーズをする男性や、結婚式をするカップルなどもいるそう。

台湾
2月14日だけでなく、旧暦の7月7日にもバレンタインがあるらしいですよ。
バラの花をあげる男性も少なくないみたいで、1本なら「あなただけを愛している」、11本なら「1番好き」、99本なら「一生好き」、108本なら「結婚して」と本数によって意味がきまっているそう。ロマンチックですね!

フランス
「恋人たちのお祭りの日」で男性から女性にプレゼントするのが一般的。
当日、お花屋さんには「あなたを愛します」という花言葉をもつ真っ赤なバラを買い求める男性が殺到するそう。男性が愛しの人に真っ赤なバラを贈り、2人でラブラブなディナーをするのがよくあるパターンらしいですよ。さすが「アムール(愛)の国」!

イタリア
プレゼントでもっともポピュラーなものが、バラの花。その次に下着。しかも赤色が人気なんだとか。その次くらいにジュエリーやアクセサリー、チョコレートはおまけ的な位置でした。
そのほかに、付き合っている彼女や奥さんなど愛する人のために、素敵なデートプランを練り、オシャレなレストランを予約して、バラの花束を買って、プレゼントを買ってとたくさん用意するそう。この日が、最もレストランの予約が取れにくい日なんだって!

ドイツ
交際しているカップルや夫婦だけのイベントで、主に花束を贈るそう。まだ付き合ってない相手に贈るのはおかしなことらしいので気をつけて!

韓国
日本と同じように、女性が好きな男性にチョコを贈ります。しかし、手作りはせず、市販のもの!バスケットにチョコレートをたくさん詰めて、豪華にラッピングして本命の彼に贈ることが多くなっているらしいです。とにかく派手に祝うみたい!さすが記念日を大切にする韓国らしいです。


201321419284372Nc1.jpg
出典/http://hakodate.areablog.jp/blog/1000009822/p10824441c.html

やはり気になるのは、‘経済効果’である!
ネットで見ると次のようなデータがある・・・。

Screenshot_20170213-133134-2.jpg
Screenshot_20170213-132957-2.jpg
出典/http://wakarukoto.com/?p=7721

少しデータは古いのかもしれないが、それにしても‘500億円以上’とは、驚きである!
国民一人当たりに直すと、一人が‘400円’近くも消費していることになる!

良く考えたもんだ!

(つづく)
[2017/02/13 14:09] | 伝統文化 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
バレンタインデーとチョコレート:(その2)‘チョコレート’の語源は?
バレンタインデーとチョコレート:(その2)‘チョコレート’の語源は?

osaka_cho.jpg
出典/http://happy-trendy.com/osaka-chocolate-2129

チョコレートの語源は、‘組み合わせ’語等々ではないと言う!

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/
question_detail/q1210123712


kmkr69217さん
2006/11/2921:56:28
Q:.「チョコレート」という名の由来を詳しく教えてください。

共感した 0
閲覧数:1,227回答数:3違反報告

..ベストアンサーに選ばれた回答
miestastaniさん
.2006/11/2923:33:10

A: .「ヨーロッパ人との接触当初、中央アメリカ人たちはココアのことをカカワトルと呼んだ。1579年までに、彼らは同じものをショコラテと呼ぶようになり、これがチョコレートの語源とされるが、何故カカワトルがショコラテになったのかは不明であり、従って語源も不明である。」

これは日本語版Wikipediaの文ですが間違っています。語源は不明ではなく、ナワトル語です。Wikipediaを見るなら、他言語版も見て比較しましょう。一番情報が多く正確なのは英語版です。

Wikipedia英語版(参考URL1)、スペイン語版(参考URL2)には、ちゃんと「チョコレート」の正しい語源が記されています。まだ一行しか説明がありませんが、語源のナワトル語版Wikipediaの「チョコレート」のページもあります(参考URL3)。

両者その他をまとめると、

日本語「チョコレート」は英語 chocolate からですが、英語 chocolate はスペイン語 chocolate(チョコラテ)から(フランス語 chocolat ショコラ もスペイン語から)です。

このスペイン語 chocolate は、中央アメリカのアステカ諸語の一つであるナワトル語(Nahuatl)の xocolatl(ショコラートル)からで、この xocolatlは、ナワトル語の xocolli「苦い」+atl「水」からできた言葉です。

スペイン語には「xo ショ」音がないので「cho チョ」になりました(フランス語で cho が再び「ショ」音になった)。

日本語Wikipediaの「カカワトル」が「ショコラテ」になったというのは誤りで、「カカワトル」はナワトル語 cacahuatl で、これはカカオの木/豆のことです。ナワトル語は今もメキシコを中心に、150万人が使用する言語です。

チョコレート(ココア)は、本来は、砂糖は入れずに、むしろバニラやチリペパーをいれた苦く辛いスパイシードリンクであり、アステカでは豊壌の女神への供え物だったのです。

http://en.wikipedia.org/wiki/Chocolate
http://es.wikipedia.org/wiki/Chocolate
http://nah.wikipedia.org/wiki/Xocolatl


どうやら、‘チョコレート’の本来の意味は、‘苦い’+‘水’だったようだ!

(つづく)
[2017/02/12 19:43] | サイエンス | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
バレンタインデーとチョコレート:(その1)チョコレートとは、何か?
バレンタインデーとチョコレート:(その1)チョコレートとは、何か?

バレンタインデーが、2月14日であることは知っている!
しかし、その由来や、何故チョコレートと結びつくのかの説明を毎年毎年聞かされるが、直ぐに頭からすっ飛んでしまう!
何故かと言うと、我々が一番関心を持つ時代には、こんな横文字の習慣は無かったからなのだろう!

まあ、「我々年寄りにとっては、関わりの無いこと」と初めから決めて掛かっているから、記憶に残らない!

さて、そのことは別途‘研究(?)させて’戴くことにして、先ずは、

「チョコレートとは、何か?」

から始めたい!

Sweets_Candy_Chocolate_459669.jpg
出典/http://www.1zoom.me/ja/wallpaper/459669/z5573.1/

今、特別のものを除けば、‘口に入れるもの’のほとんどは、‘原料&その製造方法’は大体想像出来る!
私が想像出来ないものの代表の一つが、この‘チョコレート’である!

‘チョコレート’という樹がある訳ではない、ぐらいのことは判っているのだが・・・・。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A7%E3
%82%B3%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%88

チョコレート(英: chocolate)は、カカオの種子を発酵・焙煎したカカオマスを主原料とし、これに砂糖、ココアバター、粉乳などを混ぜて練り固めた食品である。略してチョコともいう[3][注 1]。ショコラ(フランス語: chocolat)と呼ばれることもある。

明治時代の独和辞典『袖珍獨和新辭林』によれば、Schokolateに楂古聿(ショコラ、チョコレート、日本語読みでサコイツ、サコイチ)という訳を当てている。

近年の工業生産チョコレートでは、カカオマス、砂糖、ココアバター、粉乳といった主要材料以外に、原料コスト削減や加工性[5]を上げる目的で植物性の油脂などを加えたり、加工コスト削減の目的で乳化剤などを加えたり、風味の向上の目的で香料や甘味料などを加えるなど、様々な添加物が配合されることも多い


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%AB%E3%8
2%AA%E3%83%9E%E3%82%B9

カカオマス(cocoa mass、まれにcacaomas)とは、カカオ豆の胚乳を発酵、乾燥、焙煎、磨砕したもの。外皮と胚芽は工程中で除去される。液体のものをカカオリカー、冷却・固化したものをカカオマスと呼ぶ。主にココアパウダー、チョコレートの原料として利用される。


それでは‘カカオ’とは?

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%AB%E3%82%AA
カカオ(学名:Theobroma cacao)は、アオイ科(クロンキスト体系や新エングラー体系ではアオギリ科)の常緑樹である。カカオノキ、ココアノキとも呼ばれる。学名の Theobroma はギリシャ語で「神 (theos)の食べ物 (broma)」を意味する[1]。

800px-Theobroma_cacao_MHNT_BOT_2004_0_204.jpg

概要[編集]
樹高は4.5 - 10メートル程度。本種の生育には、規則的な降雨と排水のよい土壌、湿潤な気候が必要である。標高約300メートル程度の丘陵地に自生する。中央アメリカから南アメリカの熱帯地域を原産とする。 樹齢4年程度で開花し、直径3センチメートル程度の白い(品種によって赤~黄色味を帯びる)幹生花を房状に着ける。結実率は1%未満。花期は原産地では周年、栽培地では気温による。日本では5月以降に開花することが多い。

果実は約6か月で熟し、長さ15 - 30センチメートル、直径8 - 10センチメートルで幹から直接ぶら下がる幹生果で、カカオポッドと呼ばれる。形は卵型が多いが、品種によって長楕円形、偏卵型、三角形などで、外皮の色も赤・黄・緑など多様である。中に20から60個ほどの種子を持ち、これがカカオ豆 (cacao beans)となる。種子は40 - 50%の脂肪分を含む。果肉はパルプと呼ばれる。

収穫期は産地によって異なるが、概ね年2回で乾期と雨期に行われ、収穫された果実は果皮を除いて一週間ほど発酵させ、取り出されたカカオ豆は、ココアやチョコレートの原料とされる


ここで‘カカオの実’の画像を、ど~ぞ!

P1090765.jpg
大きさに「わぁ~~~!!!」と歓声があがります。ついに見たカカオを前に大喜びのショコラティエ達。
出典/http://www.dari-k.com/blog_post/%E8%A8%AA%
E5%95%8F%E8%A8%98part-3/

P1090821.jpg
出典/http://www.dari-k.com/blog_post/%E8%A8%AA%
E5%95%8F%E8%A8%98part-3/

P1090820.jpg
出典/http://www.dari-k.com/blog_post/%E8%A8%AA%
E5%95%8F%E8%A8%98part-3/

P1090807.jpg
出典/http://www.dari-k.com/blog_post/%E8%A8%AA%
E5%95%8F%E8%A8%98part-3/


「どうです?チョコレートの原料の‘カカオ’の様子が少しは、お判りになりました?」
「え~え、私は前から存じておりましたのよっ!ご存知無かったのは、あなただけじゃぁ、ござ~ませんこと!?」

「あへ~っ!、そ~なんすかっ!?」
「そっ!」

(つづく)
[2017/02/11 11:52] | 歴史 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top
梅の花の解体!
梅の花の解体!

「‘かいたいしんしょ’というと、最近の若いのは、何、それ?と言うらしい!」
「へ~っ?」

「そして、どんな字を書くか知っているか?と聞くと・・・」
「どんな答え?」

「‘買いたい、新書’って言うらしいから、驚きだねっ!」
「その話って、ほ・ん・と・に?」

梅の花は、この弊ブログでも何度も紹介してきた・・・。

DSC_1420-3_201702101050225cb.jpg
20170206 借景梅満開! 009-3
20170206 借景梅満開! 006-5
DSC_1414-4.jpg
DSC_1414-6_20170210105019bd6.jpg

この梅の花を、自分自身で‘解体’してみたいのだが、少々手間の掛かることだし、これこそインターネットを利用して、等と不届きなことを考えた次第!

自分で‘解体’しなければ、本当の知識にはならないし、本当の‘楽しみ’は解らないのだが・・・・。

あった、あった!

梅の花を解剖
出典/http://www.minabe.net/gaku/hana/kaibou.html

普段じっくり見る機会のない梅の花。ここではじっくり観察しよう!

n01.jpg

これが、南高梅(なんこううめ)の花だよ。うしろから見ると↓こんな感じ 。

n02.jpg

花を分解してみよう。まずは、花びらをむしって・・・花びらは全部で5枚あるよ。

n03.jpg

花びらって、本当に可愛いね!

n04.jpg

これが花びらを取っちゃった後。

n09.jpg

なんだか、とっても神秘的!海の底の生き物みたい。

n05.jpg

さらにおしべを取りました。先っぽの黄色いのが花粉だよ!数えてみると48本あったよ。

n06.jpg

後には、めしべとガクが残りました。

n07.jpg

このめしべが、言わずと知れた「梅の実」になるんだよ!

n08.jpg

この解剖(解体)には時間が掛かったに違いないし、それぞれを写真に撮って、この文章化までには相当の時間と努力が必要だったに相違ない!

しかし、私の場合は、たったの‘15~20分’!
しかし、しかし、自分の実力にはなっていない!
申し訳ないが、‘インターネット’と言うのは、そんなことのようですなぁ~!

DSC_1408-2_20170207151105455.jpg

(つづく)
[2017/02/10 11:37] | サイエンス | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
借景の梅(その2)
借景の梅(その2)

今年の梅は、虫もつかず、見事な白梅で~す!

20170206 借景梅満開! 010-2
20170206 借景梅満開! 011-2
20170206 借景梅満開! 012-2
20170206 借景梅満開! 013-2
20170206 借景梅満開! 013-3
20170206 借景梅満開! 014-2
20170206 借景梅満開! 015-2
20170206 借景梅満開! 016-2
20170206 借景梅満開! 016-3
20170206 借景梅満開! 017-2
20170206 借景梅満開! 017-3
20170206 借景梅満開! 017-4
DSC_1342-2.jpg
DSC_1349-2.jpg
DSC_1414-2_20170207151107d9e.jpg
DSC_1414-3.jpg
DSC_1414-4.jpg
DSC_1408-2_20170207151105455.jpg
DSC_1406-1-2_2017020715110338e.jpg

さあ、この白梅が咲いたら、もう春はそこまで!
来年も頼みますよ~っ!

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%A1
日本における梅の文化[編集]

別名に好文木(こうぶんぼく)、春告草(はるつげぐさ)、木の花(このはな)、初名草(はつなぐさ)、香散見草(かざみぐさ)、風待草(かぜまちぐさ)、匂草(においぐさ)などがある。

古く「花」といえば桜であったものが、奈良時代あたりからウメを指すことの方が多かった。これは中国から梅が輸入されたことに由来する。平安の貴族は初春に人知れず咲く梅の花に魅了された。ところが江戸以降は花見の影響から、花といえば桜となった。例として花を扱う歌は以下である。[18]。そしてウメは古里(ふるさと=奈良平城京)の静かな美しさと文化的郷愁の花となり[19]、和歌や能に取り上げられることになる[20]。

天文14年(1545年)4月17日に当時の天皇が、京都の賀茂神社に梅を奉納したと『御湯殿上日記』にあることにちなみ、「紀州梅の会」が新暦の6月6日を梅の日に定めている[21][22]。 また、古来より梅の名所として「梅は岡本、桜は吉野、みかん紀の国、栗丹波」と唄われた岡本梅林(兵庫県神戸市東灘区岡本)は、起源は明確ではないが山本梅崖の『岡本梅林記』に羽柴秀吉の来訪が記されており、寛政10年(1798年)には摂津名所図会に岡本梅林の図が登場するほどの名所であった[23][24]。

平安時代の碩学菅原道真が梅をこよなく愛したことから、道真およびその神格化である学問の神天神のシンボルとして使用されることが多い。たとえば、江戸時代の禅僧で禅画を多く描いた白隠の代表作の一つ「渡唐天神図」には、「唐衣(からころも)おらで北野の神ぞとは そでに持ちたる梅にても知れ」(意訳:これが天衣無縫の唐衣を着た北野天満宮の神であることを、彼が袖に持っている梅によっても知りなさい)の賛が残されている(古くは『菅神入宋授衣記』にほぼ同様の和歌が記載されている)[25]。

語源[編集]
「ウメ」の語源には諸説ある。ひとつは中国語の「梅」(マイあるいはメイ)[26]の転という説で、伝来当時の日本人は、鼻音の前に軽い鼻音を重ねていた(現在[いつ?]も東北方言などにその名残りがある)ため、meを/mme/(ンメ)のように発音していた。馬を(ンマ)と発音していたのと同じ。これが「ムメ」のように表記され、さらに読まれることで/mume/となり/ume/へと転訛した、というものである。今日[いつ?]でも「ンメ」のように発音する方言もまた残っている。


(つづく)
[2017/02/08 01:27] | 季節の変り目 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top
借景の梅(その1)
借景の梅(その1)

借景は、手間も掛からずいい時だけ‘利用’すれば良いから極めて都合が良い!
考えてみれば、‘孫’みたいなものである!

我が家の‘トイメン’の‘Kさんち’にある白梅は、我が家にとっては、極めて嬉しい‘借景’である!
毎年、毎年、季節の変わり目を‘己の姿の変化’で見せてくれる・・・。

それが、遅咲きであろうと、早咲きであろうと、我が家の周りには、大きな白梅はこれしかないから、問題にならない!
この借景の白梅、そのものが、季節の移り変わりを人間様に教えてくれるのである!

さて、前置きは、これくらいにして、いつもお世話になっている白梅が、このところの暖かさで、8分咲きとなった!

DSC_1420-2_201702071439315d7.jpg
DSC_1420-3.jpg
20170206 借景梅満開! 001-2
20170206 借景梅満開! 002-2
20170206 借景梅満開! 003-2
20170206 借景梅満開! 003-3
20170206 借景梅満開! 003-4
20170206 借景梅満開! 004-2
20170206 借景梅満開! 004-3
20170206 借景梅満開! 005-2
20170206 借景梅満開! 006-2
20170206 借景梅満開! 006-3
20170206 借景梅満開! 006-4
20170206 借景梅満開! 006-5
20170206 借景梅満開! 008-2
20170206 借景梅満開! 009-2
20170206 借景梅満開! 009-3

桜には、‘香り’が少ないが、梅には‘香り’がある!
画面からも‘い~い香り’が・・・・。

(つづく)
[2017/02/07 14:58] | 季節の変り目 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
鹿児島の夕べ(その2)
鹿児島の夕べ(その2)

2017年1月31日に

かごしま食の大交流会 in TOKYO
~ 鹿児島の夕べ ~

が、東京渋谷の‘セルリアンタワー東急ホテル地下二階「ボールルーム」で開かれた!(2017年2月6日の弊ブログに掲載済み)

さて、前回は、三反園 訓鹿児島県知事のご挨拶が終わって、いよいよ‘鏡開き’のところまで掲載させて貰った!

この‘鏡開き’をされる面々が、その日の‘鹿児島の夕べ’開催にご努力をされた方々である!
謂わば、鹿児島地域活性化を自ら引き受けられた苦労人の人達である!

DSC_1388-2_201702061702398cc.jpg
DSC_1388-3.jpg
DSC_1390-2.jpg
DSC_1390-3.jpg
DSC_1391-2_20170206170237986.jpg
DSC_1391-3.jpg
DSC_1391-5.jpg
DSC_1391-4.jpg
DSC_1392-2_201702061706169ce.jpg
DSC_1392-3.jpg

上の画像の向かって左が、三反園県知事である・・・。

DSC_1393-2_20170206171008c3e.jpg
DSC_1393-3.jpg
DSC_1394-2.jpg

丸に十字は、薩摩藩の紋章!

DSC_1397-2_20170206171013a51.jpg
DSC_1405-2.jpg
DSC_1405-3.jpg

30日間不食俳優の‘榎木孝明’さんもご来場!

DSC_1406-1-2.jpg
DSC_1406-1-3.jpg
DSC_1409-2_2017020617175052a.jpg
DSC_1409-3.jpg

この美人は、第25代ミス鹿児島で、極真空手全日本チャンピオンの‘前田瑠美’さんだそうだ!鹿児島県の人は誰でも知っているらしい!歴とした音楽大学の声学科卒業のクラシックから演歌までの歌手でもあるらしい!何と‘闘う歌姫’というから一寸怖~い!

私はもっぱら本格芋焼酎のカクテル版?‘てんからもん’ばかりを戴いた!

DSC_1412-2_201702061731564c7.jpg
DSC_1412-3.jpg

http://praha.lolipop.jp/nishikinada/product/detail.php?id=0016
" てんからもん"と言う意味は鹿児島の方言で「おりこうさん」と言う意味があります。このてんからもん「バイオレット」は、焼酎用の白麹菌と清酒用の黄麹菌を細胞融合させて造った独自の麹菌を使用することにより、芋焼酎独特の強い香りを抑え、どなたでも抵抗無く飲めるようにいたしました逸品です。 原料 芋 度数25度


それから三日目の2月3日から、これまで風邪はほとんど引かない体だったのに、のどが痛くなり‘風邪気味’であり、まだ今日(2月6日)まで風邪が抜けない!
「どうして?」と考えていたが、な~るほど!この‘てんからもん’の所為であることが判明した!
この‘てんからもん’のお陰で、少々利口になったかららしい・・・?

DSC_1414-2_20170206173155fae.jpg

薩摩の皆さん、御苦労様!(因みに、私は福岡県出身!)

私は、この風邪にも懲りずに、あの日から‘てんからもん’のファンになった!

(つづく)
[2017/02/06 18:00] | 地域活性化 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
鹿児島の夕べ(その1)
鹿児島の夕べ(その1)

先月(2017年1月)の中旬に一通のはがきが来た!
鹿児島県知事の‘三反園 訓’さん名義からである。

‘三反園県知事’とは、彼がテレビ朝日のコメンテーター(解説委員)をやっておられる時に友人から紹介されて一晩お付き合い願ったことがあった。
つい最近あるとことで‘鹿児島県知事’の事が話題になって、前述のことを話したところ、ご案内状が舞い込んだという次第である!

場所は、渋谷という。渋谷はもう我々年寄りが行く場所ではなくなってしまっているので、どうしようかと少々迷ったが、三反園さんとひょっとすると話が出来るかも知れないと思って出席させて戴く事にした!

場所:セルリアンタワー東急ホテル(東京都渋谷区桜丘町26-1)地下2階

‘タワー’は判るが、‘セルリアン’っていう単語聞いたことも無い!
辞書で調べてみると‘青空色の’という形容詞だそうだ!
な~るほど、渋谷の駅に着いて周りをぐるりと見渡してみると、インターネットで見たビルが見える!
もしも晴れのお天気の時には、青空に突き刺さるように聳えているから、‘セルリアン’なのだろう!

Screenshot_20170131-141734.jpg
Screenshot_20170131-141804.jpg
鹿児島の夕べ-2
鹿児島の夕べ0001-2

会場に着いてみて驚いた!始まるのは、18:30からだと言うのに、18時にはもう満員で、多分2,000人弱の人々で、会場は‘立錐の余地も無い’という表現が、この時の為に創られたのかしら?と思わせる程の‘賑わい’である!

鹿児島の名産と言えば、誰だって最初に‘薩摩焼酎’であることに気付く!
ご覧の通り薩摩焼酎だらけである!
一体銘柄はどの位あるのだろうか?

DSC_1357-2.jpg
DSC_1357-3.jpg
DSC_1357-4.jpg
DSC_1358-2.jpg
DSC_1358-3.jpg

そんな訳で、18:30から始まったのだが、お偉い方々のご披露も沢山あって、音楽の演奏もあって・・・・

DSC_1360-2_20170206123530c88.jpg
DSC_1361-2_201702061235328e6.jpg
DSC_1361-3.jpg
DSC_1362-2_201702061235352aa.jpg
DSC_1363-2_20170206123529ef6.jpg
DSC_1363-3.jpg
DSC_1365-2_20170206123826ab7.jpg
DSC_1365-3.jpg
DSC_1365-4.jpg
DSC_1366-2.jpg
DSC_1366-3.jpg
DSC_1366-4.jpg
DSC_1367-2_20170206124130e30.jpg
DSC_1369-2_20170206124132a9b.jpg
DSC_1369-3.jpg
DSC_1371-2_201702061244020ba.jpg
DSC_1372-2_20170206124403a29.jpg
DSC_1374-2_20170206124405bf7.jpg
DSC_1377-2_20170206124406f72.jpg
DSC_1378-2_20170206124400d9e.jpg
DSC_1378-3_20170206124601b41.jpg
DSC_1379-2_201702061246035cf.jpg
DSC_1384-2_201702061246053a9.jpg
DSC_1384-3.jpg
DSC_1385-2_20170206124600082.jpg
DSC_1386-2_20170206124750dc5.jpg
DSC_1386-3_20170206124752f05.jpg
DSC_1387-2_201702061247541ff.jpg
DSC_1387-3.jpg

さあ、三反園県知事のご挨拶も終わって、いよいよ、‘鏡開き’である!

DSC_1388-2_20170206124749537.jpg

こんなに多くの人数だと、特別の緊急話題も持ち合わせていない私には、県知事には、とてもご挨拶も出来ない!

(つづく)
[2017/02/06 13:01] | 地域活性化 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
‘隗’絵画展・2017
‘隗’絵画展・2017

2017年1月6日に、尊敬する佐々木亮介画伯から、絵画展のご案内状が届いた!

佐々木亮介画伯御案内0001-2
佐々木亮介画伯御案内-2

「本展は今年が最後になりました。」とのコメント付きである!

という訳で、1月28日(土)のお昼には、佐々木画伯が会場にお出でになるというので、船橋の会場へ出かけて行った!

会場へ着いて、佐々木画伯の作品は直ぐに判った!

DSC_1263-3.jpg

画面の左上の‘横棒状の光の集団’は、室内蛍光灯が、額のガラスに映っているのであって、絵画の内容ではないことをお断りしておく!カメラアングルをもう少し‘上向き’にして、上下の大きさを均等にしたかったのだが、そうすれば、この‘横棒状の光集団’が顔を覆ってしまうので、已む無くこのアングルにしたのである!

DSC_1263-4.jpg

このモデルさんの‘顔の表情’の描き方は、素人には決して出来ない‘タッチ’であり、陰影である!
この‘鼻筋一本’で、この絵は成功している!(佐々木先生、偉そうなことを申して、申し訳ありません!お許しを!)

最近の佐々木画伯の‘テーマ’が変わって来た!
数年前までは、風景画だった。私が数年前、佐々木画伯に偶然お逢いしたのは、東京台東区柳橋付近の路上で、風景画を描かれておられるところに、私が打ち合わせ帰りに、その風景画を覘かせて貰って衝撃を受けたことであった!

厚かましくもその時お声を掛けさせて貰ったのが始まりで、何度か展覧会にも行かせて貰っている・・・。

最近のテーマは、風景画の後、静物画から、生身の人間様モデルに変わりつつあるのである!

そのいずれの対象物に関しても、その鋭い感覚とセンスで成功しておられる!

DSC_1261-2_20170202135816a9c.jpg
DSC_1261-3.jpg
DSC_1262-2_20170202135819dee.jpg
DSC_1262-3.jpg
DSC_1264-2_20170202135814194.jpg

上の二つの風景画はもっとも得意とされる題材であるが、この画題でも、このところ変化が見られる。
‘光と影’に重きを置かれているのは、当然のこととして、大まかな筆遣いで如何に全体の雰囲気を醸し出すかに注意が払われているのに気付かされる!

「絵画と書の違いは?」と問われれば、「絵画、特に油絵は、後から何度も塗り替えられるが、書は書き足しが出来ない‘一発勝負’だといえる。従って、書は何枚も書いては捨ててまた書くという動作を繰り返す!

‘水彩画’は、その中間を行くものであって、何枚かは描く人もいるかもしれないが、‘ワンタッチ’で奥深い画題の持つ真相に迫らねばならない、というところに油絵とは違った趣があるのだろうと思っている!

そんな訳で、‘人物の水彩画’は、水彩画の中でも最も難しいと思っているが、風景画と静物画を全うされてから、人物画に挑まれているには‘訳がある’ということが理解出来る!

次の静物画もその技量に脱帽である!

DSC_1271-2_20170202141959417.jpg
DSC_1271-3.jpg

題名を‘浮遊花’と名づけられている!この擬人化も面白い!‘花’が自ら浮いて遊んでいる、というのだから傑作である!

さて、佐々木画伯以外の方の作品で感心したのは、次の‘二作品’であった!

<大事な作品を、ど素人が‘トリミング’をしたりしては、大変失礼なことであるが、‘説明’のためであるのでお許し願いたい!>

DSC_1267-2.jpg
DSC_1269-2.jpg
DSC_1269-3.jpg

この作品は、特に顔の表情がいい!
その中でも‘眼’が‘モノを言っている’事に気付かされる!

‘眼は心の窓口’であり、眼の動き一つで、その人物の心が読み取れる!
その点で、‘大成功’を収めておられる!

次の作品は、‘線を自由自在に操る’事に主眼が置かれている!
しかも、書道と一緒で、書き換えの聞かない一発勝負であるから、センスが問われる!

DSC_1265-2_20170202142812002.jpg
DSC_1265-3.jpg
DSC_1265-4.jpg

この作品を描かれた方が,`書道’を嗜まれるかどうかは知らないが、この方の‘書’も拝見したい気持ちである!


実は、私がこの会場に到着した時には、佐々木画伯は不在だった!
お昼からは会場におられるという予告が示されていたのであるが、何かの急用かも知れないからその日はお逢い出来ないかも知れないと思ってエレベーターで1階へ降りて、スマホをいじっている時、その丁度の時に画伯と出くわしたのである!
ほんの数秒早かったり遅れたりしておれば会えなかったのに・・・・。

また会場へ一緒に戻って、貴重なお話を拝聴出来たのである!

(つづく)
[2017/02/02 21:12] | 芸術 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
またまた、数字で!
またまた、数字で!

「ところでサ、またまた、数字でって、何?」
「え~と、ゲ、ゲームなんですよっ!」

DSC_1407-2.jpg

「あんたサ、まだこんなゲームやってんの?」
「‘こんなゲーム’は無いでしょ!」

DSC_1404-2_201702021109127f2.jpg
DSC_1406-2.jpg

「朝から、ご苦労さん!それにしても‘移動数が92’って凄~い!」
「そ、そうでしょ!」

「次は、何?」
「万歩計っ!」

Screenshot_20170201-084008-2.jpg

「これの何処に‘新味’が?」
「月間歩数、千葉県で、‘73位’って、凄くないですか?」

「凄いですが、母数は?」
「え~と、え~と、全国で‘35,395’ですから、千葉県では、その~」

「・・・・・?」
「・・・・・!」

Screenshot_20170201-084553-2.jpg

「これは?」
「二つ! ① 歩数とランキングが、同じ数値! ② 38日連続で、目標歩数の‘5,000歩’を突破っ!」

「あんまり威張れたもんでもないねえ!」
「そうですねっ!」

(つづく)
[2017/02/01 23:56] | 統計 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
2017年01月期のサブジャンルのランキング
2017年01月期のサブジャンルのランキング

「2017年もあと11ヶ月を残すばかりとなりまして・・・」
これは、落語家のご挨拶!

FC2のブログでは、毎日毎日ランキングを発表してくれる!
これが、「順位なんて、俺には関係ねぇっ!」と公言している御仁が、意外にも‘向上心’を掻き立てているそうだから、‘本音と建前’ってのは、他人様には判り難い!

そんな訳で、今年2017年1月のジャンル(創作日記)のランキングをまとめてみた!
1月の平均順位は、‘7位’!これは、昨年(2016年)の12月と同じ・・・。

1月の最終日の今日(2017年1月31日)のランニングは、‘だうだう’の6位である!

Screenshot_20170131-114216.png

2017年01月期のサブジャンルでの順位と月平均順位0001-3
2017年01月期のサブジャンルでの順位と月平均順位0001-2

さ~て、2月は一体何位に???

(つづく)
[2017/01/31 22:31] | 統計処理 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
スマホで、オリオン座の‘ベテルギウス’を撮る!
スマホで、オリオン座の‘ベテルギウス’を撮る!

冬の夜空は、美しい!

何せ、空気が澄んでいるからである!
特に、都会の‘灯り’から、遠く離れた‘陸の孤島’に近い我が家、つまり、房総半島・千葉県・茂原市・千沢地区の夜空は、格別である!

この場所に、家を建てようと決心した条件の中にも‘夜空が美しいから’と言うのも入っていた!
此処では、地域開発がなされないから、夜空は、20年前と変わりが無い!
勿論、‘天の川’は、少し目が慣れてくると見える!

さて、そんな訳で、大胆にも‘スマホ’の‘一瞬押し’で、オリオン座を撮ってみようと思い立ったのである!
近頃のスマホの性能は‘素晴らしい’!私の安物でも‘一千万画素’である!

その画像、まだPC処理をしない画像が、これである!

DSC_1234-2_201701302034521e1.jpg

これをPC処理すると、何と、少しは‘手ぶれ’はあるものの、‘オリオン座’が撮れているではないか!

DSC_1234-3.jpg
DSC_1234-4.jpg
ベテルギウス・こちらが本物!
撮影時刻:2017年1月27日21:04

この赤い が、既に‘大爆発’を起こしてしまっている可能性の強い、あの‘ベテルギウス’である!

オリオン座は・・・・

ori01.jpg
出典/http://www.asahi-net.or.jp/~gg6h-skri/guide/ori.html

αが、‘ベテルギウス’である!

オリオン座が観測出来るのは、次の時である!

untitled.jpg
出典/http://annana.info/archives/142

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%86%E3
%83%AB%E3%82%AE%E3%82%A6%E3%82%B9

ベテルギウス(Betelgeuse)は、オリオン座α星、オリオン座の恒星で全天21の1等星の1つ。おおいぬ座のシリウス、こいぬ座のプロキオンともに、冬の大三角を形成している。

250px-Orion_constellation_map.png

概要[編集]
M型の赤色超巨星。また、変光星でもあり、星自体の形状が変化する脈動変光星、中でも半規則的に変光するSRC型に分類されている[5][8][9]。これらの特徴から主系列星を終えた進化段階にあると考えられている。 星座中最も明るいとされるバイエル符号αが付けられているが、極大期を除いてβ星のリゲルより暗い[注 3]。

特徴[編集]

距離[編集]
2008年になり、定説となっていた約427光年という推定距離が大幅に改められ約642光年となった[6]。

変光[編集]
ベテルギウスの変光は、イギリスが当時植民地だった南アフリカに設置した天文台で、1836年にジョン・ハーシェルによって発見された[12]。天文台での観測は航海に役立てるためのものであり、ハーシェルは星の明るさを測定していたところ、ペテルギウスの変光に気が付いたのである。2016年現在の変光範囲は0.0等 - 1.3等となっている[5][8][9]。肉眼で観測できる数少ない変光星の一つであり、北半球における冬(南半球では夏)の半規則型変光星の中では、最もはっきりとした変光を示す。北半球における冬(南半球では夏)に見える半規則型変光星には、他にオリオン座W星[注 4]やうさぎ座RX星[注 5]、いっかくじゅう座V523星[注 6]などがあるが[注 7]、3個ともベテルギウスほど明確な光度変化は見られない。

直径[編集]
ベテルギウスを太陽系の中心に置いたとすると、火星軌道を大きく超え、木星軌道の近くまで達する[16]。また、ベテルギウスは地球からの見かけの大きさ(視直径)が太陽を除いて全天で最も大きい恒星である。

1920年にアルバート・マイケルソンとフランシス・ピーズはウィルソン山天文台の2.5m反射望遠鏡に干渉計を取り付け、その視直径が約0.047秒であることを見出した。これは、400km離れた所に置いた野球ボールと同程度である。1970年代にアントニー・ラベイリはスペックル干渉法によって、ベテルギウスの実際の星像を得ることに成功している。

1995年にはハッブル宇宙望遠鏡により、太陽以外の恒星では初めて(干渉法を用いないという意味で)直接その姿が撮影された[17]。

超新星爆発の予兆観測[編集]
ベテルギウスが主系列星の段階に入ったのは約1000万年前と推定されているが、質量の大きな恒星ほど核融合反応が激しく進行するため短命な一生となる。ベテルギウスの質量は太陽の約20倍もあり、かつ脈動変光するほど赤色超巨星として不安定であることから、地球周辺でII型超新星爆発を起こすであろう赤色超巨星の一つに挙げられている。

2009年の観測では、15年前の測定時と比べて15%も小さくなっており、しかも加速的に収縮しているらしいことがわかった[18]。また2010年1月のNASAの観測で、ベテルギウスが変形している事が示された。これは、ガスが恒星表面から流出し表面温度が不均一になるなど、星自体が不安定な状態にあることを意味し[16]、さらに近年の観測や研究により、その形状は球形ではなく、大きな瘤状のものをもった形状であるとされている。

しかしながら、これらの観測結果が直ちにベテルギウスの超新星爆発の前兆現象を示しているかは定かではない。

超新星爆発の地球への影響の予測[編集]
ベテルギウスが超新星爆発をする際には地球にも何らかの影響を及ぼすであろうと言われていた。これは、ガンマ線により、オゾン層が傷つき穴が空くか消滅し、地球および生命体へ有害な宇宙線が多量に降り注ぐとされているからである[注 8]。

しかし近年の研究により、超新星爆発の際のガンマ線放出については、恒星の自転軸から2°の範囲で指向性があることがわかっている。実際、NASAのハッブル宇宙望遠鏡でベテルギウスの自転が観測され、その結果ベテルギウスの自転軸は地球から20°ずれており、ガンマ線バーストが直撃する心配は無いとされた。ただし、超新星爆発時のかなり大きな質量変動とそれに伴う自転軸の変化が予想できないこと、ガンマ線放出指向性の理論的・実験的な根拠がはっきりしないことから、直撃の可能性について確実なことは知られていない。

超新星爆発した際の明るさについては、SN 1054と同規模の爆発と仮定すると、地球からベテルギウスまでの距離は、かに星雲までの距離のほぼ1⁄10であるため明るさは100倍程度と概算できる。SN 1054は-6等級以上の明るさだったと推定されるので、100倍だと-11等級を超える明るさとなる。これは半月よりも明るく、数日間は昼でも小さい点として輝いて見える。ある予測では、4か月ほど明るさを維持したまま青白色から赤色へ色が変化し、その後急速に減光して4年後には肉眼でも見えなくなるであろうという。

爆発後はブラックホールにはならず、中性子星となると考えられている[19]。


さて、さて、‘ベテルギウス’は、今現在本当はどうなっているのだろうか?

光の速さで、およそ‘642年’も遠いところにあるのだから、今現在の状況を観測出来ないなんて・・・・!

(つづく)
[2017/01/30 23:53] | 技術の進歩 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
やっぱり、車のナンバー!
やっぱり、車のナンバー!

「やっぱり、車のナンバーってさ、例の?」
「そっ!そうなんですよっ!」

「それで、今日のは?」
「凄いですよっ~!」

DSC_1273-2.jpg
DSC_1273-3.jpg
DSC_1273-4.jpg
DSC_1273-5.jpg
DSC_1273-6.jpg

この前後の車の後ろの・・・

この車

「この後ろの⇒の車のナンバーが、きっと、『へ・・ ・8』ではないかと・・・?」
「そりゃあ、ひょっとして・・???」

「それに、もう一つ?」
「そっ!そうなんで・・・」

DSC_1274-2.jpg

「この車で、なに?」
「語呂合わせっ!」

DSC_1274-3.jpg

「ほ、ほ~っ!‘ご苦労さん’、ですかっ!」
「珍しいでしょっ!」

(つづく)

[2017/01/29 22:54] | 仰天! | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
東京・上野公園は、今!(その4):豊翠先生作品出品の展覧会<②>
東京・上野公園は、今!(その4):豊翠先生作品出品の展覧会<②>

さあさあ、お待たせしました!
武藤豊翠先生の出品作品です!
展示されている‘場所(順番場所)’には、キット意味があるのだろうから、出来るだけそれに沿って掲載しようと思ったが・・・。

DSC_0951-2.jpgDSC_0950-2.jpg

DSC_0949-2_201701281736562fc.jpgDSC_0948-2_20170128173657d34.jpg

DSC_0947-2_201701281740185c8.jpgDSC_0942-2.jpg

どの文字一つ取っても素晴らしいのであるが、この上の中で、私の好みから言わせていただけるなら・・

DSC_0947-3.jpg

この文字の旁(つくり)が何とも言えないほど素晴らしい!
この事は、会場で、豊翠先生にも申し上げた!

DSC_0942-4_20170128174314d8c.jpg

そして、そして、上の二文字、‘雪飛’の‘連綿’が堪らない!

DSC_0946-2_20170128175053134.jpg

さて、この上の書こそ、豊翠先生が一番力を入れられた書である(と思う)!
その証拠(?)に、帰る際に、先生から、この文字の色紙を頂戴したのである!

20170126 豊翠先生色紙 004-2

これは、我が家の宝である!

20170126 豊翠先生色紙 003-2
20170126 豊翠先生色紙 003-3

また、また、次の仮名文字も素晴らしい!

DSC_0945-1.jpg
DSC_0945-3.jpg
DSC_0945-4.jpg
DSC_0945-5.jpg

DSC_0944-2.jpgDSC_0943-2.jpg
DSC_0943-3.jpg

‘月能(の)光’、いいじゃあないですか!特に‘光’の文字が‘神々しい’!

豊翠先生、申し訳ございません!勝手なことを言いまして・・・。
今後とも益々お元気でご指導方よろしくお願い致しま~す!

(つづく)
[2017/01/28 23:54] | 芸術 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
東京・上野公園は、今!(その3):豊翠先生作品出品の展覧会<①>
東京・上野公園は、今!(その3):豊翠先生作品出品の展覧会<①>

昨年(2016年)の暮れも押し迫った或る日、日頃尊敬している‘武藤豊翠’先生から、ご案内状が届いた!
例年行っておられる‘国際書画交流会 展覧会’~書道と水墨画・油絵・写真のコラボレーション~に関するご案内状である。

武藤豊翠先生御案内状-2
武藤豊翠先生御案内状0001-2

武藤 豊(号:豊翠)先生は、早大OB書道会代表をされておられ、東久留米稲門会書道部でお年寄りから小さな子供さんまで、日本の伝統文化である‘書道の本質’を説かれ実践指導しておられるのである!御歳、なんと80歳近く!

その日(2017年1月6日)は、東京でも初氷が張るほどの寒さだったが、上野公園は、やはり賑わっていた!

DSC_0958-2_201701271758498e4.jpg

会場の東京都美術館の敷地内に入ると、直ぐに有名な‘My Sky Hole’がある!

DSC_0956-2.jpg
DSC_0956-3.jpg

この真ん中のは私自身の‘鏡像’がある!
拡大すると・・・、

DSC_0956-4.jpg

この画像の真ん中にいるのが、‘私’である!
この芸術品の足元には、作者のネームプレートがある!

DSC_0957-2_20170127180138017.jpg
DSC_0957-3_201701271801306e9.jpg

さて、エスカレーターで地下へ降りると、東京都美術館の入り口である!

DSC_0954-2.jpg
DSC_0954-3.jpg
DSC_0952-2_201701271754295cc.jpg
DSC_0953-2_20170127175424482.jpg

会場は、2階の第1展示室だという!
わくわくしながら会場に着くと、豊翠先生は、既に会場に来ておられた!

DSC_0940-3_201701271815577bb.jpg

先ず、先生と‘記念撮影’!

(つづく)
[2017/01/27 18:22] | 芸術 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
東京・上野公園は、今!(その2):西郷隆盛銅像・敬天愛人の碑
東京・上野公園は、今!(その2):西郷隆盛銅像・敬天愛人の碑

今月最終日(2017年1月31日)に九州・鹿児島県に関係する人達が、東京・渋谷の某ホテルの集結して‘人的連携’の確認・拡大の会を開くことになっている!

当然話題になるのが、今でも‘せごどん’、つまり‘西郷隆盛’のことである!
それなりに‘せごどん’はまだまだ生きているのである!
その証拠に、2018年のNHK大河ドラマ‘西郷’(せご)どん’が‘鈴木亮平さん’主役で放映されることに決まっている!

さて、この‘せごどん’のもっとも有名な扁額の言葉・文字が、‘敬天愛人’なのである!
ず~と以前にもこの弊ブログでもご紹介したが、私の出身高校、福岡県立・鞍手高校にも、この‘敬天愛人’の扁額があった!

201109081002351f8_20160328003157517_20170126004225b95.jpg
出典/http://ustinaba.blog120.fc2.com/blog-entry-527.html

多分この扁額の文字に似ていたと思う!
現在の鞍手高校のHPを開いてみたが、この扁額についての記載は無い!

さて、上野公園の西郷さんの銅像の横に、敬天愛人に関する‘碑’が建っている。

DSC_1154-2_20170126005338d6f.jpg
DSC_1155-7.jpg
DSC_1157-3.jpg
DSC_1157-4.jpg
DSC_1157-7.jpg

http://members2.jcom.home.ne.jp/mgrmhosw/keitennaijin.htm
西郷隆盛書「敬天愛人」の典拠

  『南洲遺訓』

 西郷隆盛は一八七五年(明治八)ころ、訪れる客の求めに応じてしばしば「敬天愛人」という四字成句を揮毫した。諸橋轍次氏編『大漢和辞典』は、この四字成句を「西郷南洲の語」とし、『南洲遺訓』の一節を引いている。

「道は天地自然のものなれば、講学の道は敬天愛人を目的とし、身を修するに克己を以て終始す可し」

 『南洲遺訓』は旧庄内藩の藩士たちがしばしば鹿児島の西郷のもとを訪れて座談したさいの記録であり、最終的には一八七四年(明治七)に訪問した赤沢経言が筆録し、一八七五年(明治八)に訪問した菅実秀の校閲で、西郷死後に公刊されたものである。【補注1】

 西郷隆盛揮毫の「敬天愛人」の書は、現在一〇幅残っているが、一八七五年以後の揮毫とされている。したがって西郷隆盛がこの四字成句を思いつくのは、それ程以前のことではないであろう。

  中村敬宇訳述『西国立志編』

 井田好治氏・沢田鈴歳氏・増村宏氏ら鹿児島在住の方々の研究によれば、「敬天愛人」の直接の典拠は、サミュエル・スマイルズ著・中村正直(敬宇)訳述『西国立志編』(原書は『Self-Help(自助論)』)である。同書は一八七一年(明治四)刊行されているが、訳者「緒論」に、国会議員たる者は「必ず学明らかに、行い修まれるの人なり、敬天愛人の心ある者なり、己に克ち、独りを慎しむ工夫ある者なり」という一節があり、また「西国古今儁傑の伝記を読み、その皆自主自立の志あり、艱難辛苦の行ないあり、敬天愛人の誠意に原づき、もってよく世を済い、民を利するの大業を起こし云々」と述べている。

  中村敬宇著『敬天愛人説』

 実は中村敬宇には、これより以前に『敬天愛人説』と題する著作がある。敬宇は昌平黌で儒学を学ぶ一方で、蘭学・英学を学び、一八六六年(慶応二)イギリスへの留学生派遣にさいし、監督として引率し、一八六八年(慶応四)戊辰戦争のさなかの六月帰国した。

 帰国するやかれはすぐに駿府に移った。前将軍徳川家の駿府移住に従ったのである。駿府はまもなく静岡と改称され、静岡藩となる。

 敬宇は駿府に移ってすぐ『敬天愛人説』を執筆した。これは全文「敬天愛人」の説明であるが、たとえば「何をか愛人という、曰く、天を敬するがゆえに人を愛す。わが同胞を愛するは、わが父を敬するによる。」というくだりがあるが、この父は肉親ではなく「天上の父」つまりキリスト教の父なのである。【補注2】

 出典は新約聖書のマタイ伝の一節である。これは出典を問い合せた静岡藩権大参事大久保一翁(忠寛)の礼状によっても確かめられる。【補注3】
 敬宇はこれを中国伝統思想の「天」=上帝と重ねあわせて理解しようとしたようである。敬宇の号自体「敬天」と同義であろう。

  康煕帝書「敬天愛人」

 さて「天上之父」=キリスト教の神は、もともと日本では「天主」と呼ばれてきた。ただし近世にはキリスト教が禁圧されていたから、「天主」観念の発展は不明である。

 しかし中国では「天」と「天主」をめぐる思想的格闘があった。一八世紀初頭の典礼論争である。

 一六七一年(康煕十)清の康煕帝が「敬天愛人」という扁額を書いて、キリスト教会に与えたことがある。これが後年問題を生じた。

 儒教の「天」は上帝であり、キリスト教の「天主」と同じとする折衷的な解釈で孔子や祖先への伝統的行事への参加を黙認するか、それとも中国の「天」は宇宙に広がる空間・自然であって、神ではないとし、孔子崇拝や祖先への伝統的行事への参加や、「天」「上帝」の用語の使用を禁止するかの対立である。結局ローマ教皇は後者の解釈を支持したから、康煕帝はこれに激怒し、前者の解釈に従うもののみ許容することとし、のち雍正帝はキリスト教を全面的に禁止している。「天」をどう理解するかは、中国文化圏におけるキリスト教のあり方にかかわる重大問題であったのである。

  「ワシントン殿」への敬意

 以上の研究で西郷隆盛の「敬天愛人」が、中国の儒教の教典から直接発想されたのではなく、儒教的教養を土台としつつも、幕末・維新期の西洋文明とキリスト教理解から抽出された観念を受容することによって生まれたことが明らかになった。

 日頃「ワシントン殿」(アメリカ初代大統領)への尊敬を口にしていた西郷隆盛は、『西国立志伝』全体をつらぬく精神として、この四字成句を受け留めたのであろう。のちにキリスト教徒内村鑑三が「代表的日本人」のなかで西郷をとりあげ、「敬天愛人」を西郷の根本精神としたのも頷ける。

今や西郷隆盛を道学者的イメージから解放する必要があるのではなかろうか。【補注4】



1)高橋昌郎,中村敬宇,吉川弘文館,1966,

2)沢田鈴蔵・増村宏,中村正直の敬天愛人,鹿児島大学法文学部史学地理学教室,鹿大史学,19号,1972,

3)増村宏,西郷隆盛の思想について,鹿児島大学法文学部文学科論集,7号,1972,

4)井田好治,敬天愛人の系譜 南洲と敬宇と康熙帝,明治村通信,155号,1983,転載:西郷南洲顕彰会,敬天愛人,2号,1984,

5)大久保利謙,幕末維新の洋学,大久保利謙著作集,第5巻,吉川弘文館,1986,


(つづく)
[2017/01/25 23:55] | 歴史 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
東京・上野公園は、今!(その1):上野公園・西郷隆盛銅像・碑文
東京・上野公園は、今!(その1):上野公園・西郷隆盛銅像・碑文

一昨日(2017年1月20日)、久し振りに東京・上野公園を訪ねてみた!
上野公園と言えば、我々のような‘老いぼれの九州人’は、‘せごどん’、つまり‘西郷隆盛’の銅像を一番に見たいと思うのである!

DSC_1154-2.jpg
DSC_1154-3.jpg
DSC_1154-4.jpg
DSC_1154-5.jpg
DSC_1155-2.jpg
DSC_1155-3.jpg
DSC_1155-4.jpg
DSC_1155-6.jpg

http://tanaka0903.net/?p=1427

<碑文>(たてよこ変換)

西郷隆盛君之偉功在
人耳目不須復賛述前
年 勅特追贈正三位
 天恩優渥衆莫不感
激故吉井友實輿同志
謀鑄銅像以表追慕之
情 朝旨賜金佽費捐
資賛此擧者二萬五千
餘人明治二十六年起
工至三十年而竣乃建
之上野山王臺記事由
以傅後

西郷隆盛君の偉功については皆さんご存じでしょうから、改めて讃え述べることもないでしょう。前年、勅によって特別に正三位を追贈され、天恩が手厚いことに皆感激しないことはありませんでした。故に、吉井友実は同志とともに銅像を鋳造し、追慕の情を表すことを計画しました。朝廷から金銭を賜り費用に充てよとのご意向があって、この挙に賛同し義捐金を拠出した者が二万五千人余りあり、明治二十六年に起工し、明治三十年に至って竣工し、これを上野山王台に建てて事由を記し、以て後世に伝えます。


除幕式の時の‘エピソード’は有名であるが、この西郷隆盛の銅像が、あの‘高村光雲’作というから少々驚きである!

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E9%83%B7%E9%9
A%86%E7%9B%9B%E5%83%8F

<東京・上野の西郷銅像>

東京都台東区上野の上野公園に建っている西郷像は高村光雲の作(傍らの犬「ツン」は後藤貞行作)、鋳造は岡崎雪聲。1889年(明治22年)大日本帝国憲法発布に伴う大赦によって西郷の「逆徒」の汚名が解かれたのをきっかけに、吉井友実ら薩摩藩出身者が中心となって建設計画が始まった。

宮内省より500円を下賜され、さらに全国2万5千人余の有志の寄付金で建立された。除幕式は、西郷の死後21年を経た、1898年(明治31年)12月18日に行われた。

身長:370.1cm、胸囲:256.7cm、足:55.1cm。正面から写した写真では頭部が大きく見えるが、これは像の足元から見上げた場合、遠近法で適正に見えるよう計算されているためで、実際の西郷の体つきがこうであった訳ではない。

以後「上野の西郷さん」と呼ばれて100年以上も国民に親しまれ、像の意味を少しずつかえつつも現在でも東京タワーや新宿の高層ビル街と並ぶ、東京の象徴的光景となっている[1]。銅像には西郷の真実の姿が望まれたが、西郷には信頼性のある写真が一枚も残っていなかった[2]。

岡崎によると、キヨッソーネのコンテ画を元に西郷の知己・親戚に一々聞き、石膏像や木彫も幾度も修正して制作を進めたという[3]。銅像の建設委員長をしていた樺山資紀を助けて奔走していた子息の樺山愛輔は、銅像の顔は極めてよくできているが、光雲は西郷の特徴ある唇(何とも言えない魅力と情愛に弱いところが同居している唇)を最後まで表現しきれないことに苦しんだと書いている[4]。実際、生前の西郷に接した東郷平八郎元帥も「上野の銅像なども、制作には大分苦心された様だが、やはり緊張した顔付だし、少しふとり過ぎて居るように思ふ。」と評し、絵画等では西郷の愛嬌や温和が再現しきれないと述べている[2]。

公開の際に招かれた西郷夫人糸子は「宿んしはこげんなお人じゃなかったこてえ(うちの主人はこんなお人じゃなかったですよ)」と腰を抜かし、また「浴衣姿で散歩なんてしなかった」といった意の言葉(薩摩弁)を漏らし、周囲の人に窘められたという。

この糸子の言をも、樺山愛輔は「大体の風貌はあの通りとしても、個性的な魅力のある唇のもつニュアンスとでもいうか、そうした二つとない魅力的なものを現はすことは不可能であったわけだ、眼とか顔とか肩のもつ線とかは何とか表現することは出来たらうが、…」[4]と解釈している。

上野の西郷像は、糸子が批評しているような散歩している姿ではなく、愛犬をつれ、腰に藁の兎罠をはさんで兎狩りに出かける姿である。この姿は大山巌がガリバルディのシャツだけの銅像から思いつき、西郷の真面目は一切の名利を捨てて山に入って兎狩りをした飾りの無い本来の姿にこそあるとして発案した[4]。

連れているのはお気に入りの薩摩犬であった雌犬の「ツン」であるが、銅像作成時は死んでいたため、海軍中将・仁礼景範の雄犬をモデルにして雄犬として作成された。西郷の体の大きさと比較すると犬は小さく見えるが、実際の薩摩犬は像よりもっと小さく、高村は少し大きめにするよう要望したという[5]。

上野公園の銅像に対する糸子の発言については、「銅像の顔が本人に似ていないことを意味する」と解釈する説もあるが、昭和50年代に鹿児島県下で小学生に無料配布されていた西郷隆盛の伝記読本『西郷隆盛』では、亡夫は多くの人間の前に正装ではなく、普段着で出るような礼儀をわきまえない人間ではないのにという文脈で解説している。

当時、故人を顕彰する銅像の多くが正装で威厳に満ちたものだったのに対し、西郷の銅像は明治維新の元勲のものとしては、あまりに庶民的に過ぎるものである。一時は朝敵とされた西郷の名誉回復の場でもあった銅像除幕で、予想とあまりにかけ離れた服装の銅像に対する驚きと落胆の気持ちの反映であった。

当初は、皇居内に建てる案もあった西郷像の建造当時、朝敵となったことによる高山樗牛らの反対意見が根強かったことは無視できない。上記大山巌の言い分も、まだ西郷への反感を持つ政治家が多かった時代、明治政府の官位による正装をさせるわけにはいかなかった事情が背景にあったと考えられる。

美術史家の吉田千鶴子の調べによると、当初「馬上」で「陸軍大将軍服」姿の図様が募集された[6]が、騎馬像とするには資金が足りず、次に「大将服着用の立像」となり雛形まで出来あがったものの、今度は「さる筋から大将服姿に猛烈な反対が起」こり、最終的に現在の姿になったという[7]。

そこには、西郷の高い人気故に反政府的機運を醸成しかねない動向を逸らし、西郷から武人としての牙を抜き、犬を連れて歩く人畜無害な人物というイメージを民衆に定着させようとする、政治的意図が働いていたと見られる[8]。

造像後、西郷隆盛像を目がけて紙玉を投げつけるという奇妙な風習がはやり[9]、昭和に入っても鼻に当たると出世すると言われた。見かねた鹿児島県人会らは、清掃を買って出たという。また、関東大震災の時には、尋ね人の貼り紙を貼る掲示板に代わりにされた。その後も、銅の価値から犬の像の方を盗もうとする輩が度々表れたが、この企ては成功しなかった[10]。


連れている犬についても文献にあるように、‘逸話’が残っているのが面白い!

(つづく)
[2017/01/22 23:55] | 歴史 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
東本願寺・浅草浄苑の展示物
東本願寺・浅草浄苑の展示物

昨日(2017年1月20日)、朝9時から東京駅近辺で約一時間の打ち合わせを終えた頃から、東京都心は小雪がちらつき始めた。

次の打ち合わせは、上野駅近辺のホテルである・・。
これは、16時過ぎからだから、かなりの時間がある。
日頃の運動不足も気になっていたから、それじゃあ、と東京駅から上野まで歩いてみようと思った!

雪のちらつきはそんなにたいしたことも無く、傘は持ってはいたが、差すほどのことでもなかった・・。
昨年、神田駅の近くの‘岩本町’のあるビルに事務所を借りていたこともあって、東京駅からは、日本橋三越本店の前を通り岩本町経由で上野を目指すことにしたのである!

途中、岩本町に勤務していた時にいつも通っていた‘カフェテリア’で食事をして、上野駅に向かおうとしたのだが、まだまだ十分な時間がある!
それじゃぁ、元浅草にある、浄土宗東本願寺派・総本山東本願寺内にある‘浅草淨苑’へ寄ってみることにした!
つい先日訪れたばかりであったが、両親が眠っているお墓であるから、暇さえ出来れば寄ることにしているのである・・・。

1339056936-741822_2.jpg
出典/http://www.reien-tokyo.com/detail/id1339056936-741822.html
1339056936-741822_1.jpg
出典/http://www.reien-tokyo.com/detail/id1339056936-741822.html
1339056936-741822_4.jpg
出典/http://www.reien-tokyo.com/detail/id1339056936-741822.html

‘浅草淨苑’の4階に上がると、昨日は上述の通り‘小雪’がちらつく日でもあったために、誰もいない!
‘琥珀の間’へ行けとの‘アナウンス’があった!

DSC_1137-2_20170122014353767.jpg
DSC_1139-2.jpg
DSC_1139-3.jpg
DSC_1139-4.jpg

焼香を終えて、展示品を見た!
先日(1月6日)に来た時と展示品は替わっていなかった・・・。

① 棟方志功の作品!

DSC_1144-2.jpg
DSC_1145-2.jpg
DSC_1145-3.jpg
DSC_1145-4.jpg

② 若山牧水の作品!

DSC_1149-2.jpg
DSC_1148-2.jpg
DSC_1148-3.jpg

兎に角、この‘浅草淨苑’には、いつも名品が揃っているのである!

(つづく)
[2017/01/21 23:55] | 先祖供養 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
外房から富士山の見えるスポット探し(その1)
外房から富士山の見えるスポット探し(その1

或る方から、「外房から富士山が見えるスポットがあるので行ってみては?」という貴重な情報を戴いた!
弊ブログを見て頂いた方からご親切にも場所のご指定情報もあり、ご自分で行かれて実際に富士山を見た、と仰せである!

こりゃあ、何としてでも、と本日(2017年1月18日)その場所へ行ってみた!
その後直ぐに、もう一箇所もひょっとすると見えるかもしれないが、ご自分はまだ行かれておられないという‘追伸’まで頂戴したのである!

有難いお話である!

あいにく本日のお天気は、外房から西側には‘雲の集団’が見え隠れしていたのだが、丁度東京での打ち合わせも無いことだったので、その‘スポット’の確認だけでもとの思いで出かけたのである!

その場所は、千葉県・長生郡・長生村の‘津波対策としての避難場所’として、昨年(2017年)の秋に巨額の予算を投入して新たに標高10mの‘築山’を長生村が建設した、その場所だったのである!

長生村は以下に示す通り、‘津波避難用場所’として、13箇所を指定して村民にその情報を流している!

長生村津波避難場所-2

富士山観測スポット情報は、この12番目と13番目の昨年出来上がった‘築山公園’だったのである!

長生村津波避難場所-3

<1> 城之内築山公園

自宅から車で約40分、場所は、‘カーナビ’が直ぐに教えてくれた!

20170118 新富士山観測地 001-2
20170118 新富士山観測地 022-2
20170118 新富士山観測地 021-2
20170118 新富士山観測地 018-2
20170118 新富士山観測地 003-2
20170118 新富士山観測地 004-2
20170118 新富士山観測地 005-2
20170118 新富士山観測地 006-2
20170118 新富士山観測地 007-2

標高10mだと言うから、津波が来ても、先ずは大丈夫に違いない!
その規模は、以下の写真の‘看板’に見て取れる!

20170118 新富士山観測地 024-2
20170118 新富士山観測地 024-3

収容人数:290人 とあるが、1㎡に1人と計算してだから、満員電車を想定すれば、1㎡に5人は大丈夫だとすれば、
290人×5=1,450人 先ずこのくらいは大丈夫だと思われる!

事業費は、何と2億円を越している!
命には代えられないから‘血税’である!

それが、‘のんき’にも‘富士山観測スポット’として‘活用’しようと言う‘不埒な’考えで来たのだと思うと一寸恥ずかしい思いだったが、‘津波’は来ないに越したことはないし、普段から‘富士山観測スポット’として有名になっていれば‘避難の時’にも有効に違いないと思ったから少しは心も落ち着いた!

ところで、富士山は何処に?

20170118 新富士山観測地 008-2
20170118 新富士山観測地 010-2
20170118 新富士山観測地 010-3
20170118 新富士山観測地 010-5

どうやら、下の二枚の写真の‘赤い矢印’のところが、富士山らしい?

矢印富士山ー1
矢印富士山ー2

‘ポンコツカメラ’での望遠で‘ピント’もいまいち!
次は是非‘晴天の日’にもっと慎重に撮影してみたい!

トイレもちゃんとある!

20170118 新富士山観測地 026-2
20170118 新富士山観測地 025-2


<2> 竜宮台築山公園

先程の‘城之内築山公園’から、およそ2km南にある!
残念ながら、このスポットからは、富士山らしき山は見えなかった・・・。

20170118 新富士山観測地 031-2
20170118 新富士山観測地 033-2
20170118 新富士山観測地 035-2
20170118 新富士山観測地 037-2
20170118 新富士山観測地 039-2

またの機会に・・・。

20170118 新富士山観測地 047-2

此処の規模は、以下の通り!

20170118 新富士山観測地 029-2
20170118 新富士山観測地 030-2
20170118 新富士山観測地 030-3

収容人数:110人 と言うから、5倍の550人位は、大丈夫だろう!
事業費は、何と、‘1.6億円’!

‘津波’とは、誠に恐ろしいものである!
この避難所が使われないことを望むばかりである!

(つづく)
[2017/01/18 23:56] | 富士山 | トラックバック(0) | コメント(1) | page top
初梅!
初梅!

‘初桜’という言葉はあっても、‘初梅’という言葉はないらしい!

‘初桜’は、‘初花’と同じ意味で使われるという・・。
それでは、‘初花’とは、

1 その季節に初めて咲く花。
2 その草木に初めて咲く花。
3 その春に初めて咲く花。多く桜にいう。《季 春》「―や大仏みちの人通り/万太郎」
4 17、8歳ごろの若い女性。

と辞書(デジタル大辞泉)にある。

勿論、‘初桜’も‘初梅’も‘固有名詞’なら存在するのだが・・・。

今日、2017年1月17日午前8時頃、我が家の前の‘Kさん’ちの梅の木に二つ‘花’が咲いているのを見つけた!
他の場所にある梅の木は、もう沢山花をつけているのだろうが、我が家の玄関前の‘Kさん’ちの梅の木は少々遅咲きなのである!

大抵の人間は、‘初物’に興味を示すし、それが、例え高価であったとしても‘買いたい’と思ったりするものである!
‘初マグロ’の高価さをみても、馬鹿馬鹿しいという人もいるだろうが、その気持ち日本人なら、判ろうと言うものである!

そして、そして、きっともうそろそろだろうと、‘期待’していた‘梅の最初の一輪’だとしたら、それは、それは嬉しいものである!

DSC_1117-2_201701180122221a0.jpg
DSC_1125-2.jpg

もう、蕾は今にも弾けそう!
やっと、二つだけが・・・・

DSC_1110-2_20170118012347be5.jpg
DSC_1110-3.jpg
DSC_1116-2_20170118012351e3e.jpg
DSC_1116-3_20170118012352186.jpg

これを‘後ろ’に回って見ると、‘逆光’だが・・・

DSC_1123-2_2017011801251891e.jpg
DSC_1123-3.jpg

そして、そして、偶然にも‘うぐいす’もどきがやって来た!
直ぐ下の画像の、ほぼ真ん中の一寸左の辺りに、ほらっ!

DSC_1130-2_20170118012522d92.jpg
DSC_1130-3.jpg
DSC_1130-4.jpg

‘すずめ’じゃ~ない!
‘めじろ’でもない!

え~と、え~と・・・・、‘うぐいすっ!’
そんな訳は、無いっ!

(つづく)
[2017/01/17 23:51] | 季節の変り目 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
凍てる日!
凍てる日!

今日(2017年1月16日)は、房総半島・千葉県・茂原市千沢では、今期最も寒い日だった!

Screenshot_20170116-084010-2.jpg
出典/ドコモスマホのアプリ

車は、天井のある車庫に入っていたのだが、ボンネットに霜が降りていたし、郵便受けにも霜が・・・。
そして、そして、TVドアホンも凍ていついていたのである!

DSC_1103-2_20170117002536a7a.jpg
DSC_1096-2_201701170025389bc.jpg
DSC_1096-3.jpg
DSC_1096-4.jpg
DSC_1096-5.jpg
DSC_1099-2_2017011700280003b.jpg
DSC_1099-3.jpg

DSC_1088-2_20170117002944b1e.jpg

DSC_1091-2_201701170030533a1.jpg
DSC_1091-3.jpg
DSC_1091-4.jpg
DSC_1091-5.jpg
DSC_1091-6.jpg

このカメラで見た‘映像’は?

DSC_1101-2_20170117003312c4c.jpg

この寒さのお陰で、きれいな、綺麗な‘氷の結晶’が見られた!

(つづく)
[2017/01/16 23:55] | 仰天! | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
日本橋三越本店の‘ライオン像’!
日本橋三越本店の‘ライオン像’!

今年(2017年)1月12日に或る会社の打ち合わせに出席することとなった・・・。
その待ち合わせ場所が、日本橋三越本店の‘ライオン像’前と言うことだった。

電車の都合で、この場所には、集合時刻の30分以上前に到着したので、このライオン像を観察する絶好のチャンスとなった!

DSC_1029-2.jpg
DSC_1024-2.jpg
DSC_1025-2.jpg
DSC_1025-3.jpg
DSC_1025-4.jpg

このライオン像は、100歳以上だと言うから驚きである!

https://mitsukoshi.mistore.jp/store/nihombashi/history/list02.html
◇「ライオン像」

待ち合わせの場所として親しまれながら、本館正面玄関でお客様をお迎えする2頭の「ライオン像」。この像が誕生したのは大正3年(1914)のことです。

この「ライオン像」の注文主は、三越百貨店の基礎を築いたとされる当時の支配人、日比翁助。その日比が百貨店開設の準備のため欧米を視察したときにイギリスで注文したものです。
ロンドンのトラファルガー広場にあるネルソン記念塔の下の4頭の獅子像がモデルとされ、英国の彫刻家メリフィールドが型どり、バルトンが鋳造したものです。
完成までに3年の歳月を要したこの仕事はイギリスの彫刻界でも相当な話題となりました。

現在ではその気品と店格を象徴して、三越の象徴的存在でもあり、また、東京名物の一つとしても親しまれています。


DSC_1027-2.jpg
DSC_1028-2_20170116011541855.jpg
DSC_1031-2.jpg
DSC_1032-2.jpg
DSC_1034-2.jpg
DSC_1036-2.jpg
DSC_1038-2.jpg
DSC_1038-3.jpg
DSC_1038-4.jpg
DSC_1038-5.jpg

100年以上も経っていることもあって、‘傷’もあれば‘緑青’も出ている!

DSC_1043-2.jpg
DSC_1043-3.jpg

これは、‘尻尾’である!

DSC_1042-2.jpg
DSC_1042-3.jpg

こんなところに‘三越’の文字があるなんて、知らなかった!

(つづく)
[2017/01/15 00:16] | 観光 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top
<<前のページ | ホーム | 次のページ>>
designated by FC2